反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

5

 地面に落ちた衝撃で腕と肩に噛みついていた顎の力が弱まったので、腕を引き抜く。
 ギデオンは銀色のオオカミの姿のまま、かろうじて息があったがそれ以上攻撃しようとはしてこなかった。

 息を荒げながらまた手を組もうとしたが、ギデオンの灰色の目が徐々に閉じていくのをみてやめた。やがて、上がっていた息が落ち着いてくる頃になってほんの少し目を開いたままギデオンは動かなくなった。

 なんとなくそのままにはできず、手を伸ばして無理矢理ギデオンの目を閉じさせた。本当になんとなく、深い意味はない。

 邪魔をし続けた男を今、殺した。

「さよなら、ギデオン」

 ずっと、あんたが嫌いだった。刺し違えてでも殺すと決めていた。
 ずっと後悔していた、あの日の王宮のパーティーではしゃいでいた自分を。未来は幸せであるに違いないと馬鹿みたいに信じ切っていたあの頃の自分を。

「ここまで追いかけてこなきゃ死ななかったのに」

 ギデオンの亡骸に向かって話しかけても返事はない。

「大嫌い」

 終わった安心感と疲れで涙が流れた。
 自分の腕を見ると噛まれて骨折してボロボロだった。しばらく座り込み呆れて自分の腕を眺め、エーファの意識は途切れてしまった。



 いい香りがした。
 ぼんやり目を開けると、なぜかベッド横に果物が積まれている。

「なにこれ。貢物みたいな」
「喉が渇いたと言ったらマモノタイサクキョクのキョクチョーとかいうのが水と一緒に持ってきた」
「あぁ、魔物対策局の局長……スペンサー局長ね」
「竜人を見るのは初めてらしく興奮していた。肉の方がいいかと聞かれたが、お前が食べるかもしれないから果物にしておいた」

 立ったまま果物を食べるわけでもなくいじっていたリヒトシュタインが答える。起き上がると腕に痛みはもうなかった。傷は綺麗に治っている。

「治癒魔法をかけてくれたのね」
「人間がかけていた。そのあたりは気絶をやめたトカゲがうまく立ち回っていたな。今は隠ぺい工作中だ」
「隠ぺい?」
「獣人が人間を襲撃。応戦して郊外の家一帯を焼いた、なんて事実は公表できないだろう。国際問題にしようとしてもドラクロア相手にこの国の国力では頭が上がらない」

 エーギルがうまく立ち回ってくれているようだ。
 こういうことはリヒトシュタインにはできそうにない。というか、エーギルが以前この国来た時にセレンティアの恋人を殺した話が出回っているなら皆恐怖しているだけでは……不安になってきた。

「これからあの嘘つきで情けない男に会うのか」

 相変らずリンゴを空中で放り投げながらリヒトシュタインが聞いてきた。

「……ギデオンのことじゃないわよね?」

 嘘つきで情けない男が誰を示しているのか分からない。
 リヒトシュタインが何を言っているんだという視線を向けてくるのと同時に、ノックの音が響いた。

 先頭で入ってきたのはエーギルだ。冷たい表情だったがエーファを見た瞬間、安堵の色が見えた。

「ギデオンの死体は処理した。目撃者がいないから表向きは火の不始末ということにしている。あの辺りは良く燃える草が生えていたから」

 せめて容態を心配してからそういうことは話してくれと思ったが、一番重要なのはそれだったと思い直しエーファは頷く。
 エーギルの後ろからは、リヒトシュタインに視線を固定したままのスペンサー局長とスタンリーが入ってきた。

「あのキョクチョーはなかなか図々しい人間だ。俺の鱗が欲しいと言ってきた」
「竜の鱗欲しがる気持ちは分かるけど……スタンリーの治療は?」
「さっき治癒魔法をかけてもらった」
「良かった」

 リヒトシュタインから目を離さないスペンサー局長は、スタンリーの背中をつついて前に押し出す。エーギルはなぜかリヒトシュタインとは反対側のベッドサイドに立った。

 もう用は済んでいるのになぜ出て行かないのか、これからスタンリーと話したいのに空気を読んでくれとエーギルを睨んでいるとリヒトシュタインが口を開いた。

「嘘つきで情けない男が来たぞ」

 リヒトシュタインはリンゴを握りつぶしてからスタンリーの方を見た。つられてエーファもスタンリーを見る。

「顔色が悪いわ。座る?」

 ギデオンの攻撃を受けて長く出血していたせいか治癒魔法を受けてもスタンリーの顔色が悪い。イスをすすめたが、彼は首を振って俯いた。

「スタンリー?」

 どうしたのだろうか。エーファが帰って来て嬉しくないのだろうか。ギデオンが追いかけてきたせいで派手な戦闘になってしまったから怒っているのだろうか。

「家を焼いたから怒ってる? 一応ドラクロアでお金は貯めてたから賠償額を教えてくれれば……あ、でもあんまり高いと支払えるかどうか」
「違うんだ」

 顔を上げたスタンリーと目が合った。嬉しくなってエーファはしきりに口角が上がってしまう。

「本当に帰ってきたんだな」
「うん。だって一年で帰るって約束したもの」

 スタンリーだ。夢でずっと想っていたスタンリーが目の前にいる。
 嬉しくて頬骨の位置まで変わりそうだ。自分の口の端は耳まで届いていないだろうか。あまりだらしない表情ではリヒトシュタインに何か言われそうなので頑張って口に力を入れる。

 スタンリーは口を開くが言葉が出ないようだ。しばらく口を開けては閉じるを彼が繰り返していると、エーギルが舌打ちをした。

「ちょっと、エーギル」

 エーファが態度を窘めると、廊下から大声でスタンリーを呼びながら誰かが駆けて来る音がした。

「竜は人間の嘘くらい見抜く」

 騒がしいのに、それほど大きくないリヒトシュタインの言葉はエーファの耳にしっかり届いた。
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