村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。
19 お洋服は目立たぬように
ユマが再び目覚めた時も、やはり辺りは暗かった。
(また寝過ごしちゃった。私ののんびりさんめ)
ユマは体を起こして伸びをすると、めっと自分を叱る。
夢うつつの状態で、ジャミーラが夜になったらまた来ると言ったのを聞いた気がする。
ユマの魔界に来ても機能している正確な体内時計は、そろそろ夜だと伝えていた。
ユマは寝台を抜け出すと、身支度を整えようと部屋を見回す。
(でも、私が持ってきたのってこの服だけね。じゃあこれで準備万端)
ユマは窓辺に歩み寄って、カーテンの向こうを見上げた。どうやら鍵はしっかりと掛けられてしまったようだが、外の様子はうっすらとうかがうことができる。
遠い天上に、細い円の輪郭が見えた。暗闇の中に走る一筋の白い線は、何かの色と似ている気がする。
(あ……もしかして、あれが月なのかしら)
『天界の象徴たる太陽と、魔界の象徴たる月が隠れる時。天使と悪魔の影たる人間が、光のない世界でその意義を手に入れる』
子どもの頃好きだった神話の本の言葉を、今もユマは覚えている。
(魔界の象徴たる月。エクリプスで隠れてしまったのね)
だとしたら、この暗さも理解できる。ユマはぼんやりと光の筋を見上げながら、考えを巡らせた。
(あのときの来訪者は、もしかしたら……)
「……ユマ、こんなところで座り込んで何をしているのですか?」
ユマがはっとして目を開くと、眼前に銀豹が鎮座していた。
ユマは笑って言葉を返す。
「ああ、ジャミーラさん。すみません、ちょっと考え事を」
「魔界の夜は冷えますよ。もっと暖かい服を出して着ればよろしいのに」
「え、クローゼットの衣装を私が?」
ユマは思わず目をぱちくりとさせて問い返す。
ジャミーラは目を細めて呆れた調子で言った。
「昨晩、この部屋にあるものは好きに使っていいとお伝えしたはず」
「そういえば……」
そうだったかもしれないと言葉が尻すぼみになるユマを放置して、ジャミーラはさっさとクローゼットの前へと向かう。
「あなた用に仕立てたものではありませんが、たぶんサイズも合うと思いますよ。大方似た体格ですし」
ざっとユマの全身を灰色の瞳で捉えると、ジャミーラは器用に前足でクローゼットを開けて探し始める。
ユマは微笑んでジャミーラを制止した。
「あ、いえいえ。私は真冬でも半袖で農作業ができるので大丈夫です。それに私、今の服にとても思い入れがあるものですから」
ジャミーラは振り向かなかったが、ユマは続ける。
「これは私の弟や従弟が五年ほど前に買ってくれた服なのですよ」
無視を決め込んでいたジャミーラが動きを止める。そんな彼女に、ユマは誇らしげに袖口を押さえながら言う。
「両親が亡くなったばかりであまりお金もなかったのですが、二人でお小遣いを貯めて、誕生日にプレゼントしてくれたのです。とても優しい子たちで……」
「五年前では、もう小さいでしょう」
ジャミーラはユマの言葉をさらりと受け流した。そんな彼女に気を悪くすることなく、ユマはうなずく。
「ええ。私はあんまり背が伸びなかったのですけど、さすがに丈は足らなくなっています。でも生地を継ぎ足したり、縫い直したりして着れば十分なので」
ジャミーラは静かに首を横に振って、暗い目でユマを見た。
「……すぐに変わりますよ、人間なんて」
「え?」
ジャミーラは独り言のように零す。
「人間は時の流れに勝てない。あなたの弟たちも、既にあなたの思うほど優しく純粋ではないでしょう」
ユマは不思議そうに首を傾げて、ためらいがちに言葉を返す。
「弟たちは変わらず優しい子たちです」
「あなただって、魔界に来て変わらなかったと言えますか?」
ジャミーラはそっけなく言い切って、じっとユマを見つめる。その灰色の瞳には、今は様々な感情が押し殺されている気がした。
「私は魔界に来たとき、妹と離別しました。今はどこにいるのかさえわからない。もしまた会えたら恨み言はいくらでも聞くつもりでしたが……たぶんもう生きてはいないのでしょう」
ジャミーラは先にユマから目を逸らして言葉を切る。
「……余計なことを言いました」
ジャミーラはそっけなくそう言いながらも、助言らしい言葉を続ける。
「家族は亡くなったと思いきった方がいいでしょう。過去に縋るのはやめて、早く魔界での生活に慣れなさい」
その言葉にはジャミーラの優しさが含まれているのを感じ取って、ユマはその気持ちを受け止めることにした。
(カイエたちはどこかで生きていると信じてる。でも探しに行くには、手がかりが何もない)
ユマは、今は弟たちを闇雲に探し回るより、ここでの生活に慣れた方がいいというジャミーラの言葉に従うことにした。
ユマもジャミーラの横に立って、適当な服を探し始める。
(うーん。私が着たら、服に申し訳ないような気がするわ……)
貧乏性に胸を痛めながら、ユマはジャミーラの表情をうかがった。銀豹は忙しくクローゼットの中に目を走らせて、ドレスとユマを見比べている。
「ええと、どの程度のどれすこーどでしょう?」
「なるべく目立たない格好です」
「なるほど、下積みの基本ですね」
(まずは悪魔の諸先輩たちにご不快にならないのが大切ね)
ユマはうなずいて、そのときはジャミーラの言葉を不審に思うことはなかった。
(また寝過ごしちゃった。私ののんびりさんめ)
ユマは体を起こして伸びをすると、めっと自分を叱る。
夢うつつの状態で、ジャミーラが夜になったらまた来ると言ったのを聞いた気がする。
ユマの魔界に来ても機能している正確な体内時計は、そろそろ夜だと伝えていた。
ユマは寝台を抜け出すと、身支度を整えようと部屋を見回す。
(でも、私が持ってきたのってこの服だけね。じゃあこれで準備万端)
ユマは窓辺に歩み寄って、カーテンの向こうを見上げた。どうやら鍵はしっかりと掛けられてしまったようだが、外の様子はうっすらとうかがうことができる。
遠い天上に、細い円の輪郭が見えた。暗闇の中に走る一筋の白い線は、何かの色と似ている気がする。
(あ……もしかして、あれが月なのかしら)
『天界の象徴たる太陽と、魔界の象徴たる月が隠れる時。天使と悪魔の影たる人間が、光のない世界でその意義を手に入れる』
子どもの頃好きだった神話の本の言葉を、今もユマは覚えている。
(魔界の象徴たる月。エクリプスで隠れてしまったのね)
だとしたら、この暗さも理解できる。ユマはぼんやりと光の筋を見上げながら、考えを巡らせた。
(あのときの来訪者は、もしかしたら……)
「……ユマ、こんなところで座り込んで何をしているのですか?」
ユマがはっとして目を開くと、眼前に銀豹が鎮座していた。
ユマは笑って言葉を返す。
「ああ、ジャミーラさん。すみません、ちょっと考え事を」
「魔界の夜は冷えますよ。もっと暖かい服を出して着ればよろしいのに」
「え、クローゼットの衣装を私が?」
ユマは思わず目をぱちくりとさせて問い返す。
ジャミーラは目を細めて呆れた調子で言った。
「昨晩、この部屋にあるものは好きに使っていいとお伝えしたはず」
「そういえば……」
そうだったかもしれないと言葉が尻すぼみになるユマを放置して、ジャミーラはさっさとクローゼットの前へと向かう。
「あなた用に仕立てたものではありませんが、たぶんサイズも合うと思いますよ。大方似た体格ですし」
ざっとユマの全身を灰色の瞳で捉えると、ジャミーラは器用に前足でクローゼットを開けて探し始める。
ユマは微笑んでジャミーラを制止した。
「あ、いえいえ。私は真冬でも半袖で農作業ができるので大丈夫です。それに私、今の服にとても思い入れがあるものですから」
ジャミーラは振り向かなかったが、ユマは続ける。
「これは私の弟や従弟が五年ほど前に買ってくれた服なのですよ」
無視を決め込んでいたジャミーラが動きを止める。そんな彼女に、ユマは誇らしげに袖口を押さえながら言う。
「両親が亡くなったばかりであまりお金もなかったのですが、二人でお小遣いを貯めて、誕生日にプレゼントしてくれたのです。とても優しい子たちで……」
「五年前では、もう小さいでしょう」
ジャミーラはユマの言葉をさらりと受け流した。そんな彼女に気を悪くすることなく、ユマはうなずく。
「ええ。私はあんまり背が伸びなかったのですけど、さすがに丈は足らなくなっています。でも生地を継ぎ足したり、縫い直したりして着れば十分なので」
ジャミーラは静かに首を横に振って、暗い目でユマを見た。
「……すぐに変わりますよ、人間なんて」
「え?」
ジャミーラは独り言のように零す。
「人間は時の流れに勝てない。あなたの弟たちも、既にあなたの思うほど優しく純粋ではないでしょう」
ユマは不思議そうに首を傾げて、ためらいがちに言葉を返す。
「弟たちは変わらず優しい子たちです」
「あなただって、魔界に来て変わらなかったと言えますか?」
ジャミーラはそっけなく言い切って、じっとユマを見つめる。その灰色の瞳には、今は様々な感情が押し殺されている気がした。
「私は魔界に来たとき、妹と離別しました。今はどこにいるのかさえわからない。もしまた会えたら恨み言はいくらでも聞くつもりでしたが……たぶんもう生きてはいないのでしょう」
ジャミーラは先にユマから目を逸らして言葉を切る。
「……余計なことを言いました」
ジャミーラはそっけなくそう言いながらも、助言らしい言葉を続ける。
「家族は亡くなったと思いきった方がいいでしょう。過去に縋るのはやめて、早く魔界での生活に慣れなさい」
その言葉にはジャミーラの優しさが含まれているのを感じ取って、ユマはその気持ちを受け止めることにした。
(カイエたちはどこかで生きていると信じてる。でも探しに行くには、手がかりが何もない)
ユマは、今は弟たちを闇雲に探し回るより、ここでの生活に慣れた方がいいというジャミーラの言葉に従うことにした。
ユマもジャミーラの横に立って、適当な服を探し始める。
(うーん。私が着たら、服に申し訳ないような気がするわ……)
貧乏性に胸を痛めながら、ユマはジャミーラの表情をうかがった。銀豹は忙しくクローゼットの中に目を走らせて、ドレスとユマを見比べている。
「ええと、どの程度のどれすこーどでしょう?」
「なるべく目立たない格好です」
「なるほど、下積みの基本ですね」
(まずは悪魔の諸先輩たちにご不快にならないのが大切ね)
ユマはうなずいて、そのときはジャミーラの言葉を不審に思うことはなかった。