要注意⚠︎この恋罪悪につき
 キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン

 ガヤガヤする教室を縫うように歩いて、廊下に出た。
 1学期の初めの放課後。みんな必死に友達作りに励んでいる。が、私は今現在の友達だけでじゅうぶんだ。向かうは図書室!この学校、素晴らしく図書室が広い!それに今日は、部活動の勧誘のため、図書室に人が少ないはず!この間借りた大量の本を抱えて廊下を歩く。うふふふふ…と笑みが溢れてくるのを抑えきれない。まずい、これでは変人だ。「最初から変人でしょ」と言う友達の姿が思い浮かんだ。うん。その通りなんだけどね友よ…。
 えっちらおっちら長い廊下を歩き、階段を登って、ようやく図書室の前の廊下まできた。な、長かった……。この学校の図書室、広くて快適なのに人の出入りが少ない。その理由は、離れた棟にあるし、3階まで登るのがかったるいから。本当にその通り…毎度疲れる…けども!その道のりに耐えた先にあるのは紛れもない天国なのだ!ラストスパート……!
 そのとき。
 ずるっと嫌な感覚がした。足が滑った。当然両手に抱えていた本が散らばる。鈍い音を立てて私は盛大にコケた。い、痛い……痛すぎる……。痛い……。
 何がって?心がですよ!!!!!
 本落としちゃった!!私の命より大切と言っても過言ではない本が落ちた!あまりのむごさに涙が滲んでくる!ページが曲がってしまったのでは?表紙は無事だろうか。今すぐ抱き上げて安否を確認したいところなんだけど、私の体もダメージを受けている。膝小僧、痛い……。いや本の方が痛いはずだ。私よりも容赦なく床に叩きつけられただろうし……。

「はい」

 呆れたような、低くて少し掠れた声がした。

「ふぇ……?」

 思わず間抜けな声が出る。

「ふぇ?じゃねえよ。この世の終わりみたいな顔しやがって。本しか見えてないから転ぶんだ馬鹿」

 差し出された本を大事に受け取ってから、私はなんとなく言葉を返す。

「うん。本しか見えてないのは自分でも知っている」

 気づいたら、私を馬鹿呼ばわりした人は、私が落とした全ての本を拾い集めてくれていた。最後に、『人間失格』を拾った彼は、ぼーっとしていた私の前でそっとしゃがみ込んで、言った。

「椋田、全然全く変わってねえな。ってか、ちょっとは進歩しろよ。3年も経ってるのに」





 まず初めに私が感じたのはほのかな違和感だった。
 その人が私の名前を知っていたからでも、砕けた口調で話しかけてきたからでもなく、椋田(むくた)、という呼び方に違和感を感じたのだ。
 私の視界に入ったその人は、ふっと笑う。ちらりと犬歯がのぞいた。

「おまえのことだし、俺のこと覚えてないんだろ?」

 舐めてもらっては困る。

咲森(さくもり)くんでしょう」

 その人————いや、咲森くんは、切れ長の瞳を見開く。その表情といい、やっぱり私の記憶違いではない。ただ、咲森くんという呼び方には違和感があった。

「下の名前は?苗字は名札でわかるだろ」

 疑り深い奴め。

(いのり)。咲森祈。違う?」
「………………………あってる」

 彼はなぜか悔しそうだった。どうしてだ。せっかく覚えていたのに。
 目の前の咲森くんは、長い足を持て余すように立ち上がる。ついでに、私の手を引っ張って、私を立たせた。目線が合わなくって、気づいた。咲森くんは、身長が高かった。私より、30センチかそれ以上は背が高い。

「本、ありがとう」

 咲森くんの長い腕に軽々と持ち上げられている本を返してもらうために、手を差し出す。だが、咲森くんは、顔をしかめて本を私から遠ざけた。思わず手を伸ばす。また遠ざけられる。もう一度手を伸ばす。咲森くんは頭上に高く本を持ち上げる。うう。それじゃ、届かない。

「猫か。それでもって本は猫じゃらしか」
「咲森くん……意地悪……」
「意地悪じゃねえ。持ってってやるって」

 咲森くんは、ポケットから衝撃的なものを取り出した。図書室の鍵である。

「開けにくいな」

 ガチャっと音を立てて図書室の戸が開く。咲森くんは鍵を持っていた。ということは。

「と、とと図書委員!?」
「すごい驚くな。そんな意外?」

 どうぞ、と言われて私は図書室に入る。ひとっこひとりいやしない。まさに楽園だ。

「小学生ぶり。元気してたか、椋田」

 咲森くんは、改めて言う。

「たぶん元気にしてた」
「たぶんって…どーせ、本ばっかり読んでたんだろ」

 さすが。正解だった。
 咲森くんは小学校の同級生である。中学校は持ち上がりだったのだが、彼は両親の仕事の都合で引っ越さなければならなかった。席が隣で、授業中すぐ寝だしたり、本を読みだしたりしてしまう私のお守りをしてくれていたのが咲森くんだったから、他の子のことは薄ぼんやりとしか覚えてないけれど、彼のことだけは割とはっきり覚えている。記憶よりも随分背が高くなって、反対に声は低くなって、急に男子らしくなってしまった咲森くんは、なぜか私の目の前で、3年前と変わらないしかめっつらをしている。よく、私から本を取り上げたときの顔だ。

「授業中に読むのはやめたよ」
「当たり前」
「あと…できるだけ寝ないようにも…」
「おまえそんなんでよく進学校に合格できたなまじで!」
「咲森くんは…あの…なんでこの学校に…?私がいること、知っていた?」
「いや偶然」

 咲森くんは、不自然なくらい即答する。

「つーか、入学式で名前呼ばれてたろ?気づかなかったか?」
「………寝ていた」
「やっぱな!」

 テンポの良いツッコミに、私は少し笑った。

「咲森くんは、なんだか大きくなったね」

 本を返却した後、棚に並ぶ大量の本を物色しながらなんとなく言った。。

「おまえは変わんねえな。ちっさいままだ」

 失礼な。155センチはあるのに。

「語弊があるよ。咲森くんが大きすぎるだけ」

 咲森くんはしばらく黙る。

「椋田さ」

 私は呼びかけに振り向く。緊張の面持ちの咲森くんと、目が合った。

「5年くらい片想いしてるやついたらどう思う?諦めきれないの、気持ち悪いと思う?」

 そっと手元の本に目をやった。夏目漱石の『こころ』である。

「気持ち悪くはない。素敵だと思う」

 恋なんてしたこともない私に聞くとは、相手を間違えている気がするけれど。

「『然《ただ》し君、恋は罪悪ですよ。』」

「先生」の台詞を呟く。咲森くんは驚いた顔をした。

「お気をつけて」

 それから、私は本を抱えて図書室を出た。咲森くん、誰を好いているのだろう。5年前からだったら、小学校の同級生か……と思いながら。
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