反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

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 いつ見ても、宰相だったトリスタン・マキシムスのまとめた書類は読みやすい。

「あのバカは引退寸前のワシに尻を拭わせるのか。いいご身分だ」

 エーギルの斜め向かいのひときわ大きな机で、参謀のトップであるレガロ・メフィストは文句をダラダラブツブツ垂れながら仕事をしていた。

「素晴らしく読みやすい書類の数々です」
「これらを処理してからトリスタンは死ねば良かったのに。あんなに頭のいい奴でも番に振り回される」

 レガロは視線を上げてエーギルの怪我の数々に目を向けた。参謀部隊の他の隊員は出払っていて今は二人だけだ。

「マクミランの倅もどうやらトリスタンと同じ道を進むらしいの。ああなったら止めるだけ無駄じゃ」
「それは分かりません。ギデオンは宰相様ほど頭が良くないのであのような行動に出るかどうか。むしろ余計に行動が読めません」
「トリスタンに比べればこの国のほとんどの者は頭が悪い。しかし、番がいなくなったからと屋敷を燃やして死ぬなど、あやつは」

 あまりにジロジロと怪我の具合を見られるので、エーギルは居心地が悪くなって書類に目を落とした。。レガロはエーギルの番のことをやっと思い出したようで、エヘンエヘンと慌てて咳払いをする。

 屋敷が派手に燃えた後は腫物扱いだったが、今は状況が大きく変わった。
 前竜王陛下の死と新しい竜王陛下の誕生、オウカの関わった魔物の変異、宰相の自殺といった大きな事件が続いたので忘れられていたようだ。

 正直、エーギルもまだ夢だったのかと錯覚するほどだ。セレンティアはこの世に存在したのだろうか。考えると足元と頭がふわふわしている。

「それにしても、番反対派はこんなにいたのですか」

 オウカが隠していた情報関連の書類をめくる。そこには番反対派のメンバーの名前がずらりと書かれていた。魔物の変異に関わるような過激派は一握りではあるが。

「さすがセイラーンの王女と言うべきか。彼女がトップになってから飛躍的に番反対派の人数が増えておる」
「別の方向にこの才能を使ってくだされば……」
「それだけ番に対して不満を持つ者が増えたのじゃろう。異種族というのか。平気で他人の番を奪うライオン獣人に対する恨みなどもあるようじゃがな」
「ハンネス隊長のところのキーンはそんな感じでしたね」
「実にうまい。番反対派という枠を超えて、反ドラクロアのようなグループを作り上げた。わずか13歳の人間の姫君をトリスタンが誘拐するかのように連れ帰ってきた時、誰がこれを予想したじゃろうか。しかし、思い返せばあの頃から彼女は肝が据わっておった。トリスタンに対して冷静に婚約者の命を奪わぬよう交渉した……実に惜しいことをした」

 レガロは独り言のように呟いて虚空を見上げている。エーギルは手持無沙汰に書類をいじった。

「ここに書いてある、人間の悲しみが魔物を強く多くするというのは本当なんですか」
「そんなわけあるまい。番反対派の戯言だ」
「ハンネス隊長が急にエーファ、ギデオンの番がそんなことを言い出したと話していたのを思い出して」
「その戯言は、番反対派の末端にとっては弱い異種族である人間を追い出す格好の言い訳じゃ。ギデオンの番にそれを伝えたのは……せっかく作り出した変異種を殺させないためじゃろう。あやつ、かなり殺しとるからな。事実、その話を聞いてから森で魔物に対峙して一瞬迷った時があったじゃろうて」

 レガロは目が疲れたようで目頭を押さえている。

「もっとギデオンの番を勧誘するのかと思ったら、そうでなかったのは嬉しい誤算。あの魔法が番反対派のものじゃったら大変じゃった」
「そうですね」
「エーギルも魔法を少し習っておったと聞いた」
「内緒で屋敷で訓練していたのにどうしてご存じなのですか」
「老いぼれ鳥を舐めてはいかん。まぁ、それは別にいい」

 窓から使いに出していたオウムが帰ってきた。

「ソトニオオカミ、イル」

 オウムの足に括り付けられた手紙を外そうとすると、オウムが喋った。窓からのぞくと隊服を着たギデオンが小屋の外に立っている。

「大丈夫か」
「閣下に出ていただくことはないでしょう。少し話をしてきます」
「五分で戻らなかったら見に行く。ワシはトリスタンの尻拭いをこれ以上一人でする気はないのでな」

 外に出ると、ギデオンは顎を上げてついてこいとジェスチャーをする。とても尊大な態度だ。しばらく一緒に歩いてギデオンはこちらに向き直った。

 あぁ、まずいとエーギルは本能的に感じた。目だ。ギデオンの目が完全に……。

 ギデオンが喋る前にすっと手を上げる。睨まれたものの、ギデオンよりも先に口を開くことに成功した。

「ギデオン、俺は最近ずっと後悔している。お前たちについて他国にまで番を探しに行ったことを」

 カナンはヴァルトルト王国まで鳥を飛ばしてくれただろうか。

 カナンは最初の番をどうにか見つけないといけなかった。ギデオンとエーギルは幸運にも家の金と時間があった。ギデオンは楽しそうに、番を探しに行くから一緒に行くかと持ち掛けてきたがエーギルは他国にまで行かなくても良かった。ドラクロアで適当に恋愛結婚でも見合い結婚でもしても良かった。

 でも、あの時はまだ見ぬ番を本能的に求めてしまった。番が異種族でも祖父のようにはしないと理性的に決めていたから。

 知らなければ良かった。
 あの甘い香りで、あんなに執着心や独占欲が刺激されるなんて。自分の中にあれほど醜い感情があるなんて知らなかった。気付いたら男を殺していた。腹を立てながらも逃げないようにセレンティアの足を折っていた。

 ああして甘い香りにずっと翻弄されるんだと思っていた。愛だの恋だのもまだ分かっていないのに。なのにあれほど早く冷めるなんて。自分の番への愛をあの時ほど汚らしいと思ったことはない。

「俺はドラクロアに生まれなければ良かった。そうしたら番だのなんだのに振り回されず、一人をただひたすらに、まともに愛せたかもしれないのに」

 足を折らずに、悲しませることもなく、話し合いをして自害なんて選ばせることもなく。

「他国に行って番を見つけなければ……俺が番一人を満足に愛することもできない中途半端な獣人って知らずにすんだのに」

 ギデオン、お前が羨ましい。番を求めてそんなに狂ったような表情ができるなんて。俺はセレンティアを思い出してもそんな顔は一生できない。

 エーギルは吊っていた布を取って折れた腕を引き抜いた。自分の腕に青い鱗が浮き出ている。これほど再生が早くなるのは初めてだ。自分に腹を立てていて感情に波があるからだろうか。

「番さえ見つけなければ。一瞬でも……彼女とこの世で二人きりになりたいなんて考えずにすんだのに」

 もっと魔法を習っていたかった。しょぼくない、素養があると言ってくれて嬉しかった。たかがそんな言葉で自分の心臓が鼓動するなんて知りたくなかった。どうして幼馴染の番なのだろうかなんて考えたくなかった。

 これからの人生があるのなら。
 俺はずっと後悔し続ける。彼女と出会ったことを。


 銃声が響いたのはしばらくしてからだった。
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