村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

20 お叱りは唐突に

 違和感に気づいたのは、ジャミーラに連れられて部屋を出てから、数刻後。
 螺旋階段を上った先にある魔法陣の間で、ジャミーラが振り向いて言った。
「あなたにはゼパール城を出ていただきます」
 ユマは一つうなずいて、あきらめの心境で相槌を打つ。
「そうですよね。私では、あのお部屋の家賃は払えそうにありません……」
「陛下の御心に反するとはわかっています。けれどその危険を置いても、この城にいるのは危険ですから」
 ユマはその辺りで、ジャミーラの意図と自分の思うところが違うと気が付いた。
 ジャミーラはユマを見据えて彼女の意思を告げる。
「側室たちの争いに巻き込まれる前に、後宮を抜け出した方がいい」
 ユマはそれを聞いて、ジャミーラを見返しながら思う。
(これはジャミーラさんのご厚意なのでしょう。けれどお母様の御心に反するというのは……何だか不穏な響きがある)
 ユマは少し迷って、ジャミーラに言葉を返そうとしたときだった。
「ふふ。随分急な引越しね、おちびさん」
 ユマが何か告げる前に、魔法陣の向こう側に女性が立っていた。
 それは昨夜ロスメルダを連れて行った悪魔で、胸元と腰の周りをかろうじて薄い布で覆っただけの艶なる姿の女性だった。
 彼女はからかうようにジャミーラを見下ろす。
「どちらへお出かけかしら?」
「エキドナ。少々急いでおりますので」
 ジャミーラは立ち去れと言外に含めて、エキドナを冷ややかに一瞥する。
 下からでも鋭い眼差しに、エキドナは濡れたような赤い髪を指で絡めながら笑う。
「ご挨拶ね。ずいぶんとこの娘に執心じゃないの」
「ただの厄介払いですよ。我が主の居城に、人間の娘など置いておけませんから」
「おや」
 エキドナは馬鹿にしたように鼻で笑って、暗い茶の瞳を瞬かせる。
「それだけでお前の大事な服を与えると?」
 ユマは、思わず自分が着たドレスとジャミーラを見比べる。
 目立たない格好と言われたから、色味は濃いグリーンでレースなどの飾りも最小限のものだ。
 ジャミーラはそっけなくエキドナに言った。
「私のような獣にドレスなど必要ないでしょう」
「どれも陛下に賜ったものでしょう? 恐れ多いことはおよし。……まあ、でもお前の言う通りでもあるわね」
 エキドナは口元に笑みを刻みながら告げる。
「お前は、今も陛下の意に反することばかり企てる。そのたびに仕置きをされているでしょう?」
 灰色の目を細めたジャミーラに、エキドナはことさら優しく告げる。
「うらやましいこと。お前も、実はそれが楽しみなのかしら?」
 狂気じみた笑みを零すエキドナに、ユマははらはらしながら思う。
(これが、悪魔なのかしら。アブナイ趣味、それから……ぎりぎりのどれすこーど)
 そのご衣装、目のやり場に困りますとは言えなくて、ユマはぐっと言葉を呑み込んだ。
 エキドナはジャミーラに引く気配がないと察したのか、肩を竦めてあっさりと魔法陣の部屋を後にしていった。
 エキドナの出て行った扉をまだはらはらしながらみつめるユマに、ジャミーラは感情のこもらない声で言う。
「嫌味の一つなど、聞き流しなさい。すぐに出発いたしましょう」
 ユマがはっとして顔を上げると、ジャミーラは苦笑していた。
「お気になさらず。エキドナは人間の娘が一人消えたくらいで、陛下に密告しようとはしない悪魔です」
「え、えと……」
 ユマはそれより自分の今着ているドレスをそわそわと触りながら思いを巡らす。
(つまりこれは、ジャミーラさんの服。もしかしたらあの部屋も?)
 広々としていて品の良い調度の並んだ部屋といい、絹がふんだんに使われたドレスといい、ジャミーラが魔王に深い寵を受けているのが想像できた。
 ユマは一度うなって、ジャミーラに声をかける。
「あの、私をここから連れ出して、ジャミーラさんは大丈夫なのですか?」
 質問を決行したユマに、ジャミーラは顔をしかめて答える。
「あなたに心配されるほど弱くはありません」
「まあ、そうでしょうけど、でも」
 あいまいに頷いてから、ユマは案外鋭く問いかける。
「先ほどのエキドナさんの言葉から察するに、私を逃がすのは、ジャミーラさんの立場を危うくするのではないでしょうか?」
 それはユマの杞憂というわけではなさそうだった。ユマを見て、ジャミーラは目を伏せる。
「……私の立場は確たるものではありません。ここで失態があったとして、大して変わりはありませんよ」
 ジャミーラにとっては危険な賭けなのだと、ユマはジャミーラの表情で察した。
 ユマは目を一度伏せてから、自分の心に確認する。
(それなら、私のすることは決まりね)
 ユマは顔を上げて、ジャミーラを正面から見返して言い放つ。
「私はここを出ません、ジャミーラさん」
「ユマ?」
「ロスメルダさんの時みたいに、私だけ無事なんてこと、もう嫌ですから」
「……馬鹿なことを言ってはいけません」
 ジャミーラはユマを睨みつけて言う。
「魔界では他人の心配などする余裕はありません。自分が生き延びることだけを考えなさい。私も……ずっとそうしてきたのですから」
「嘘です。だってジャミーラさん、私を助けようとなさってる」
「要らぬ被害者を増やしたくないからです。私には関係ありません」
 早口で言い放つ銀豹に、ユマは揺らがずに言った。
「ジャミーラさん。それが優しさです。悪魔さんにもある」
「お気楽な尺度で私を量らないでください」
 ジャミーラは頑なにユマの言葉を否定した。
「あなたの言葉や態度は、私を苛々させて仕方がない。優しさなど、誠意など、何の役にも立たないと早く思い知りなさい」
 苦々しく面持ちを歪めてジャミーラがうつむいた時だった。
 魔法陣の四方に光が迸った。ずんと床が沈む衝撃と共に、声が響く。
――許しを請え。盗人ども。
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