村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

17 お名前はべるべる

 奇怪な花々の庭園は、早朝だからか霧が立ち込めていて視界が悪かった。けれど先を行く女性は燐光をまとっているように輝いて見えて、ユマには少し不思議だった。
 霧の向こうにぽつんと東屋が立っていて、次第に大きくなっていくような錯覚を抱く。ユマはそれを見て、どうしてか肩が下がるくらいに安心していた。
 東屋も壁に緑色の光をまとっていて、ほんのりと明るかった。
 女性は立ち止まって東屋にユマを導くと、クッションの敷かれた椅子を勧める。
「さ、どうぞ」
 ユマが東屋に入ると、香草の匂いで満ちていた。深い紺のタペストリーが外との空間を仕切り、テーブルの上には優しい目をした猫の置物が乗っている。そこはどこかの貴婦人の隠れ家のようで、魔界のようには見えない。
 女性は優雅に足を組んでユマの向かい側に座ると、和やかに言葉を切り出した。
「わたくしはアニーダ。ここは仮住まいなの。時々魔界にやって来る薬師よ」
「あ、私はユマと言います。はじめまして、アニーダさん」
「んー、しっくりこないわねぇ」
 アニーダは不満げに口元を歪めると、細い指先を突きつけて言った。
「お姉様とお呼び」
「はい、お姉様」
「ほほほ。いいわねぇ、素直な子って」
 アニーダは足を組みかえて、テーブルの下からティーポットを取り出した。
 まるで魔法のように、ティーポットから香り立つ湯気がカップへと流れ込む。
「薬草を調合したお茶よ、疲れが癒せるわ」
「はい、頂きます」
 出されたものは何でもおいしく飲み食いするユマは、魔界でも一つ返事でありがたくお茶をいただいた。
 アニーダはそんなユマを可笑しそうにみつめたが、まもなくしてポットをテーブルの下に戻した。
 アニーダは頬に手を当てながらユマを見て言う。
「さぁて、ユマちゃん。お悩みのようね」
「え、おわかりですか?」
「お姉様は何でも知ってるのよ」
 アニーダは猫のように目を細めてユマの目を射抜く。
「まずは襲撃を受けた村と家族のこと、それからロスメルダという令嬢のこと、かしらね?」
「はい……みんな、大丈夫でしょうか?」
 魔王にユマの本質は悪魔だと指摘されたものの、家族や村人たちへの愛着が消えたわけではない。ユマは心の中心にある人たちの無事を問いかける。
 アニーダはユマの問いに、同情とは違う温かさで応える。
「いずれも悪魔の配下に入ったのだもの。下手な慰めはしないわ。……そうね、助言できるとしたら」
 アニーダは思案して苦笑する。
「あなたはまず、自分の心配をしなさいってことかしら」
「私、ですか?」
 きょとんとして首を傾げるユマから目を逸らして、アニーダは金の双眸で空を仰ぐ。
「今のあなたにとっては、ベルフェゴールに目を付けられたのが最大の問題」
「ベ、ベル……?」
「ベルフェゴール。ここゼパール城の王のことで、魔界の君主でもある」
「べるべる……」
 複雑な名前に舌をかみつつ、ユマはぴんと閃く。
「わかりました! 魔王様のお名前なんですね。早速練習します」
 ユマは大満足でうなずく。そこにジャミーラが彼の君に見せる敬意はないが、目のきらめきだけは勝っていた。
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