反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
7
握りつぶしたリンゴを食べて「まずい」と言いたげな顔をしたリヒトシュタイン。黙って残りのリンゴをそっとテーブルに戻している。
「妊娠していない?」
「竜人様ならそこまで分かるのですか」
「見ればわかる。妊娠すると独特の臭いがするからな。トカゲでも分かるだろう」
「はい。といっても我々トカゲの獣人は舌で獲物と番に関する臭いを判別することに特化していて他の臭いはほぼ分かりません」
エーファがエーギルを見ると、彼はしゅるっと舌を出して見せてきた。人間より明らかに長い舌に驚くと笑って舌をおさめる。
「が、さきほどの人間の女が妊娠していないことくらいは分かります」
「ということだ」
「あれに騙されるのは愚かな人間くらいでしょう。結婚さえできれば良くて、時期が来たら流産したとでも言うつもりだったのでは。本当にありふれている手法です」
エーギルはリヒトシュタインに対してのみ敬語だ。
「でも、医者だって妊娠していると診断を」
「医者があの女とグルであればそのようなことは簡単に可能であるはず」
「そんな……じゃあ今まで」
リヒトシュタインはすでにスタンリーに興味を失っているらしく、今度はオレンジに手を伸ばして香りを嗅いだ。そして「これもまずそうだ」という顔をしてテーブルに戻す。
「スタンリー。彼女に自白魔法でも使ってみるか。そうすればすぐ分かる」
局長は一体なんてことを言い出すのか。自白魔法は専門的な魔法で、かけられた側にはかなりの負担がかかる。
スタンリーは自分が今まで騙されていたと信じたくないのか、顔色が青を通り越して白い。
「それでは体に負担がかかりすぎます! もし妊娠していたら!」
「竜人様がしていないと言っているんだから、ウソである可能性が高い。お前は子爵家の人間だし狙いやすかったんだろう。魔法省の他の独身の貴族は皆爵位が高いからな」
「しかし……」
「妊娠が嘘だと分かれば結婚もしなくていいのに、何を迷っているんだ。あぁ、なんなら彼女の家族も集めて目の前で自白魔法をかけるか。そうしたら詐欺で罪にも問えるし、今後職員にこんなことをしでかす輩の抑制にもなる」
「そんな見世物みたいなことはできません……俺の家族にももう言ってしまっているのに……」
「じゃあオーバン子爵家も呼んだらいい」
「そういう問題じゃないです」
「どうしてだ? 少し恥をかくくらいだろう。三カ月ほどウワサされて終わりだ。十年もしたらあの頃はバカだったって思い出話をしている。妊娠していないならはっきりさせて、元通りエーファ・シュミットと結婚したらいい」
「ドラクロアのオオカミ獣人を殺しているんですよ? 二国間の関係はどうなるんですか」
「そんなん知ったことではない。それは宰相とか外交官の仕事だ。エーファ・シュミットはお前のためにドラクロアから帰国した。その間にお前は他の女に引っ掛かったのか惚れたのか知らんが。態度をはっきりさせろ」
スタンリーと局長は二人で話し合っている。エーファはぼんやりとその姿を眺めていたが、視線を感じてリヒトシュタインを見た。
「妊娠してないって分かるものなの?」
「人間には分からないだろう。竜人や獣人、鳥人にはすぐに分かる」
リヒトシュタインは果物をすべて自分から離すように押しのけていた。気に入らなかったようだ。エーギルも頷いている。
「噓つきで情けない男、ね」
思わず笑いそうになった。虚しかった。
「俺から見ればそうだ。だが、お前から見れば違うのだろう。あの男のもとに戻るためにお前は命懸けでドラクロアから脱出したのだから」
「……もし番相手だったら、こんなことにはならなかったのかな」
うっかりそんな言葉が口から出てしまった。
番同士ならばどれほど離れていても、他の異性に引っ掛かることはなかったかもしれない。ギデオンがエーファをここまで追ってきたような執念があるなら、浮気なんてしないだろう。
さっきの一瞬で分かってしまった。スタンリーはあの女と関係を持っている。証拠なんてないが、触り方と空気感で分かる。女の勘とでもいうのだろうか、そんなものなくて良かったのに。
一年にも満たない期間、離れていただけ。約束していたのに現実はこれか。
母国に帰ってきたのは間違いだったのだろうか。大人しくドラクロアにいたらスタンリーがこんなことになっているなんて知らなくて済んだ。
なら、これまでの努力は何だったのだろう。番紛いの材料を頑張って手に入れて飲ませて。さっきギデオンを殺した時は本当に殺されるかと思った。
ギデオンは狂っていたが、間違いなくエーファに命を懸けていた。でも、スタンリーは? エーファは命を懸けたのに、スタンリーは命を懸けてくれていない。まだ、ギデオンの方がマシだ。
「自白魔法がどんなものか知らんが"竜の審判"でもするか」
「本当ですか?」
「どういうこと?」
局長だけがリヒトシュタインの言葉に目を輝かせる。エーファは審判の意味が分からず戸惑った。スタンリーも分かっていないようだ。
「自分の言葉が真実だと竜人様の前で誓って、嘘だった場合はその者の命が奪われるものですね。ドラクロアでは獣人や鳥人の争いが終わらない場合に竜王陛下がこれを用いたと言われています。こちらの国で分かりやすく表現するなら国王の前で家名に誓う、あたりでしょうか」
「あぁ。俺の前で嘘をつかなければいいだけの話だから、問題ないだろう」
「自分の言葉に命を懸けろってこと?」
「そうだ。エーファは命懸けで脱出してあのオオカミ獣人とも戦った。それならばそこの男もあの女も命を懸けるのが礼儀というものだ。あの女は妊娠していると命を懸ければいい。そこの男は……自分で考えたらいい。愛でも何でも。命を懸けて証明される」
「妊娠していない?」
「竜人様ならそこまで分かるのですか」
「見ればわかる。妊娠すると独特の臭いがするからな。トカゲでも分かるだろう」
「はい。といっても我々トカゲの獣人は舌で獲物と番に関する臭いを判別することに特化していて他の臭いはほぼ分かりません」
エーファがエーギルを見ると、彼はしゅるっと舌を出して見せてきた。人間より明らかに長い舌に驚くと笑って舌をおさめる。
「が、さきほどの人間の女が妊娠していないことくらいは分かります」
「ということだ」
「あれに騙されるのは愚かな人間くらいでしょう。結婚さえできれば良くて、時期が来たら流産したとでも言うつもりだったのでは。本当にありふれている手法です」
エーギルはリヒトシュタインに対してのみ敬語だ。
「でも、医者だって妊娠していると診断を」
「医者があの女とグルであればそのようなことは簡単に可能であるはず」
「そんな……じゃあ今まで」
リヒトシュタインはすでにスタンリーに興味を失っているらしく、今度はオレンジに手を伸ばして香りを嗅いだ。そして「これもまずそうだ」という顔をしてテーブルに戻す。
「スタンリー。彼女に自白魔法でも使ってみるか。そうすればすぐ分かる」
局長は一体なんてことを言い出すのか。自白魔法は専門的な魔法で、かけられた側にはかなりの負担がかかる。
スタンリーは自分が今まで騙されていたと信じたくないのか、顔色が青を通り越して白い。
「それでは体に負担がかかりすぎます! もし妊娠していたら!」
「竜人様がしていないと言っているんだから、ウソである可能性が高い。お前は子爵家の人間だし狙いやすかったんだろう。魔法省の他の独身の貴族は皆爵位が高いからな」
「しかし……」
「妊娠が嘘だと分かれば結婚もしなくていいのに、何を迷っているんだ。あぁ、なんなら彼女の家族も集めて目の前で自白魔法をかけるか。そうしたら詐欺で罪にも問えるし、今後職員にこんなことをしでかす輩の抑制にもなる」
「そんな見世物みたいなことはできません……俺の家族にももう言ってしまっているのに……」
「じゃあオーバン子爵家も呼んだらいい」
「そういう問題じゃないです」
「どうしてだ? 少し恥をかくくらいだろう。三カ月ほどウワサされて終わりだ。十年もしたらあの頃はバカだったって思い出話をしている。妊娠していないならはっきりさせて、元通りエーファ・シュミットと結婚したらいい」
「ドラクロアのオオカミ獣人を殺しているんですよ? 二国間の関係はどうなるんですか」
「そんなん知ったことではない。それは宰相とか外交官の仕事だ。エーファ・シュミットはお前のためにドラクロアから帰国した。その間にお前は他の女に引っ掛かったのか惚れたのか知らんが。態度をはっきりさせろ」
スタンリーと局長は二人で話し合っている。エーファはぼんやりとその姿を眺めていたが、視線を感じてリヒトシュタインを見た。
「妊娠してないって分かるものなの?」
「人間には分からないだろう。竜人や獣人、鳥人にはすぐに分かる」
リヒトシュタインは果物をすべて自分から離すように押しのけていた。気に入らなかったようだ。エーギルも頷いている。
「噓つきで情けない男、ね」
思わず笑いそうになった。虚しかった。
「俺から見ればそうだ。だが、お前から見れば違うのだろう。あの男のもとに戻るためにお前は命懸けでドラクロアから脱出したのだから」
「……もし番相手だったら、こんなことにはならなかったのかな」
うっかりそんな言葉が口から出てしまった。
番同士ならばどれほど離れていても、他の異性に引っ掛かることはなかったかもしれない。ギデオンがエーファをここまで追ってきたような執念があるなら、浮気なんてしないだろう。
さっきの一瞬で分かってしまった。スタンリーはあの女と関係を持っている。証拠なんてないが、触り方と空気感で分かる。女の勘とでもいうのだろうか、そんなものなくて良かったのに。
一年にも満たない期間、離れていただけ。約束していたのに現実はこれか。
母国に帰ってきたのは間違いだったのだろうか。大人しくドラクロアにいたらスタンリーがこんなことになっているなんて知らなくて済んだ。
なら、これまでの努力は何だったのだろう。番紛いの材料を頑張って手に入れて飲ませて。さっきギデオンを殺した時は本当に殺されるかと思った。
ギデオンは狂っていたが、間違いなくエーファに命を懸けていた。でも、スタンリーは? エーファは命を懸けたのに、スタンリーは命を懸けてくれていない。まだ、ギデオンの方がマシだ。
「自白魔法がどんなものか知らんが"竜の審判"でもするか」
「本当ですか?」
「どういうこと?」
局長だけがリヒトシュタインの言葉に目を輝かせる。エーファは審判の意味が分からず戸惑った。スタンリーも分かっていないようだ。
「自分の言葉が真実だと竜人様の前で誓って、嘘だった場合はその者の命が奪われるものですね。ドラクロアでは獣人や鳥人の争いが終わらない場合に竜王陛下がこれを用いたと言われています。こちらの国で分かりやすく表現するなら国王の前で家名に誓う、あたりでしょうか」
「あぁ。俺の前で嘘をつかなければいいだけの話だから、問題ないだろう」
「自分の言葉に命を懸けろってこと?」
「そうだ。エーファは命懸けで脱出してあのオオカミ獣人とも戦った。それならばそこの男もあの女も命を懸けるのが礼儀というものだ。あの女は妊娠していると命を懸ければいい。そこの男は……自分で考えたらいい。愛でも何でも。命を懸けて証明される」