【掌編】かわりもの
 ここまで私の話をつらつら述べてきたが、本題は何か?

 私の人生観だ。

 例えば人が早くお亡くなりになったとする。非常に演技の悪い話だが、世界ではこれが毎日起きている。

 若くして逝去した人が可哀想というのは、確かにわかる。

 例えば長生きした人がいたとする。八十、九十……それでも元気な人も、もちろん存在する。

 長生きして、すごいね、と思う。


 けれども本当にそうなのだろうか。長生きすることが幸せなのか。

 もちろん、長生きは不幸ではない。

 正しくは「長生きすることだけが幸せなのか、若くして死んだ人は不幸なのか」である。

 その人生が幸せだったか、それを決めるのは、当人であり他人ではない。死に際、人は自分の人生を、記憶の片端から振り返るだろう。あの時は大変だったな、あの時は報われたな、と思う。そして、それを踏まえて「私、幸せだったんだ」とか「俺の人生幸せだったんだなぁ」と感じたり「ちょっと報われなかったな」とか「不幸だったかも」と感じたりする。そう感じるのも当人である。そこに「長生きか早死か」の話は何もない。

 ここでいいたいのは、要は、人生の長さと幸せの深さは比例しない、ということだ。短い人生だったとしても幸せだったり、長い人生でも不幸だったりする。

 ちょうど私の推しがそれにあたる。彼は命を懸けて邪悪なものと戦う組織の幹部で、最終血戦でも懸命に戦った。しかし、諸悪の根源と戦う前に、胴体を真っ二つに切られた結果、亡くなってしまったのだ。

 ここまで読んだだけでは「可哀想」である。しかし彼の人生は、一言で言えば幸せだった。病や事故で家族が皆死に絶え、幼いうちに天涯孤独となった(辛い運命を歩んだ)が、かけがえのない仲間と、かけがえのない時間を過ごし笑い合える楽しい日々を送れた(幸せになれた)彼は、残された戦友に自分の想いを託して虹の橋を渡る。そして、亡き兄にそれを語る。

 恐らく後悔のない、幸せな人生だったのではないだろうか。もちろん「諸悪の根源と戦えなかった」のは「無念」かもしれない。しかし彼は信じていたのだ。そう「仲間が必ず斃してくれる、勝ってくれる」と。帰らぬ人となった彼は、黄泉の国で、その勝利を祈り、戦いの行く末を見守っていたのではないだろうか。

 短い人生でも幸せになれる。人はいつ死ぬかわからない生き物だ。私も、誰かを好きになり、結ばれ、子供を産んで、その成長を見届けるより遥かに早く、亡くなるかもしれない。どこにも「長生きできる」という保証はない。

 だから、今を幸せに生きるのが最大の目標だ。

 今、幸せよりも眼の前のタスクをこなすことを優先している人がいたら、一度立ち止まってほしい。

 明日死ぬことを想像したとき、その人生は、忖度なしで幸せと言えるのか。後悔はないか。やり直さないと気が済まないのは駄目だ。

 目の前の幸せじゃないことから、目を背けていい。

 仕事に息が詰まっているなら、少しコーヒーや紅茶を淹れてお菓子を食べて、幸せに浸ろう。

 勉強に息が詰まっているなら、一度好きな本を読んで、ついでに牛乳を飲んで、幸せに浸ろう。

 私にとって、その幸せが、執筆だっただけだ。

 あなたの幸せは、なんだっていい。スポーツ観戦、カラオケ、お絵描き、エトセトラ。

 その幸せを、限界まで突き詰める必要はない。のんびりやりたいならのんびりやる。とことんやるならとことんやる。諦めてもいい。

 死ぬときに、その人生が「幸せ」といえたなら、過程はなんでもいい。

 はみ出していい。逃げていい。立派じゃなくていい。恥ずかしくていい。

 罪を犯し、人を傷つける……それさえしなければ、つまり背徳がなければ、問題ない。

 幸せを、楽しもう。

 今を幸せに楽しもう。いつ死んでも、後悔がないように。
< 4 / 4 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:2

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

表紙を見る
最強御曹司は、地味子の溺愛をご要望で。

総文字数/884

恋愛(キケン・ダーク)3ページ

表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop