村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

6 あきらめたわけではない

「どうしたの、突然」
 ユマは唐突に持ち掛けられた提案に首を傾げる。カイエはそれが心外そうに言葉を続けた。
「今思いついたことではないよ。こんなちっぽけな村で姉さんが一生を終えるのはあんまりだろう」
「ちっぽけだなんて」
 ユマは眉をひそめて、弟を仰ぎ見る。
「お父様とお母様が残してくださった土地だもの。小さくとも、私にとっては何より大切なものよ」
「姉さんには危機感というものがないのか?」
 カイエは思わず声にいらだちを混ぜた。いつも心穏やかであれという、修道士の心得を知らず破っていた。
「村の連中がどんな目で姉さんを見ているか、わかってないんだな。いずれ無理にでも結婚させられる。それでいいのか?」
「いいえ、カイエ」
 ユマは邪気のない微笑みを浮かべて、鮮やかな紫の瞳でじっと弟を見つめる。
「それもまた、天使様のご意思だと思うわ。私は村を愛しているし、夫となる人も愛するように努力する」
「姉さん。流されてはいけないよ」
 ぴしゃりとはねつけるような弟の言葉に、ユマは小首を傾げる。
「なぜ?」
「天使の意思なんて虚構の産物だ。姉さんはおっとりしてるけど機転は利くし、美人だ。……それを頼りに自らの道を創って、歩くんだ」
 ユマをみつめながら告げた弟に、ユマの耳に蘇る声があった。
 自らの道を創れ。誰かがそんなことをユマに言った気がしたが、それが誰かを思い出せなかった。
 ユマははっと回想から目覚めて、慌てて姉としての言葉をかける。
「カイエ。修道士がそんなことを言ってはいけないわ」
「ではたとえば……レーヌはどうする?」
 カイエはふいに姉から目を逸らして、広場できゃいきゃいとはしゃいでいる従妹の方を見やる。
「レーヌ。少しおいで」
 カイエが呼ぶと、レーヌは走ってやってきた。 
「何? おにいちゃん」
「レーヌは首都に住んでみたくはありませんか?」
「首都?」
 目をきらきらとさせて、レーヌは従兄の袖を引っ張る。
「おいしいもの、いっぱいあるの?」
「ええ。珍しいお菓子も、異国の不思議な衣装も、可愛い動物もいます」
「動物? いいなぁ。おにいちゃん、連れてってくれるの?」
 すぐに身を乗り出す従妹に、カイエは口元を綻ばせて微笑む。
「レーヌがお勉強もすると約束するならね」
「今だってしてるよ。あんまり好きじゃないだけだもん」
 ぶすっと頬を膨らませて、レーヌは何かを思いついたように顔をかげらせる。
「……あっ。でも駄目なの」
 レーヌはくるっとユマの方を見て言った。
「おねえちゃんを置いてなんて行けないの。ロタにいちゃんは昼間お仕事だし」
「レーヌ……」
 察しのいいユマはカイエが言おうとしたことを理解して、口をつぐむ。
「おわかりでしょう、姉上」
 カイエはレーヌの頭を撫でながら神妙に続ける。
「レーヌの教育のためにも、姉上には首都に来ていただきたいんです」
 ユマは弟の言葉を心で繰り返しながら目を逸らす。
(私が負担になっては、レーヌにかわいそうだわ。だけど……)
 けれどユマは姉だった。両親の代わりに弟や従兄妹たちを守って来たユマには、カイエのような野心の代わりに、諦観に似た落ち着きがあった。
「それでも、私はこの土地を守らなければ」
 決意したように言う姉に、カイエが露骨に眉を寄せる。
「姉上」
「レーヌはあなたが連れて行ってあげてちょうだい。あなたなら、この子をしっかり監督してくれるはずだもの」
「……違います、姉上」
 カイエは顔をしかめて返す。
「姉上を置いていくのが心許ないのです。こちらには信頼できる人間を遣しますから、どうか遠慮せずにいらしてください」
「大丈夫よ。確かに頼りないお姉ちゃんかもしれないけど、小作の人たちにはそれなりに信頼されてるのよ」
 ねっと首を傾けるユマは、安心させようとしているが危なっかしい。
「そうじゃなくて。ああ、もう……」
 軽く頭を押さえると、カイエはため息をついて踵を返す。
「またおいおいに連絡いたします」
「え?」
「いいですね。……僕は姉上を決してこのままにはしておきませんから」
 カイエの最後の言葉の意味が掴めないまま、ユマはしばらくその場に立ち竦んでいた。
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