女子高生のワタクシが、母になるまで。
【センセイ目線】目で殺すは殺生の他

河野五月の決断


 あの卒業式の日から3日ほど経ってから、河野が学校の制服を着て進路指導室にやってきた。
 時間帯は放課後だったし、そのまますっと入ってきても制止されることはなかったろうが、きちんと事務室を通してきたのが律儀な河野らしくて、ちょっとくすっとなってしまった。

 真面目でお茶を淹れるのがうまい“アイドル”河野のことだ。
 ほかの教師も歓迎ムードだったので、みんなと愛想よく話をしていた。
 それを聞くともなしに聞いていると、

「短大へは下宿せず自宅から通う」
「3月末で今のアルバイトをいったん辞めるが、短大入学後、生活ペースを見ながら復帰させてもらうと店長と約束したので、ぜひ食べにきてほしい」
「ヨーグルト酵母のパンと、ナタデココとグレープフルーツが入ったミックスヨーグルトがお勧めである」
「やはりなんだかんだいって太宰治が一番面白いと思うので、このところ太宰ばかり読んでいる」
 などなど、脈絡なく情報が耳に飛び込んできた。

(俺の誕生日は――太宰と同じ6月19日だぞ)
 使いどころのないトリビアを抱え、俺ひとり悶々としていた。

「ところで、ひょっとして今日は桐本先生に用とか?」
 同じ国語担当の祖父江(そふえ)という教師がそう言ってくれたので、俺はやっと河野と話すことができた。
 アイドルの担任というのも歯がゆいものだ。

「あの――お久しぶりってわけでもないんですけど…報告が、ありまして…」
 例の国府田智彦とかいうOBのことか?
「そうか…」
「それで…できたらその…」
 そう言いながら、ちらっとほかの教師たちの方を見たので、俺も察した。

「今、相談室空いてますよね?ちょっと1つ借りたいんですけど」

 進路指導室に併設の「相談室」と呼ばれる小部屋が3つほどあるので、俺はそのうちの1つを使わせてもらうことにした。

◇◇◇

「それで、彼とのことは解決したのか?」
「あ、別れました」
「別れ…た?」
「お互いちゃんと納得ずくですので、ご心配なく」
「いや、そういうことではなく…この間の俺の話、聞いていたか?」

「聞いていたからちゃんとお別れしたし、先生に報告にきたんです」
「どういうことだ?」
「私…先生が好きなんです。だから智彦さんとはお付き合いできませんって言いました」
「は?誰が誰を好きだって?」

 もちろん聞こえてはいる。だが、聞き間違いとしか思えない。
 河野が俺を好きだと?あり得ないだろう。

「先生そういう冗談は嫌いだな。わざわざ制服まで着て、俺をからかいにきたのか?」
「そうやってはぐらかさないでください。私のこと嫌いだったら、はっきり迷惑だって言ってください!そうしたらすぐ帰ります」

 河野の鈴を張ったような目がしっとり濡れ、俺を見据える。
 本気なのだ。

「…迷惑だって言えたら、俺はこんなに苦しまない!」

 場をわきまえず、小さな河野を腕の中にしまった。
 卒業式の後だからセーフか? それともやはり今月末まではアウトか?
 どちらでもいい。俺も胸の内を河野に伝えたかった。

「俺も――ずっとお前が好きだった」
「…知ってましたよ、えへへ」
「こいつ…言うな」

 一応ドア1枚向こうは進路指導室だ。下手すれば話は丸聞こえの可能性もある。
 勢いに任せてキスしたかったがぐっと抑えていたら、すきを突かれ、河野が俺の頬にキスをした。

「ねえ。家まで送ってください。私、何だかちょっとくらくらします」
「送るだけだぞ」
「もちろんです。今後のためにもわがままは控えます」
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