村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

10 ほめられた先から

 扉の向こうに広がった光景はまぶしくはなかったのに、ユマは自然と目を細めた。
 絵本の中でしか見たことのない、王宮の大広間のような空間だった。ビロードのじゅうたん、隙間なく積まれた石造りの壁、しかし至るところに浮いている無数の灰色の光は、ざわめいて仄暗い歓迎を示したようだった。
 ジャミーラは尻尾を一振りしてゆっくりと歩み始めて、ユマもそれに続く。
(不思議……。温かいような、冷たいような空気)
 夢の中にいるような気持ちで、ユマは足を前へと進める。
 中央の絨毯を踏んで前へと進む。両脇の暗闇からは何人もの忍び笑いが漏れているのに、姿はどこにも見えない。
 息をつくほんの短い間のようでもあり、一日歩きとおしたような長い歩みにも感じる、そんな不思議な感覚にユマは頭がぼうっとなった。
 やがてジャミーラが身を屈めたのにならって、ユマも膝をつく。
「ただ今、帰還いたしました」
 階段の上にある玉座に誰かの足先が見えたが、ユマもすぐに頭を下げたので顔を見ることはできなかった。
「予想通り天使も来たようです。エクリプスを察したのでしょう」
 玉座から闇に溶けるような低い男の笑い声が聞こえて、彼は言葉を続けた。
「必死だな。人間如きに、天界の秩序を乱されてはたまらない」
 黙りこくるジャミーラを嘲笑うように、男の声は続ける。
「そこでお前が見つけたのはその娘か?」
「は……」
 ためらいがちにジャミーラが肯定した時だった。
 顔を上げたつもりはなかったのに、誰かに顎を掴まれたようにユマの顔が上げさせられた。
(えっ……こわい)
 しかも顔を上げたのに、相変わらず玉座に座る誰かの姿は見えない。
 どういう怪奇現象かわからないまま、闇の中にぱっくり開いた洞窟に飲み込まれるような、そんな重圧がユマを包み込む。
 ユマの動揺は関しないのか、低い声は淡々と続く。
「娘。お前は新世界への道をしかと見たか?」
「え、ええっと」
 とにかく質問は自分に向いているらしいと、ユマはうろたえながら答えを探す。
「ないですよ、たぶん……?」
 自分の実感に一番近い言葉をもらして、ユマは困ったように首を傾げる。
 柱の陰からざわざわと声が走る。
「はっきりしないか……人間」
「魔犬の餌にしてやってもいいんだぞ……」
 聞えよがしに脅しの言葉が聞こえてくる。蛇のように絡みつく音の中に、舌なめずりするような気配もした。
 ユマは怖くないわけではなかったが、嘘を言うわけにもいかずにそのまま答える。
「そうは仰っても、私、しがない村娘ですし」
 ユマはやっぱり小首を傾げて、細い眉を寄せた。
 確かにユマには、子どもの頃からたびたび見る夢があった。けれどそれは夢の域を出ていないもので、予言と呼ぶには形がない。
(あれが新世界への道だとしたら、言葉にできるほど私もつかめていない)
 伝えるべきとき、そして伝える相手を選ぶべきことは、誰に教えられなくとも感じていた。
「ほお」
 ふと男の声が面白そうにユマを見て笑った気がした。
「悪くない」
 心を覗き込まれたようにひやりとした感情が走って、ユマはその時ようやく男の姿を瞳に映すことができた。
 男は長い銀髪に、透き通るような紫の瞳を持っていた。二十台後半程度の青年だが、そこに浮かぶ表情はどこか酷薄な笑みだった。
 村を襲った悪魔たちと違い、耳が長い以外はほぼ人間と同じように見えたが、目を合わせると波紋が押し寄せるように心が絞られる。
(あら……この方、どこかで)
 けれどそれを思い出そうとすると、記憶が霧のように散らばってしまう。
 今彼を瞳に映して思うのは、彼がまとう威圧感だ。
 確かにこのひとは人ではない。生まれついた幸運とは違う、長い変化の中を生きてきた王者の力強さがある。
 それはそれとして、ユマは息を呑んでそっと告げる。
「えと……魔王様?」
「ああ」
「お若いんですね」
 つい、ぽろりと本音をもらすのがユマの悪い癖だった。
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