女子高生のワタクシが、母になるまで。
教育的指導
「さっき一緒だったのは、文化祭のときに来たOBの子だな?」
「そうです」
「彼と付き合っているのか?」
「今日呼び出されて――付き合ってほしいって言われてOKして…あとは先生の見た通りです」
「OKしたということは、好きだったんだろう?」
まさか「なぜホテルに入るのを拒否した?」とは、教師として聞くわけにいかない。それでも察しのいい河野は、分かるように丁寧に話してくれた。
もともとは自分から好きになって告白したが、「高校生とは付き合えない」と断られた。
だから高校を卒業したら再び告白しようと決めていたが、向こうから逆に告白された。
そしてそれにOKしたら、急にホテルに行こうと誘われた。
「待ってやったとか色目使ったとか言われて、ちょっと幻滅しちゃったことも事実です」
「しかし彼にしてみたら、自分を好いていたはずの子に、ほかに好きな人がいると言われて土壇場で拒否では、堪えるだろうな」
「え、私、そんなこと言ってませんよ」
「いいや、俺ははっきりこの耳で『好きな人がいる』と聞いた。だから嫌だったんだろう?」
「じゃ、売り言葉に買い言葉だったんです、きっと」
河野は顔に似合わず強情だな。
河野はカフェモカをひと口飲んだ後、なぜかコップの水もひと口飲んだ。
チェイサーが要るほど強い飲み物でもないだろうが、口をさっぱりさせたかったのだろう。
「あんなこと言う人だったなんて…がっかりです…」
「それこそ売り言葉に買い言葉かもしれない。人はああいうときに本音が出てしまうものだから、それが彼の本質かもしれないが、それだけで好きか嫌いを判断するのは早計ではないか?」
俺は何をいい子ぶって、もっともらしいことを言っているのだ。
「そうかもしれません…けど…」
「彼も暴言を吐いて悔やんでいるかもしれない。冷静にもう一回話し合ってもいいのではないか?好きなんだろう?付き合いたいと思う程度には」
「です…けど…でも…」
話が進めば進むほど、河野の態度が煮え切らなくなる。
そして俺は本心とは裏腹に、河野が彼との仲を修復するために背を押すようなことばかり言ってしまう。
まだ彼女にとっては「担任の先生」だからだ。
◇◇◇
「彼、“胡瓜忌”って言ったんです?」
「きゅうり…き?なんの話だ?」
「ほら、芥川龍之介の命日の…」
「ああ、“河童忌《かっぱき》”か。ユニークな間違え方をしたな」
「多分、正岡子規の“糸瓜忌《へちまき》”ともごっちゃになってるのかなって思います」
「ああ、なるほどね」
「だけど年上だし、恥かかせたくないって思って指摘できませんでした」
「…それで?」
「あ、私、何言ってるんだろ?あのときはちょっとイラッとしたけど、まだ我慢できました。でも私のことを最初に拒絶したのは自分なのに『待ってやった』って言ったりするのは、やっぱりそういう言い間違いとはわけが違うよなって思って」
「うん、何となくは分かる気がする」
人というのは感情任せに話すことも、計算して話すこともある。ただ、その両方のバランスを考えながら話すことはない。
なのに、計算しつくされたシナリオのセリフを話すかのように、ある言葉が後々の言葉の伏線になっていたことに気付くことがある。無意識にそんなことをやってしまっているのだ。
多分だが、「クイズ研のくせに記憶違いが多くて、イライラするような間違いをする人間」として、彼の負の面ばかりを認識してしまったのだろう。この子もなかなか面倒くさい子だな。
――しかし、そんなところもまた魅力ではある。
「じゃ、そこで質問しよう。彼が嫌いか?」
「嫌いとは――言い切れません」
「なら冷静になった方がいい。人間はどんな選択をしても後悔する生き物だ。後悔したくないと思ってした選択で後悔することも珍しくない。一晩頭を冷やしてから、謝るなり説明するなり彼の弁解を聞くなりしてもいいんじゃないか?」
「先生は、やっぱり先生なんですね」
「まあ先生だからな」
本日初めて、河野が俺に笑顔を向けてくれた。
「いいなあ、桐本先生のカノジョさんは。悩みでも何でも真剣に聞くんでしょう?」
「何を言っている?俺にはカノジョなんていないぞ?」
「え、この間のお店の人は?
ソウちゃんなんて呼ばれてデレデレしてたし」
しまった。聞かれていたのか。
◇◇◇
「デレデレはしていないし、カノジョでもない。あの子は俺の姪だ。姉の子供なんだ。姉が大分年上だからな。あの子も河野と同じ高3だ」
「えー…そっか、姪御さん。大人っぽいですね」
「こっちの大学を受験するために来たんだが、あの店のモーニングが食べたいから付き合えと言われたんだ」
「あー、結構雑誌とかでも取り上げられてるらしいから」
「姪はお前のことをチョー美少女だと言っていたぞ。メイド風のユニフォームも似合ってすごいなと」
「やだあ…見る目ありますね!」
「随分しょってるな。まあ、お前は本当にかわいいから、自信を持って彼と話し合うべきだぞ」
「え、かわいい…?」
「…真面目だし、頭もいい。とにかく自信を持つべきだ」
店の大きな窓の外をちらっと見ると、例の男がうろうろしているのが分かった。
本当は乗り込んできたいところを、バツが悪くてためらっているのか?
なら、俺のするべきことは一つだ。
◇◇◇
俺は河野に「そろそろ出よう」と声をかけ、男の前に河野を連れていった。
「智彦さん…」
「あの…さっきのこと謝りたくて…」
「そんな…私こそ…」
これなら何とかなりそうだな。では、もう一言お節介を。
「急いては事をし損じる、だ。
今日はもう彼女を家まで送っていってあげてくれ」
「…ざーっす」
「そうです」
「彼と付き合っているのか?」
「今日呼び出されて――付き合ってほしいって言われてOKして…あとは先生の見た通りです」
「OKしたということは、好きだったんだろう?」
まさか「なぜホテルに入るのを拒否した?」とは、教師として聞くわけにいかない。それでも察しのいい河野は、分かるように丁寧に話してくれた。
もともとは自分から好きになって告白したが、「高校生とは付き合えない」と断られた。
だから高校を卒業したら再び告白しようと決めていたが、向こうから逆に告白された。
そしてそれにOKしたら、急にホテルに行こうと誘われた。
「待ってやったとか色目使ったとか言われて、ちょっと幻滅しちゃったことも事実です」
「しかし彼にしてみたら、自分を好いていたはずの子に、ほかに好きな人がいると言われて土壇場で拒否では、堪えるだろうな」
「え、私、そんなこと言ってませんよ」
「いいや、俺ははっきりこの耳で『好きな人がいる』と聞いた。だから嫌だったんだろう?」
「じゃ、売り言葉に買い言葉だったんです、きっと」
河野は顔に似合わず強情だな。
河野はカフェモカをひと口飲んだ後、なぜかコップの水もひと口飲んだ。
チェイサーが要るほど強い飲み物でもないだろうが、口をさっぱりさせたかったのだろう。
「あんなこと言う人だったなんて…がっかりです…」
「それこそ売り言葉に買い言葉かもしれない。人はああいうときに本音が出てしまうものだから、それが彼の本質かもしれないが、それだけで好きか嫌いを判断するのは早計ではないか?」
俺は何をいい子ぶって、もっともらしいことを言っているのだ。
「そうかもしれません…けど…」
「彼も暴言を吐いて悔やんでいるかもしれない。冷静にもう一回話し合ってもいいのではないか?好きなんだろう?付き合いたいと思う程度には」
「です…けど…でも…」
話が進めば進むほど、河野の態度が煮え切らなくなる。
そして俺は本心とは裏腹に、河野が彼との仲を修復するために背を押すようなことばかり言ってしまう。
まだ彼女にとっては「担任の先生」だからだ。
◇◇◇
「彼、“胡瓜忌”って言ったんです?」
「きゅうり…き?なんの話だ?」
「ほら、芥川龍之介の命日の…」
「ああ、“河童忌《かっぱき》”か。ユニークな間違え方をしたな」
「多分、正岡子規の“糸瓜忌《へちまき》”ともごっちゃになってるのかなって思います」
「ああ、なるほどね」
「だけど年上だし、恥かかせたくないって思って指摘できませんでした」
「…それで?」
「あ、私、何言ってるんだろ?あのときはちょっとイラッとしたけど、まだ我慢できました。でも私のことを最初に拒絶したのは自分なのに『待ってやった』って言ったりするのは、やっぱりそういう言い間違いとはわけが違うよなって思って」
「うん、何となくは分かる気がする」
人というのは感情任せに話すことも、計算して話すこともある。ただ、その両方のバランスを考えながら話すことはない。
なのに、計算しつくされたシナリオのセリフを話すかのように、ある言葉が後々の言葉の伏線になっていたことに気付くことがある。無意識にそんなことをやってしまっているのだ。
多分だが、「クイズ研のくせに記憶違いが多くて、イライラするような間違いをする人間」として、彼の負の面ばかりを認識してしまったのだろう。この子もなかなか面倒くさい子だな。
――しかし、そんなところもまた魅力ではある。
「じゃ、そこで質問しよう。彼が嫌いか?」
「嫌いとは――言い切れません」
「なら冷静になった方がいい。人間はどんな選択をしても後悔する生き物だ。後悔したくないと思ってした選択で後悔することも珍しくない。一晩頭を冷やしてから、謝るなり説明するなり彼の弁解を聞くなりしてもいいんじゃないか?」
「先生は、やっぱり先生なんですね」
「まあ先生だからな」
本日初めて、河野が俺に笑顔を向けてくれた。
「いいなあ、桐本先生のカノジョさんは。悩みでも何でも真剣に聞くんでしょう?」
「何を言っている?俺にはカノジョなんていないぞ?」
「え、この間のお店の人は?
ソウちゃんなんて呼ばれてデレデレしてたし」
しまった。聞かれていたのか。
◇◇◇
「デレデレはしていないし、カノジョでもない。あの子は俺の姪だ。姉の子供なんだ。姉が大分年上だからな。あの子も河野と同じ高3だ」
「えー…そっか、姪御さん。大人っぽいですね」
「こっちの大学を受験するために来たんだが、あの店のモーニングが食べたいから付き合えと言われたんだ」
「あー、結構雑誌とかでも取り上げられてるらしいから」
「姪はお前のことをチョー美少女だと言っていたぞ。メイド風のユニフォームも似合ってすごいなと」
「やだあ…見る目ありますね!」
「随分しょってるな。まあ、お前は本当にかわいいから、自信を持って彼と話し合うべきだぞ」
「え、かわいい…?」
「…真面目だし、頭もいい。とにかく自信を持つべきだ」
店の大きな窓の外をちらっと見ると、例の男がうろうろしているのが分かった。
本当は乗り込んできたいところを、バツが悪くてためらっているのか?
なら、俺のするべきことは一つだ。
◇◇◇
俺は河野に「そろそろ出よう」と声をかけ、男の前に河野を連れていった。
「智彦さん…」
「あの…さっきのこと謝りたくて…」
「そんな…私こそ…」
これなら何とかなりそうだな。では、もう一言お節介を。
「急いては事をし損じる、だ。
今日はもう彼女を家まで送っていってあげてくれ」
「…ざーっす」