反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

2

 ギデオンに放った初級の火魔法で、焦げた臭いが充満している。あれでは当たっていないだろう。すぐに避けた動きがあったがどこへ行ったのか。

 スタンリーがいるから抱えて空中戦には持ち込めない。時間にもよるが魔力の消費が激しい。

 視界に黒い影が見えてすぐに火魔法を放ち、スタンリーを抱えて一軒家の屋根にジャンプした。
 スタンリーの意識はある。呼吸は早いが、治癒魔法を少しでもかけることに成功したのか傷口は塞がり始めていた。

 気配を感じて飛びのくと、さっきまでエーファがいたところの屋根が派手に壊れた。

「エーファ。まだ怒ってるのか」

 ギデオンが屋根までジャンプしてやって来た。さすがオオカミ獣人。思わず唇を噛んだ。

「みんな、あなたの番はタバサだと思ってるわよ」
「母が死んだ」

 スタンリーの傷が塞がるまで、時間を稼ごうと話しかけたが話が通じていない。

「公爵夫人が?」
「あぁ。父は抜け殻になってる」

 こいつは何が言いたいのだろうか。そもそも、どうして番紛いが効いてないの? ショックな出来事があったらダメだとか? しかも、ドラクロアから走ってきたの?

「タバサを殺しても何も感じなかった。だから、あいつは番じゃない。父の反応が、いや父が正しいんだ」

 あちこち擦り切れたギデオンの服に気付く。やっぱりドラクロアから走ってきたようだ。

「番が亡くなったならああなるべきなんだ。だからタバサは番じゃない」
「公爵と公爵夫人は番じゃないでしょう」

 見たこともないくらいギデオンは柔らかく笑っているのに、明らかに様子がおかしい。向かい合うと空気がピリピリしてくる。

「タバサが死んでから頭痛がしない。快適なんだ。それにエーファが死んだと聞いて悲しくなかった意味も分かった。だって、目の前にエーファがいる」

 ギデオンがまた手を伸ばしてきて結界に弾かれる。それでも、ギデオンは気を悪くした風もなく笑みを浮かべている。

「やっぱり父は正しかったんだ」
「どういうこと?」
「母が番でなくても。番なら特に。薬漬けにしてでも手放してはいけないんだ。だって愛しているんだから。エーファのようにどこかへ飛んで逃げていかないようにしないと」

 まずい。番紛いの効果は完全になくなったらしい。
 身体強化をかけたままスタンリーを抱えてより戦いやすい場所に移動しようとする。

「振り向いてくれなくても、薬漬けでも何でも。愛するのが正しかったんだ。なんて簡単だったんだろう」

 まずい。本当にまずい。ギデオンはやっぱり狂ったらしい。母親を亡くしたから? いや、タバサを殺して狂ったのかも。

「エ、ファ」

 スタンリーが弱弱しく呟いて、首を振った。視線を動かしてギデオンの方向を示す。
 はっとして勢いよく振り返った。屋根という不安定な足場の上にあるギデオンの足がツタでぐるぐる巻きに固定されていた。
 スタンリーの最も得意とする初級の魔法だ。ドラクロアに行くまではよくこうやって連携を取ったものだ。

 すぐに手を組む。

「跪け! その血・肉・骨の欠片さえも 赤き太陽の前に贖罪せよ! 光と火をもって果てに闇無し! 神火の烽火!」

 今までのどの火魔法よりも明るい光が視界を覆う。すぐにスタンリーを抱えてすぐに屋根から飛び降りた。
 少し離れた場所にスタンリーを寝かせて振り返ると屋根の上にギデオンはいなかった。

「魔法省まで行ったら治癒魔法かけてくれる人いる?」

 注意深く周囲を見回しながらスタンリーに聞くと、彼はゆっくり頷いた。が、すぐに目を見開く。嫌な予感がしてすぐにスタンリーに覆いかぶさった。

 何重にも張っておいた結界が壊れる音がする。あれほど厳重に張ったのに。ドラクロアに行ってから強度も上がったと思っていたのに。火魔法を展開したが振った腕に痛みが走った。
 顔を顰めながら痛みを無視してもう一度腕を振る。空中で腕を掴まれてスタンリーから引きはがされた。

「エーファ。そんな男は放って帰ろう。俺ならエーファが薬漬けだろうと腕がなかろうと顔に火傷があろうと愛してる」

 ギデオンの足には大きな爪痕があった。自分の足ごと爪で引っ掻いてスタンリーの拘束を解いてエーファの攻撃魔法を避けたのか。
 掴まれている方の腕を見ると爪で引っ掻かれたらしく、深い爪痕ができていて血が滴っている。

 身体強化をかけているから腕はまだ折れていない。興奮しているから痛みもそれほどひどくない。
 再度名前を呼ばれてギデオンの顔が近づいてきた。

「今ならその男は見逃してやる。俺はエーギルほど器は小さくない」

 引っ掻かれた片腕は掴まれているので、もう片方の手を伸ばしてエーファはギデオンの首と鎖骨あたりに触れた。

「私が番だから?」
「あぁ。エーファが俺の番だ」

 笑みこそ柔らかいが、目の奥には狂気が見えた。思わず体が震えそうになる。怯えを隠すようにエーファは笑った。ぎこちなくても無理矢理笑った。

「私はギデオンから一度逃げたのに、それでも愛してくれるの?」
「俺があの女に傾いたから逃げただけだろう。あれは本当に俺がどうかしていた。エーファの見た目が変わっても、魔法を失っても、動いていなくても俺は愛し続ける」
「公爵夫人みたいになっても?」
「それでも愛している。やっと分かった。これが愛なんだ。ずっと愛が分からなかった。タバサを殺しても分からなかった。でも、エーファがいてくれたら俺の愛は完成する」
「一つ、お願いを聞いてくれる?」

 すっとギデオンの肩を撫でる。ギデオンの目が少し細くなった。

「何だ?」
「さっさとくたばれ、このオオカミ」

 ほんの少しだけ声が震えてしまった。でも、この距離なら絶対に逃さない。ギデオンの肩を掴んでエーファは火魔法を展開した。
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