反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

3

 掴まれていた腕に力が入って折れる音がする。
 痛い。本当に痛い。
 叫びたいほど痛かったが、悲鳴を上げたら負けた気がするので我慢して火魔法を展開し続けた。

 周囲の草が急激に成長してギデオンを叩く。これはスタンリーの魔法だ。
 一本の伸びてきた蔓がギデオンの目のあたりを擦った。ギデオンの拘束が緩んだ隙をついて折れた腕で思い切り突き飛ばす。

 スタンリーを風魔法で浮かせ、魔力消費量など考えずに空中戦に持ち込もうとしたが後ろから着ていたマントを引っ張られてエーファは転んだ。

 すぐに体の方向を変えるが、ギデオンに地面に押さえつけられて首を絞められる。

「それがエーファの答えか」

 苦しくて呻きながらエーファはギデオンの腕を掴んで火魔法を展開させる。ギデオンはすでに火傷だらけだが、さらに腕を焼かれてもびくともしない。

 そもそも、問われても首絞められているので答えられない。蹴りも入れるが、のしかかっているギデオンはビクともしない。

 身体強化を首まわりに集中させているおかげで、まだ首はポッキリいっていない。

 オウカの最期の瞬間が脳裏によぎった。そういえば、彼女は首を折られて死んだ。その前に宰相に対して愛さない、愛したことがないと言っていた。
 オウカの気持ちが、あの叫びのような言葉の意味が今初めて分かる。

 ギデオンの皮膚が焦げる臭いが鼻につく。それなのにギデオンは手を放さない。
 エーファはギデオンの目を見た。大いなる狂気と、ほんの少しの悲しみが入り混じっている。

「エーファも俺を愛さないのか」

 今更悲しみを見せられたところで同情はしない。
 首を絞めているこの男は、スタンリーとの仲を無理矢理引き裂いたのだ。愛するわけがない。愛など最初から芽生えるわけがない。あったのは憎しみだけ。

 さっきまで自分がエーファを愛するからいいとでも言いたげだったのに、結局は宰相と同じで最後には自分の愛を押しつけてくる。自分の愛に応えないエーファが悪いとでも言うように。

 オウカは宰相に死んでほしいと言った。でも、エーファはギデオンを殺したいと思った。

 暴れながら魔法をかけ続けていると、急に閃光とともにギデオンの体がのけぞった。首を絞める力が緩んだので突き飛ばして体の下から這い出る。

「スタンリー! 逃げて!」

 首を絞められている最中にスタンリーにかけていた風魔法が切れたらしい。彼は胸を押さえ座り込んで肩で息をしていた。さっきの光はスタンリーの雷魔法だ。

「東に右目 西の左目 自問して踊るがいい 赤き悪魔よ 燻り燃え上がり焼き払えっ!」

 詠唱の途中でギデオンが体勢を立て直してスタンリーのいる方向に走り出す。

「堕落火!」

 自分の骨が折れても別にいい。首を絞められて酸素が足りずにくらくらしているが、それも別にいい。

 スタンリーは。
 私の生きる目的だったスタンリーだけは、奪わせない。彼がいたから私はドラクロアからここまで生きてこれた。ミレリヤみたいに他人に心を預けることもなく、セレンのように依存して絶望して死ぬこともなく。

 結界を、結界も張らないと。

「なぜそんなに震えている。らしくもない」

 ギデオンではない、のんびりした声が至近距離で聞こえた。久しぶりに聞く、この声は。

「たかがあんな犬っころ相手に」

 スタンリーが座り込んでいたはずの場所には誰もいなかった。スタンリーに近付いていたはずのギデオンは急に目標を見失って周囲を見回している。

「エーファ。普段の強い目はどこへ行った。胸を張れ。崩れるな。お前らしくもない」
「……リヒト、シュタイン」

 横を見て、掠れた声しか出なかった。竜王陛下が亡くなって以来会っていなかった彼が、黒い髪をなびかせて笑っている。

「お前は狼煙を上げただろう?」

 思わず涙がにじんだ。
 しばらく見ていなかった金色の目が楽しげに細くなる。リヒトシュタインがスタンリーを片手で軽々と抱えていた。
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