村娘は魔界で立派な悪魔を目指すようです。

7 ごめんなさい、へびさん

 太陽がもっとも高く昇る時刻、ユマは空を仰いで気づいた。
「あら?」
 空は雲で覆われ始めていて、ユマは首を傾げる。
 ユマはレーヌが転げまわって服につけた土を落としてやりながら言った。
「雨かしら。さっきまであんなに晴れていたのに」
「料理を片付けるようにって、おばちゃんたちに言う?」
「ええ。お願い」
 ユマは片付けを始めながら、村人たちに家の中へ入るように勧める。いつも通りの働きぶりの彼女に、村人たちは苦笑して言った。
「ユマは中に入りな。俺たちが片付けるから」
「いえ、私も」
「いいからいいから。朝から準備、大変だったろう?」
「雨に濡れでもしたらいかんよ」
 村の年配の男たちは、ユマを娘に対するように可愛がってくれていた。彼らはユマに気安く笑いかけて、ユマから皿を受け取る。
 壮年の女性もユマに手招きして言った。
「ユマ。さ、こっちに入りな」
「ありがとうございます」
 快く扉を開いた女性にお礼を言って、ユマは家に入れてもらう。
 パタパタとあちこちで片付けと家の中に入っていく気配がしていて、ユマも部屋の中で皿を洗ったりしながらそれを聞いていた。
 それとはまったく異質のざわめきが起こったのは、まもなくのことだった。
 ユマはそっと扉の隙間から外をのぞき見る。
「……え?」
 ユマは目を見張って、村人たちのざわめきの正体を知った。
 先ほどまでの明るさなど嘘だったかのような、暗黒の空がそこにはあった。太陽だけは白々しいほどに照り輝いているのが、かえって不気味だった。
 ゴ……っと、空を押しつぶすような轟音が響いた。
 テーブルを運んでいた男たちもうめくように空を仰ぐ。
「おいおい……!」
 誰もが目を見張る中、ゆっくりと空が動いたように見えた。
 男たちは信じられないものを見る目でその光景に立ちすくむ。
「太陽が……」
 金色の太陽が漆黒の闇に覆われていく。それは太陽がまるで黒い化け物にでも飲み込まれるかのようだった。
 その光景はユマに一つの古い絵を思い出させた。
 消える太陽、失われる月。
 動揺する人々、静かに受け入れる動植物。
 そしてその後に現れるのは、限りなく永い闇だという。
(聖書の中の光景が、私の目の前に?)
 ごくりと乾いた喉を動かして、ユマは息を呑んだ。
(世界の終焉、エクリプス……!)
 ユマの耳に痛いほどの耳鳴りが迫ってきた。
 同時に突き上げるような激しい地の揺れが襲う。
「きゃっ!」
「ユマ!」
 地面に打ち付けられて、ユマは悲鳴をもらした。側に駆け寄ろうとした女主人にも、とても身動きできないほど断続的な揺れが襲う。
 地震は長く容赦なく、世界が壊れるように激しさを増すばかりだった。
「……ぁ!」
 鼓膜が破けるような轟音と、真っ白な光が空を覆った。
 太陽の光は完全に消えうせて、世界は真っ暗に変化する。
「うわぁぁぁ!」
 広場の方で悲鳴が上がった。
 ユマは何とか体を起こして、うずくまったまま扉の向こうを見やる。
「そんな……!」
 ユマが隙間から見たもの、それは無数の蛇や毒虫が地面から生まれ出て、外の男たちを食い荒らしている光景だった。
 獰猛な唸りを上げて襲い掛かる化け物たちから、哀れな人々はただ逃げ回ることしかできない。
 気の強い女主人もそれを見て悲鳴を上げる。
「な、何が、……ひゃぁあ!」
 女主人はへなへなと壁に沿って倒れる。ユマはそれを助け起こしながら、自分も激しく動揺していた。
「おばさま、しっかり! こ、こんな、一体……」
 地獄絵図にユマもひととき落ち着きを失ってうずくまっていた。
 けれど彼女には自身の根底に焼きついた使命があった。一度息を吸って自分を落ち着かせると、力を入れて立ち上がる。
「レ、レーヌを探さなきゃ!」
「あっ、ユマ! 駄目だ、外に出るんじゃない!」
 制止の声を無視して、ユマは外へ走り出す。
「ごめんなさい、どいて、へびさん!」
 絡み付く蛇を振り払いながら、必死で闇の中を駆け抜ける。
(レーヌ、カイエ、ロタ! どうしよう、みんな、無事でいて……!)
 怖くないわけではないが、自分より後に生まれた弟たちを守るのはユマにとって当然のことだった。襲い掛かる化け物に謝りつつ、時に踏みつつ、ユマは大急ぎで駆けていく。
 ふいに何か固いものにぶつかって、ユマは反射的に謝った。
「ごめんなさい……ぁ」
 言葉が消え失せたのは、それは化け物というにはあまりに人に似ていたからだった。
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