反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
6
マクミラン公爵は妻を亡くして、めっきり老け込んでしまった。公爵としての仕事も行わないのでギデオンは必然的に忙しくなり、疲れ果てていた。
そんな中で開催されたのが、リオル家の夜会である。
正直、母とエーファが立て続けに亡くなっているので夜会に無理して出なくてもいいはずだ。
ドラクロアには他国のように喪に服す概念はないが、死を悲しんでいないわけではない。
だがタバサが夜会に参加したいと異常に騒いだうえに、周囲にも話してしまっていたので仕方なく参加に至った。ここまで騒いで欠席しては筆頭公爵家であるリオル家を敵に回すも同然だ。
「あれが新しい番か」
タバサが食事をしている間に少し離れていると、怪我が綺麗に治ったアスラン・リオルが近づいてきた。最初に挨拶はしたものの相手の方が格上なので無視できない。
タバサがいろいろな場所で騒いだので、ギデオンの番の話は広まっていたがエーファが亡くなっているので今のところ面と向かって何かを言われることはなかった。そもそも人間が番であることに根強く反対する者たちは「良かったな」という視線を向けてくるくらいだ。
「まるで上流階級に迷い込んだ娼婦だな。前の女はおっかなかったが、あそこまで下品ではなかった」
艶やかな見事としか形容しようがない金髪をなびかせてアスランは面白そうに目を細めた。竜人リヒトシュタインに怪我をさせられたなど露ほども思わせない普段通りのふてぶてしい態度だ。リオル家は筆頭公爵家なのでここで指摘する者なんていないが。
そう言われてタバサを見る。彼女の挙動は明らかに悪い方向に一線を画している。ここに来るまでは何としてもタバサを夜会に連れて行ってやらなければと感じていたこともあった。
ドレスはエーファに用意していたものを手直ししただけだ。タバサはエーファよりも背が低く、しかし胸囲があった。エーファのために用意したものを着せられて不満そうだったものの、着たら気が変わったようで大げさに喜んでいた。その姿を満足して眺めたはずだった。
頭が痛い。何か大切なことを忘れている気がする。
でも、エーファが死んでもそれほど衝撃は受けなかった。彼女が番だったのなら、結婚はまだしていなくても自分の一部、いや半分を亡くしたような喪失感に襲われるのではないか。番と結婚していない父でさえ、母を亡くしてあれほどショックを受けているのに。
仕事の時に狩った魔物の腹を裂いても、エーファの亡骸が出てくることはなかった。どこの隊でもまだ出ていないらしい。亡骸を見ていないからだろうか、この喪失感のなさは。それとも本当に――。
「大丈夫か。ギデオン」
ギデオンがぼんやりしていると、言葉とは裏腹に楽しそうな口調でアスランが聞いてくる。
「マクミラン公爵は気落ちしているだろう。俺も彼を心配している。何か見舞いの品でも送ろう」
「ありがとうございます」
「相談なんだが」
ギデオンの肩をぐわっと掴んで、これからが本題とばかりにアスランは笑った。
「お前の新しい番を味見させろ。前のは好みじゃなかったが、今の肉感的なのは好みだ。この際娼婦でも何でもいい」
アスラン・リオルだけじゃない。リオル家の男たちは力に物を言わせてこういう風に好き勝手してきた。断ればボコボコにされて番は無理矢理連れて行かれて後に帰される。運よく決闘で勝てば連れて行かれない。
アスランに決闘をふっかけられて勝ったのは、トリスタン・マキシムスくらいじゃないだろうか。
そういえば、エーファがいた十三隊のキーンという隊員の母親もそんな経緯で身ごもったと聞いたことがある。キーンはハイエナとライオン獣人のミックスだ。だから彼は強く、ハンネスと仕事中にペアを組んでいた。
「今夜ですか。それとも別日でしょうか」
「話が早くて助かる。今日だ」
「分かりました」
「お前は話が分かる奴だな」
ぽんぽんと叩かれた肩がジンジンと痛い。怪我で療養していてもアスラン・リオルはアスラン・リオルだった。
俺はなぜ決闘さえしないのだろう。しようともしないのだろう。死が堪えているのか? いや、そんなことはない。番を味見させろと言われたら怒りでどうにかなるはずだ。
タバサが近づいてきて甘い香りが鼻をくすぐるが、なぜか頭痛が酷くなった。さっき数口飲んだ酒のせいだろうか。
「ギデオンは多忙のせいか調子が悪いようだ。別の部屋を用意して料理を運ばせよう」
アスランがニヤニヤしながらタバサに話しかけた。ギデオンが彼女に向かって頷くと、特別扱いだと思ったのかタバサの顔に喜色が広がる。新規の参加者以外は状況が分かっているので、あからさまにこちらを見ないようにしている。
「顔を洗ってからにするから先に行っていてくれ」
ギデオンはそう断ると、その場から離れた。途中で振り返るとアスランがタバサを連れて階段を上っていくのが見える。
吐き気がした。いくらライオン獣人が一夫多妻制で、妻たちがああいうことに何も言わないとしても。
そこでギデオンはふと違和感に気付いた。タバサを連れて行かれたのに嫉妬していない。これがエーファだったら? アスラン・リオルがエーファを連れて行こうとしたら?
全力で決闘するはずだ。いや、その前にエーファが怒って決闘を申し込むはず。いや、アスランはエーファに絡んで酷い目にあっているからそれはないか。
アスランはあんな目にあっても懲りていないらしい。ただ、魔物の横取りだけはやめたようだ。
なぜ俺は微塵も嫉妬していないのだろう。タバサが連れて行かれて、目の前から消えたことに心の片隅で喜んでいないだろうか。
おかしい、おかしい、おかしい。割れるように頭が痛い。
どっちが俺の番なんだ? エーファだったのか? タバサで合っているのか?
バルコニーに移動して痛む頭を抱えてぼんやりする。しばらくしてギデオンは一つの可能性にたどり着いた。
「そうか。こうすれば分かる」
そんな中で開催されたのが、リオル家の夜会である。
正直、母とエーファが立て続けに亡くなっているので夜会に無理して出なくてもいいはずだ。
ドラクロアには他国のように喪に服す概念はないが、死を悲しんでいないわけではない。
だがタバサが夜会に参加したいと異常に騒いだうえに、周囲にも話してしまっていたので仕方なく参加に至った。ここまで騒いで欠席しては筆頭公爵家であるリオル家を敵に回すも同然だ。
「あれが新しい番か」
タバサが食事をしている間に少し離れていると、怪我が綺麗に治ったアスラン・リオルが近づいてきた。最初に挨拶はしたものの相手の方が格上なので無視できない。
タバサがいろいろな場所で騒いだので、ギデオンの番の話は広まっていたがエーファが亡くなっているので今のところ面と向かって何かを言われることはなかった。そもそも人間が番であることに根強く反対する者たちは「良かったな」という視線を向けてくるくらいだ。
「まるで上流階級に迷い込んだ娼婦だな。前の女はおっかなかったが、あそこまで下品ではなかった」
艶やかな見事としか形容しようがない金髪をなびかせてアスランは面白そうに目を細めた。竜人リヒトシュタインに怪我をさせられたなど露ほども思わせない普段通りのふてぶてしい態度だ。リオル家は筆頭公爵家なのでここで指摘する者なんていないが。
そう言われてタバサを見る。彼女の挙動は明らかに悪い方向に一線を画している。ここに来るまでは何としてもタバサを夜会に連れて行ってやらなければと感じていたこともあった。
ドレスはエーファに用意していたものを手直ししただけだ。タバサはエーファよりも背が低く、しかし胸囲があった。エーファのために用意したものを着せられて不満そうだったものの、着たら気が変わったようで大げさに喜んでいた。その姿を満足して眺めたはずだった。
頭が痛い。何か大切なことを忘れている気がする。
でも、エーファが死んでもそれほど衝撃は受けなかった。彼女が番だったのなら、結婚はまだしていなくても自分の一部、いや半分を亡くしたような喪失感に襲われるのではないか。番と結婚していない父でさえ、母を亡くしてあれほどショックを受けているのに。
仕事の時に狩った魔物の腹を裂いても、エーファの亡骸が出てくることはなかった。どこの隊でもまだ出ていないらしい。亡骸を見ていないからだろうか、この喪失感のなさは。それとも本当に――。
「大丈夫か。ギデオン」
ギデオンがぼんやりしていると、言葉とは裏腹に楽しそうな口調でアスランが聞いてくる。
「マクミラン公爵は気落ちしているだろう。俺も彼を心配している。何か見舞いの品でも送ろう」
「ありがとうございます」
「相談なんだが」
ギデオンの肩をぐわっと掴んで、これからが本題とばかりにアスランは笑った。
「お前の新しい番を味見させろ。前のは好みじゃなかったが、今の肉感的なのは好みだ。この際娼婦でも何でもいい」
アスラン・リオルだけじゃない。リオル家の男たちは力に物を言わせてこういう風に好き勝手してきた。断ればボコボコにされて番は無理矢理連れて行かれて後に帰される。運よく決闘で勝てば連れて行かれない。
アスランに決闘をふっかけられて勝ったのは、トリスタン・マキシムスくらいじゃないだろうか。
そういえば、エーファがいた十三隊のキーンという隊員の母親もそんな経緯で身ごもったと聞いたことがある。キーンはハイエナとライオン獣人のミックスだ。だから彼は強く、ハンネスと仕事中にペアを組んでいた。
「今夜ですか。それとも別日でしょうか」
「話が早くて助かる。今日だ」
「分かりました」
「お前は話が分かる奴だな」
ぽんぽんと叩かれた肩がジンジンと痛い。怪我で療養していてもアスラン・リオルはアスラン・リオルだった。
俺はなぜ決闘さえしないのだろう。しようともしないのだろう。死が堪えているのか? いや、そんなことはない。番を味見させろと言われたら怒りでどうにかなるはずだ。
タバサが近づいてきて甘い香りが鼻をくすぐるが、なぜか頭痛が酷くなった。さっき数口飲んだ酒のせいだろうか。
「ギデオンは多忙のせいか調子が悪いようだ。別の部屋を用意して料理を運ばせよう」
アスランがニヤニヤしながらタバサに話しかけた。ギデオンが彼女に向かって頷くと、特別扱いだと思ったのかタバサの顔に喜色が広がる。新規の参加者以外は状況が分かっているので、あからさまにこちらを見ないようにしている。
「顔を洗ってからにするから先に行っていてくれ」
ギデオンはそう断ると、その場から離れた。途中で振り返るとアスランがタバサを連れて階段を上っていくのが見える。
吐き気がした。いくらライオン獣人が一夫多妻制で、妻たちがああいうことに何も言わないとしても。
そこでギデオンはふと違和感に気付いた。タバサを連れて行かれたのに嫉妬していない。これがエーファだったら? アスラン・リオルがエーファを連れて行こうとしたら?
全力で決闘するはずだ。いや、その前にエーファが怒って決闘を申し込むはず。いや、アスランはエーファに絡んで酷い目にあっているからそれはないか。
アスランはあんな目にあっても懲りていないらしい。ただ、魔物の横取りだけはやめたようだ。
なぜ俺は微塵も嫉妬していないのだろう。タバサが連れて行かれて、目の前から消えたことに心の片隅で喜んでいないだろうか。
おかしい、おかしい、おかしい。割れるように頭が痛い。
どっちが俺の番なんだ? エーファだったのか? タバサで合っているのか?
バルコニーに移動して痛む頭を抱えてぼんやりする。しばらくしてギデオンは一つの可能性にたどり着いた。
「そうか。こうすれば分かる」