女子高生のワタクシが、母になるまで。
【ふたりの目線】目に入れても 痛くない
プレ父・桐本宗輔
20xx年1月、出産予定日の4日前だった。
「初産は割と予定日より遅れることが多いって病院で言われました」
「そういうものか」
「個人差はあると思うけど」
俺は五月とともに近所の川べりの道を散歩していた。
お腹が大分大きくなったので、そうそう遠方には出かけられないが、休みの日はこんなふうに近所を散歩するのが最近の楽しみになっている。
「そうだ!職場の先輩が言っていたんですけど、赤ちゃんが生まれたら、しばらく外食しにくくなるから、食べたいものは今のうちに食べにいっておいた方がいいよって」
「――前にも聞いたな、その言葉」
「いいじゃないですかあ。「Massimo」のチーズソースのスパゲティが食べたいです」
店名のMassimoは英語ならMaximumという意味らしい。
その名のとおりというべきか、基本的に大皿で出すので、できるだけ複数人で行きたかったのだろう。
ただ、今の五月の食欲だと、アレを1人でペロッと食べそうだ。
「そうだな。あれは確かにうまい。行くか」
◇◇◇
散歩の途中、時々五月が「お腹が張って…」と言って顔をしかめて立ち止まる回数が多くなった。
父親学級の講習でも出てきた「前駆陣痛」というやつだろう。さすがに家に帰って休ませることにした。
予定日より少しだけ早いが、覚悟しておいた方がよさそうだ。
日付が変わるか変わらないかという時間、「痛みが5分置きぐらいになってきたから…」と言いつつ、五月が病院に電話をした。
「よし、行くか!」
◇◇◇
分娩室の前で待ちながら、いろいろなことを思い出していた。
五月の大きく見開いた瞳に魅せられた、県立F総合高校2年4組の教室。
進路指導室で淹れてくれたお茶。
情けない顔をして、コンビニの前でレモンティーをあおっていた姿。
バイト先のユニフォームが本当に似合っていたこと。
結婚してからは、くだらないことで喧嘩になることもあったが、五月の悪口が結構独創的なので噴き出してしまい、俺の方が先に白旗を揚げてしまったこと。
妊娠で少し情緒不安定になって、ささいなことで俺の浮気を疑ったこともあった。
あのときは、お腹を圧迫しないように力加減しながら、五月を抱きしめた。
疑われた情けなさより、焼きもちを焼かれたうれしさの方が勝ってしまったのだ。
いろいろなこと、と言った割に、思い出すのは五月のことばかりだ。
そんなことを考えながら、(多分だらしなく)口元を緩めていると、「兄ちゃん、初めてか?」と言いつつ缶コーヒーを差し出してきた人がいた。
40代と思しき、全体的にラフで気のいい感じの男性だった。
「あ、はい…」
「落ち着かねえよなあ。俺は4人目だから慣れたもんだが、それでもそわそわするのはいつも同じだ」
「4人目、ですか」
「ウチみたいなのがいっぱい産んでても、全体で均すと少子化とか言われてんだもんなあ」
「ですね、保育園の待機児の問題とかもあって、都市部は特に低いとか」
「そうそう。そうやっていいことばかりじゃないのに、毎回毎回、何でこんなにうれしいんだろって思うよ」
「お子さんたち、かわいいんでしょうね」
「そりゃまあな。憎たらしい口利かれると本気で腹も立つが、父の日の似顔絵1枚で帳消しだ」
「はは…」
「親なんてお手軽なもんだよ」
そんな話をしているうちに、赤ん坊の産声が聞こえた。
「沢田さん」と助産師に声をかけられたラフなお父さんが、「じゃ、頑張れよ――は変だが、まあ頑張れ」と言いつつ、席を立った。