村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

2 怪しいお客さん

 来訪者は頭も体もすっぽりとローブで覆っているが、肩に厚く雪が積もり、真冬にしては少々薄着だった。
 カイエは慌てて姉を引き寄せて後ろに庇う。
「ユマ姉! 離れて!」
 ここは二階で、階下には大人たちがいる。カイエはすぐに、不穏な来訪者を階下に伝えようとした。
 けれど来訪者は口元に人差し指を立てて、ささやくように言った。
「すぐに立ち去る。ただ……似た匂いを感じて、立ち寄っただけ」
 男の声は低かった。年齢は定かではないが、まだ二十台ほどの若さだろう。
 どこか高貴な空気もまとう来訪者だった。ユマはそっとカイエを制すると、男の袖を手に取って中へ招き入れようとする。
「あ、あの。この吹雪では宿屋もわからないでしょう。こんな山小屋でよろしければ、今夜はお泊りになってください」
「ユマ姉!」
 張り詰めるような警戒を向けていたカイエが制止する。
 カイエは姉に食って掛かって言う。
「知らない人間を家に入れちゃだめだ!」
「でもお困りじゃないかしら。こんな猛吹雪の夜でしょう?」
「だめ!」
 男は二人の言い合いをさらりと流してうなずいた。
「泊まるつもりはない。足を休ませてほしい」
「では」
 せめて暖まるだけでもと、ユマは男を暖炉に一番近い椅子に掛けさせた。彼はローブを着込んだまま肘掛け椅子に座り、しばらく沈黙する。
 ぱちりと小さな暖炉の火が爆ぜた。ユマは子どもの無邪気さで問いかける。
「どこからおいでになったのですか?」
 ユマはじゅうたんに座り込みながら男を見上げる。
 男はローブの下で、息のような言葉をもらした。笑ったようだった。
「たぶん想像もつかないほど遠いところだよ」
 ユマは木の器に温かい飲み物を入れてくると、そっと男に差し出す。
「どうぞ」
 湯気の立つそれを見やって、男は手を自分の頭に掛けた。
 ふわりとローブがほどけて、男はユマたちにその姿をさらした。
 男は銀髪を肩まで伸ばしていて、怜悧な白い肌をしていた。
 切れ長の双眸もすっと通った鼻筋も、ユマたちの目を引くには十分だった。
 けれどその姿を一目見て、カイエが凍りついた。
「紫の目……」
 カイエは姉以外に、その容姿を持った者を知らなかった。
 そして彼のまとう異質な空気は、どこか姉に近い。
 ……血のつながりのない姉の、縁の者?
 それと対面したとき、ユマとカイエの反応は真逆だった。
 男はユマを見やって、どこか親しい声音でささやく。
「君は私と近いもの」
 彼は次いでカイエを見やって、あざ笑うように付け加える。
「君には、私は悪魔のように見えているかな?」
 彼は冷たい微笑みを浮かべて、長椅子に背を預けて目を閉じる。
「大したことじゃない。明日には日常が戻るだろう」
 男はふいに目を閉じたまま口を開いた。
「……もし日常が変わる日が来たとしたら」
 彼は独り言のように言葉をつぶやく。
「君たちは天使と悪魔、どちらの声を聞くのかな?」
 その問いに、姉弟たちはお互いを見ることなく別の考えを浮かべた。
 仲の良い二人ではあったが、根本を支えるものは異なっていたから。
「……それは」
 一番男の側に居たユマが、そっと切り出す。
「私は天使様に従います」
 思いを言葉にすることができたのはユマだけだった。
 彼女はずっと信じてきた答えを胸にかみしめて答えた。
「弱い人間を哀れんで、世界の終焉を生き残ることができるよう、天使様はきっとお導きをくださいます」
「……ふむ」
 彼は立ち上がり、長身からユマの頭に手を当てる。
「君の本性はそうではないのに?」
「え?」
 その声は、喉を震わせる人間の声ではなかった。
 音というより直接頭に響いてくる、圧のようなもの。
「ユマ姉に何する!」
 異変を感じてつかみかかったカイエを、男は易々と避けた。まるで風にでもなってしまったかのように、姿がゆらめく。
 男は歌うように言葉を紡いだ。
「世界の終焉は今から十年後。君が二十歳になった時に起こる」
 ユマは男の紫の瞳を食い入るようにみつめ返す。
「終焉が……?」
「導く者を期待しては、命すら失うだろう」
 吹雪が突如として止み、暖炉の火すら消えうせる。
 暗黒の世界の中で、男は闇に溶けるような声を響かせた。
「ユマ。自らの力で、変わりゆく世界を駆け抜けよ」
 それはおそらく、ユマの求める天使そのものの啓示。
「……さあ、人間。自らの進む道と、新世界を創るがいい」
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