村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。
21 ドレスコードが難しいです
血が凍りつくような緊張がジャミーラに走った。彼女は辺りに響き渡る魔王の声に、恐怖したように震える。
空間がぺらりとはがれるように、何もないところから魔王が現れた。
四方に響き渡った声とは裏腹に、魔王は楽しげに微笑んでいた。それがかえってジャミーラには恐ろしかったのか、彼女はごくりと息を呑んだようだった。
魔王はふわりと着地して、身動き一つ取らないジャミーラの元に歩み寄る。
「確かにお前が苛立つのもわかる。汚れを知らぬ心……まさに、この娘はお前が魔界に来た頃にそっくりだ」
魔王はくいとジャミーラの顎を上げて言った。
「だがな、ジャミーラ。私は今のお前の方が可愛い。無邪気に擦り寄ってきた小娘の頃よりも、混沌とした感情に耐えながら私の側にあらざるをえない奴隷の方が」
顔を伏せたままの銀豹の体が頼りなげに震える。魔王はくっと目を細めてつぶやく。
「……可愛くて仕方がないゆえ、罰を与えてやらねばな」
ユマにも強い耳鳴りが聞こえたとき、魔王の指先から閃光が迸った。
擦り切れるような苦悶の悲鳴がジャミーラから漏れた。
ユマは慌てて我に返り、ジャミーラの側に屈みこんで彼女に触れる。
「ジャミーラさんっ?」
「きゃぁぁっ!」
銀糸のような光がジャミーラに絡まって、彼女は地面にうずくまる。次第に端正な面立ちが弱弱しく歪んでいき、彼女の目から光が消えていった。
「……う」
閃光がやみ、銀糸は跡形もなく消える。その代わりに、ジャミーラは大量の血を吐き出して倒れた。
ユマは顔色を失って声をかける。
「ジャミーラさん! しっかりしてください!」
美しい銀色の毛皮が、吐き出された血でみるみる紅に染まっていく。
外傷はないのに、ぴくりともジャミーラは動かない。ユマはそのことに血の気をなくしながら、銀豹に声をかけ続けた。
「どうされたんですか! ジャミーラさん!」
「もうそれは話すまい」
魔王は天気の話でもするかのように何気なく言う。
「その体は死んだからな」
「……な」
ユマの反応を蔑むかのように、魔王は声を洩らして笑った。
「何を驚く? ジャミーラは私のものを持ち出そうとした。盗みは重大な罪だろう?」
「私のことですか? 私は人間界から転がってきた石ころみたいなものです!」
「お前も盗人だな」
どうすればわからず首を横に振るユマに、魔王は淡々と答える。
「……お前もジャミーラを盗もうとしたな」
ふと魔王は感情のない瞳をユマに向ける。
「久々だな。ジャミーラが気に入る人間とは。お前にも、罰を受けてもらおうか」
ユマに再び耳鳴りが聞こえて、同時に迸った閃光に目を細める。
魔王はジャミーラの体の上に手を置くと、そこから白い球体を取り出す。
「お前にも見えるよう、魂を具現化している」
それは羽毛のように淡い輪郭に囲まれた、頼りなげな光の結晶だ。輝きを放つそれを、ユマは食い入るように見つめる。
「ジャミーラさんの魂?」
「そうだ。肉体は滅んでも、魂はすぐに消えない」
はっとして、ユマは魔王を仰ぎ見ながら言葉を続ける。
「ではジャミーラさんは、まだ?」
落ち着きを取り戻したユマに、魔王は白い魂を見下ろしながら呟くように答えた。
「その体は仮初めゆえ。体を入れ替えれば生き始める」
魔王は包み込むように魂を両手の中に収めると、試すような眼差しでユマを見やった。
ユマは大きくうなずいて言った。
「あっ。では私がお預かりします!」
魔王の言葉の意図を察して、ユマは慌てて魂の方へ手を伸ばす。
ふいに指先に、清流のような不思議な感触が掠めた。
一瞬の異物感があって、意識が分厚い膜に包み込まれていくのを感じた。
魔王は楽しそうに言葉を告げる。
「泣くか、ジャミーラ」
ユマには自分の頬に涙が伝う感触すら、どこか遠くで見守っているようだった。
ユマが心に感じたもの。それはジャミーラが魔王に抱く感情の数々だった。
悲しみ、怒り、憎しみ、憧れと……切り裂くような愛おしさ。
(こんなに複雑な感情が一つの体で共存しているの……?)
それは言葉で形容することなど途方もない代物だった。重くて、痛くて、圧迫するような苦しみをもたらす心に、ユマはめまいを感じて足元をふらつかせる。
(やっぱり私はお気楽なのかも。この女性の心は推し量れないほどに深い)
「……なぜ殺すなら早く殺してくださらないのか」
ジャミーラの空しい言葉がユマの口をついて出る。
「あなたを裏切ろうとしたことなど数え切れぬほど。それなのに、犠牲になるのは私の周りの者ばかり……」
ジャミーラは憂えるように息をついて、空ろな瞳で床をみつめる。
「もう戯れはおやめください。お怒りはすべて私が引き受けますゆえ」
ユマの声でありながら、そこには強く儚い少女の憂いが混在していた。
哀れな声色を聞いて、魔王は奇妙な慈しみの目で包み込むように捉える。
「言っただろう? 私はお前が可愛くて仕方がないのだよ。ゆえに、そう簡単には死なせてやらぬ」
微笑みながら、魔王はユマのまぶたにそっと口付ける。
次いで、魔王は襟元のボタンを引きちぎった。
(あっ。このご衣装ではだめということ?)
ジャミーラのことを一瞬忘れて、ユマは意識の奥で残念がる。
(言っていいのかわからないけど。魔界って、どれすこーどが難しすぎます……)
ユマの体は次第にジャミーラの精神に覆われていき、彼女自身は深い意識の底に沈んでいった。
空間がぺらりとはがれるように、何もないところから魔王が現れた。
四方に響き渡った声とは裏腹に、魔王は楽しげに微笑んでいた。それがかえってジャミーラには恐ろしかったのか、彼女はごくりと息を呑んだようだった。
魔王はふわりと着地して、身動き一つ取らないジャミーラの元に歩み寄る。
「確かにお前が苛立つのもわかる。汚れを知らぬ心……まさに、この娘はお前が魔界に来た頃にそっくりだ」
魔王はくいとジャミーラの顎を上げて言った。
「だがな、ジャミーラ。私は今のお前の方が可愛い。無邪気に擦り寄ってきた小娘の頃よりも、混沌とした感情に耐えながら私の側にあらざるをえない奴隷の方が」
顔を伏せたままの銀豹の体が頼りなげに震える。魔王はくっと目を細めてつぶやく。
「……可愛くて仕方がないゆえ、罰を与えてやらねばな」
ユマにも強い耳鳴りが聞こえたとき、魔王の指先から閃光が迸った。
擦り切れるような苦悶の悲鳴がジャミーラから漏れた。
ユマは慌てて我に返り、ジャミーラの側に屈みこんで彼女に触れる。
「ジャミーラさんっ?」
「きゃぁぁっ!」
銀糸のような光がジャミーラに絡まって、彼女は地面にうずくまる。次第に端正な面立ちが弱弱しく歪んでいき、彼女の目から光が消えていった。
「……う」
閃光がやみ、銀糸は跡形もなく消える。その代わりに、ジャミーラは大量の血を吐き出して倒れた。
ユマは顔色を失って声をかける。
「ジャミーラさん! しっかりしてください!」
美しい銀色の毛皮が、吐き出された血でみるみる紅に染まっていく。
外傷はないのに、ぴくりともジャミーラは動かない。ユマはそのことに血の気をなくしながら、銀豹に声をかけ続けた。
「どうされたんですか! ジャミーラさん!」
「もうそれは話すまい」
魔王は天気の話でもするかのように何気なく言う。
「その体は死んだからな」
「……な」
ユマの反応を蔑むかのように、魔王は声を洩らして笑った。
「何を驚く? ジャミーラは私のものを持ち出そうとした。盗みは重大な罪だろう?」
「私のことですか? 私は人間界から転がってきた石ころみたいなものです!」
「お前も盗人だな」
どうすればわからず首を横に振るユマに、魔王は淡々と答える。
「……お前もジャミーラを盗もうとしたな」
ふと魔王は感情のない瞳をユマに向ける。
「久々だな。ジャミーラが気に入る人間とは。お前にも、罰を受けてもらおうか」
ユマに再び耳鳴りが聞こえて、同時に迸った閃光に目を細める。
魔王はジャミーラの体の上に手を置くと、そこから白い球体を取り出す。
「お前にも見えるよう、魂を具現化している」
それは羽毛のように淡い輪郭に囲まれた、頼りなげな光の結晶だ。輝きを放つそれを、ユマは食い入るように見つめる。
「ジャミーラさんの魂?」
「そうだ。肉体は滅んでも、魂はすぐに消えない」
はっとして、ユマは魔王を仰ぎ見ながら言葉を続ける。
「ではジャミーラさんは、まだ?」
落ち着きを取り戻したユマに、魔王は白い魂を見下ろしながら呟くように答えた。
「その体は仮初めゆえ。体を入れ替えれば生き始める」
魔王は包み込むように魂を両手の中に収めると、試すような眼差しでユマを見やった。
ユマは大きくうなずいて言った。
「あっ。では私がお預かりします!」
魔王の言葉の意図を察して、ユマは慌てて魂の方へ手を伸ばす。
ふいに指先に、清流のような不思議な感触が掠めた。
一瞬の異物感があって、意識が分厚い膜に包み込まれていくのを感じた。
魔王は楽しそうに言葉を告げる。
「泣くか、ジャミーラ」
ユマには自分の頬に涙が伝う感触すら、どこか遠くで見守っているようだった。
ユマが心に感じたもの。それはジャミーラが魔王に抱く感情の数々だった。
悲しみ、怒り、憎しみ、憧れと……切り裂くような愛おしさ。
(こんなに複雑な感情が一つの体で共存しているの……?)
それは言葉で形容することなど途方もない代物だった。重くて、痛くて、圧迫するような苦しみをもたらす心に、ユマはめまいを感じて足元をふらつかせる。
(やっぱり私はお気楽なのかも。この女性の心は推し量れないほどに深い)
「……なぜ殺すなら早く殺してくださらないのか」
ジャミーラの空しい言葉がユマの口をついて出る。
「あなたを裏切ろうとしたことなど数え切れぬほど。それなのに、犠牲になるのは私の周りの者ばかり……」
ジャミーラは憂えるように息をついて、空ろな瞳で床をみつめる。
「もう戯れはおやめください。お怒りはすべて私が引き受けますゆえ」
ユマの声でありながら、そこには強く儚い少女の憂いが混在していた。
哀れな声色を聞いて、魔王は奇妙な慈しみの目で包み込むように捉える。
「言っただろう? 私はお前が可愛くて仕方がないのだよ。ゆえに、そう簡単には死なせてやらぬ」
微笑みながら、魔王はユマのまぶたにそっと口付ける。
次いで、魔王は襟元のボタンを引きちぎった。
(あっ。このご衣装ではだめということ?)
ジャミーラのことを一瞬忘れて、ユマは意識の奥で残念がる。
(言っていいのかわからないけど。魔界って、どれすこーどが難しすぎます……)
ユマの体は次第にジャミーラの精神に覆われていき、彼女自身は深い意識の底に沈んでいった。