村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

13 伽の後のお話し

 ユマが重い瞼を開くと、羽のように薄いシルクが折り重なる天蓋が見えた。
(あら? ここどこ?)
 ユマは状況が理解できないまま目をぱちくりとさせる。
 背に当たるシーツは滑らかで深い眠りに誘う。それにユマはにこにこして目を閉じた。
(なんだかいい匂いがする……)
 立ち込めるのは濃厚な花の香りのような、複雑に調合された甘い香だ。
 安眠のためではなく閨の手助けとしての香りだとは露知らず、ユマは猫のように体を伸ばす。
(まるで絵本で見た、綺麗なお城に来たみたい)
 そこで初めてユマの能天気な脳裏に違和感が走った。
 お城、自分で考えたそのことに首を傾げて、ユマは思い返す。
(そういえばお城に来たんだったわ……魔界の)
 ユマは至極大真面目に事実を認めつつ、そういえばで済まない問題も思い出す。
 ぱちりとユマは目を開いて、すっかり覚醒した意識で寝台から体を起こした。
「……どこへ行く?」
 腰に巻きついた腕がそれを許さなくて、ユマは半分体を起こしたまま、困ったように傍らへ目を落とす。
「ロスメルダさんの探しに行こうと思いまして。その、ひどく混乱していらしたから」
「普通の反応だろうな。つまらぬ」
 薄暗い天蓋の中は、微かな芳香で満ちている。風もないのに揺れる幾重もの布は、ユマの知らない世界の光景だった。
 けれどこの場で最も優雅な生き物は、ユマの側で冷笑している存在に見えるのはなぜだろう。
 ユマが地上で長年大切にしてきた価値観、他者への優しさや信仰心から対置されるであろう者たちの王。
 それを少しも嫌う心がない自分にユマは首を傾げながら、ただ不思議そうに彼を眺めていた。
「ユマと言ったか」
 魔王は体を起こして頬杖をつきながら訊ねる。
「すんなりと伽を受け入れたな」
「あ、はい」
 率直にうなずいて、ユマは言う。
「ずっと考え事をしていました」
「何を?」
 目を伏せて、ユマはどこか遠くをみつめるように目を濁らせる。
「私の行いが、良くなかったのだと思います。だから天使様に呆れられて、大切なみんなを救うことが叶わなかったのでしょう」
「……妙なことを言う」
 ぼんやりと足跡をたどるようにつぶやいたユマへ、魔王は訝しげに言った。
「我々悪魔を責めるでもなく、救いをもたらさなかった天使を恨むこともなく」
「責める?」
 紫の双眸を見返して、ユマはようやく魔王に焦点を合わせて不思議そうに問いかける。
「あなた方は、神から奪うことを義務づけられている存在なのでしょう? 天使様はすべての者を救うのは難しいでしょう。責めると言いましても」
 再びユマの瞳が影を帯びる。
 ユマの横に肘をついて、魔王はユマの銀髪を弄んだ。それは指先をするりと抜けて落ちていく。まるで、決して掴むことなどできないと、触れるものを嘲笑うようだった。
 やがて魔王はユマの銀髪から手を離して、その指で自らの顎に軽く触れる。
「実に受動的な考えだな」
 魔王は目を細めてつぶやく。
「ならばお前は待つだけか。救いと破滅が訪れるまで」
「はい」
 まっすぐに王者を見返して頷いたユマに、魔王は表情を消した。
「実にくだらぬ。その冷徹な信仰が、お前の大切なものを死に追いやった」
 低く言い切った魔王に、ユマは息を呑む。
「お前の家族は恐らく全滅しておるし、あの金髪の女もじきに壊れる。私が手を触れずとも、苦痛を知らぬあのような女は簡単に破滅する」
 ユマの紫の双眸をみつめたまま、魔王は何でもないことのように問いかける。
「死にたくなったか?」
「え……」
 ユマの瞳に宿った影が一瞬で引いて、彼女は瞬きを繰り返す。
「先ほどの女はいっそ殺してくれと叫んでいたが。お前はどうなのだ?」
 続けざまに問われて、ユマは心の中で彼の言葉を繰り返す。
(もうカイエたちはいないかもしれない。私は一人になったかもしれない)
 それは悲劇、絶望、いずれの言葉もぴたりと当てはまるはずなのに、心を押しつぶすことはなかった。
 ユマはさらりと首を横に振る。
「……いいえ」
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