女子高生のワタクシが、母になるまで。
ヒーローはセダンで登場
「あれ、河野か?」
「あ、先生…」
聞き覚えがある声がしたので、薄目を開けてみると、担任の桐本宗輔先生だった。
そう。私の名前は河野五月という。
50歳より上の教師から高確率で「そういう名前の国会議員、昔いなかったかな」って言われる以外は気に入ってる。
ただし、ややこしいんだけど五月生まれではない。
父も母もこの名前の音の響きが好きでつけたかったんだけど、あんまりしゃらくさい字使いにしたくなかった結果だそうだ。
母が出産後、父がすぐ出生届を出したんだけど、「よく考えたら、3月生まれの子に「五月」って変かしらね」と言われて、そのとき初めて「あ」と気付いたものの、「まあいいか」で終わったらしい。
まあ、名前の説明はこの辺にしておこう。
「お前随分さえない顔してるな。寝不足か?」
目を開けていられないので、先生の表情までは見えないけど、声の調子からすると、ちょっとからかっているような様子がある。
「眼科でさされた薬のせいで、目を開いていられないんです。まぶしくて…」
「ああ…なるほど」
先生にも覚えがあるのだろうか。すぐに通じた。
「じゃ、ちょっとここで待っていろ」
「え?」
◇◇◇
言われたとおりに待っていると、5分ぐらいで車に乗った先生が戻ってきた。
そうか、このコンビニって(クリニックもだけど)学校から近かったっけ。
「お前は助手席に乗れ。自転車は後部座席に入れる」
車はそんなに大きいわけでもない、ごく普通のセダンなので、自転車をすんなり積めるようにはできていない――と思う。
「え、でもシート汚しちゃいますよ」
「そんなの構わないさ。車に乗っていれば、お前は目を閉じていられるだろう?」
「ですけど…」
「こういうときのために担任がいるんだ。甘えてくれ」
「眼科で薬さされて辛そうな生徒を車で送る」というのは、別に担任の仕事ではない。
だけど桐本先生は優しくて頼れる信頼できる大人だと思うので、車に乗せてもらうことに抵抗もない。
「じゃ、お言葉に甘えて」
「1人で乗れるか?」
「それぐらいできますよお」
そのとき、介添えのつもりだったらしい先生の手が私の背中に触れて、すぐに離れた。
――どうやらそれが、後々のもめごとの原因になってしまうのだけれど、その話はまた後ほど。
◇◇◇
「病院では、少し休んでから帰れとか言われなかったか?」
「特には。でも、こんな症状が出るって説明もなかったんですよね」
「あまり言いたくないが、ちょっとハズレの医者だったのかもしれないな」
コンタクトや眼鏡をつくるときにお世話になっていただけで、不測のトラブルで診てもらったのは初めてだった。
そうか、あまり考えたくないけれど、ハズレだったのかな。
この辺でも割と大きくてきれいなクリニックで、大繁盛しているから、評判は悪くないんだと思うけれど、その分、ちょっと疎かになったちゃうのかもしれない。
逆に言うと、私の症状はそこまで深刻ってわけでもない――ことなのかな。
ずっと目をつぶっていて、視覚情報が入ってこないせいか、頭の中はいろいろと考えて大忙しだった。
「詳しいですけど、先生も経験があるんですか?」
「ああ、ちょっとな」
「ふうん…」
「何だ?お前みたいに鈴を張ったような目でなくても、目のトラブルぐらいはあるんだぞ」
「まだ何も言ってないじゃないですかあ!」
男の目には糸を引け、女の目には鈴を張れ、だっけ。
この言葉は桐本先生が授業中の雑談のなかでしていた。
「ルッキズムだのジェンダーだので、最近は使いづらい言葉だなあ」って話だったはず。
そういえば、「目病み女に風邪引き男」なんて言葉も教えてくれた。
昔からの言い習わしって、フェティッシュっていうか、結構マニアックな美意識丸出しなのもあって面白い。
「先生の目は確かに細いけど、糸ってほどでもないじゃないですか」
「お前、俺の話を覚えていてくれたのか?」
「国語の授業はいろんな言葉を覚えられて楽しいので」
「――そうか」
◇◇◇
先生は私の家に着くと、自転車を外に出して運び、母に事情を説明してくれた。
「まあ、ご親切にどうも。冷たいお茶でもいかがですか?」
「いえ、勤務中に少し出てきただけなので、これで失礼します。河野、くれぐれもお大事にな」
「本当にありがとうございました!」
私はもう感謝感謝で、深々と頭を下げて車を見送った。
そして母は先生の車が出ていくのを見送って、こんなことを言いだした。
「桐本先生はいつも素敵ねえ。あなたの「智彦さん」とはタイプが違うみたいだけど」
「お母さん、こんなときに変なこと言わないでよ!」
「智彦さん」こと国府田智彦さんは、私が今のところ片思いしている男性だ。
高校のOBで、私より4歳年上で大学生。1年浪人してるから3年生かな。
その智彦さんと並べられたら、桐本先生も「そういう対象」みたいじゃん…。
ただの担任の先生で、しかも7歳だか8歳だか年上なのに。
「でもね、女の子は父親似の男性を潜在的に求めるって聞いたことあるわよ~。桐本先生って、ちょっとウチのお父さんに似ている気がするんだけど」
「それは――確かにね」
長身、少し皮肉屋、文学好きの冗談好き、俳優でいえばクリストファー・ウォーケン並みの無表情さ。
確かに結構、通じるものはあるかもしれない。
というか、それは単に桐本先生もお母さんの好みというだけでは…。
潜在的にだろうが顕在的だろうが、それを私がよしとするかは別でしょ。
もちろん桐本先生は素敵な大人だと思うし、嫌いではないけれど。