お誂えならサルトリア・ミラージュへ

02.誰だってやりうることを咎めない

「どうかしたの……って、あれ? ……目黒?」

 ドアを軽く押し開け中を覗き込んで見るけれど、肝心の当人の姿が見えない。引き戸の反対側で何か作業してるのかと思い部屋に入って見ると、案の定、部屋の奥で大量のバンチブックに頭を抱える彼女の姿が見えた。

 彼女は今年の春に入ってきた新卒で、文系大学院卒なのに、スーツフェチが高じてオーダースーツ屋へ就職したという、だいぶ物好きな子だ。入社後約一年が過ぎ、ようやく採寸を一人で任せられる技量にはなってきたけれど、まだまだ伸び代だらけで、よく言えば将来有望な子でもある。

「……目黒、どしたの?」
「店長ぉ〜……! すみません、私やらかしちゃって……今年のAWのバンチブック依頼をかけたはずだったのに、SS分がまた一揃えまとめて届いちゃいました」
「なぁんと……あっはは、ついにやらかしたねぇ~っ! いいよ〜!」

 数ヶ月前に依頼書の仕様が変わった時、一覧になった資料請求項目の仕様が変更されていたことを思い出した。項目の位置はそのままなのに、絶対いつか、誰かチェックミスするだろうなぁとは思っていたけれど、ついにこの子がやったかと思うと堪らずおかしくて、思わず顔をクシャッとさせながら笑ってしまう。

 内心どこかで予測していた分、そんなにダメージは大きくない。
 けれど、本人はショックを受けている様子だったので、彼女の背中をトントンと叩いて「こんなん誰だってやることだし繰り返さなければ大丈夫よ」と声をかけた。問題があるのはむしろ、対応したであろう本社の方だ。

 ファストファッションやセレクトショップ、百貨店などに、フェアやセールがあるように、オーダースーツ屋にもフェアがある。彼女が本社に請求をかけた【バンチブック】というのは、スーツとして使える布を同じサイズでカットして綴じた冊子のこと。各ブランドが出すオリジナルの布地をまとめて一気に見られるものなのだが、もちろんメーカーごとに毎年新作が出るため、各シーズンによってナンバリングが変わる。

 オーダースーツは、当然ながらオーダーを受けてからお作りする為、お渡しまでには数ヶ月のタイムラグがある。となると、顧客様が夏に作るのは冬のスーツ、冬に作るのは夏のスーツ、という流れが一般的だ。

 もちろん通年で使っていただけるように用意している生地もあるけれど、やはりオーダーをするとなるとお値段もそこそこ張る。となると、折角作るならその年の流行を取り入れようという方がほとんどで、通年生地はうちだとあまり人気がない。

 この、流行を取り入れたシーズン生地:Autumn&Winter(通称:AW/エーダブ)とSpring&Summer(通称:SS/エスエス)では、単純な色味やチェックなどの模様パターンが変わるだけではない。ウールの割合・糸の撚りの強さや太さが変わることで、厚みや重さが変わる。これは暖かさやツヤにも直結する為、必要なシーズンのバンチブックが店頭に揃えられていないというのは、話にならない。ましては売上1位を争う銀座本店でそんなことになっているなんて、あり得ない話だ。

「とりあえずそのSSはそのままダンボール閉じて、郵便屋の集荷手配してもらっていい?本社へは私が掛け合うから。」

 焦り狂った顔で、目黒は「ひゃい!」と返事をした。私もこのくらい初々しい時期があったんだっけなぁ、と懐かしくなりながら、由美は今どき珍しい二つ折り携帯で本社へ電話をかけた。

「……はいー。Sartoria Mirage 営業部販売推進課ですー」

 販売推進課が2コールで取るなんて珍しい。推進課のある関西オフィスには常に最低限の人数しかいない為、電話はなかなか繋がらないことで有名だ。

「お疲れ様ですー、銀座店の澤井ですー。うちの目黒が依頼かけてたバンチブックのことで、ちょっといいですか?」

「ん?あぁ、あれなぁ」と返事がすぐに返ってきたところから察するに、粗方これは違和感を感じたけどそのまま送った、みたいな流れだろうと察した。
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