お誂えならサルトリア・ミラージュへ
03.私の悪癖、彼の悪態
第一声で感じた違和感はやはり正しくて、それでも年長者が正しいというこの会社の社風に従い、彼女には私から繰り返さないように十分言い聞かせておきますので、と一応の落とし所をつけて電話を切った。
15分ほどで電話を切ったけれど、彼らの態度の悪さに思わず、はぁ……とため息を漏らしながら、今時珍しい二つ折りの携帯を机の上に軽く投げ置く。
これが精密機器に良くないことなんてわかっているけれど、あまりに態度の悪い営業推進課への苛つきを、少しだけ携帯にぶつけてしまった。
「何なのよあの態度。もう。腹立つ……。推進課、黙って売上速報見てなさいよね。初日からバンバン売ってやるんだから」
身内への怒りを、お客様へスーツをお勧めする原動力に切り替えよう。この後の予約のお客様には新モデルを、新規のお客様は様子を見ながら予算感を推し量ろうと気持ちを入れ替える。由美は一度ゆっくり目を閉じて、腕を上に大きく振りかぶって深呼吸をし、さっさと頭を切り替えるとノートパソコンを開いた。
***
平日だというのに、午前からの日別予算は上々だった。由美のお得意様は手書きのDMに弱く、「特に初日は貴方様に手に取っていただきたい商品が揃っています」などと書き添えれば、ご予約をしてくださる方ばかりだった。
わざわざ合間を縫って来てくださるお客様を待たせるわけにはいかない。
かといって、毎日お昼を食べないわけにもいかない。必死に働けば誰だってお腹が空く。この会社に入って、最初に私が覚えたことは「食事は年齢関係なく、一瞬の隙を狙って食え」だった。
教えてくれたのは、笑った顔も恐ろしい輩のような顔の当時の店長。思い出したくもないけれど。
そんな昔を思い出しながら、炊き込みご飯をラップでくるんだだけの簡単なおにぎりと、保温ジャーに入れてきた昨晩の味噌汁の残りを食べ終わったところで、監視カメラの映像を見た瞬間に、背中へ一筋の冷や汗が流れた。
とても見覚えのあるスラっとした背格好と特徴的な髪形をしたその人は、画素数の荒い映像でもすぐに見当がつく。店の表で答え合わせをした私は、うっすらと残っていた二日酔いがガツンと戻ってくる様な、強い後悔に襲われた。
「あのー、すみません。澤井由美さんって今日、指名できます? 名刺は持ってるんですけど」
激しい後悔の相手は自分と、今まさにやってきたこの申し訳なさそうな表情の彼。
お酒を飲みすぎると、ついつい寂しい気持ちが抑えられなくなって、好みの顔の男子を口説いてしまうという自分の悪癖と、今回のそのセレクトが、最悪の状況を作り出していた。
「えぇと……澤井でございますね。ご予約状況確認いたします。どなたかのご紹介ですか?」
一度そういう関係になったくらいで社バレするのはキツすぎる。
それくらいの事は弁えたうえで、後腐れ無く、お互いに大人の関係になれる人だけを誘うようにしているのに、今回のマッチングは最悪だ。
よりによってこの子はそう……馴染みの店のバーテンダー。
「あ、まぁ……そんなところです。出来れば今からがいいんですけど……」
耳をだらりと下に落としたトイプードルみたいな、明るい茶色のパーマヘアを軽くセットし、少し頭を下げて様子を伺うように入ってきた彼は、潤んだ瞳でちらっと店内を見回し、一瞬で私を見つけて眉を軽く上げた。
予約なしのお客様、いわゆる飛び込み来店を待っていた中村くんと店先で話しているのは、紛れもなく、昨日由美のベッドにいた男だ。
どちらも悪い人間ではない。
けれど、それぞれに見せていない顔を持っている由美は、どちらかが変なことを言っていないか気が気ではなく、小走りで入口まで駆け寄った。
「……中村くん、私対応するから変わって」
「あ、店長!……ご指名希望なんですけど、2時間後に指名が……」
「2時間あれば十分よ。個室使うからよろしく。……お客様、こちらへどうぞ」
痛む頭を押さえつつ、完璧な作り笑顔でこのバーテンダーを個室へ案内する。
「どうして自分のお気に入りのバーテンダーまで食ってしまったんだ、昨日の私は」と自責の念に苛まれながら、由美は間接照明で色気のある雰囲気を作っている細い通路を抜け、その先にある個室を案内した。
「由美さんってここの店長さんだったんですねぇ。すごいなぁ」
カチャリと個室のドアを閉め、彼の言葉への返事を笑顔で返し、入り口の二重目隠しカーテンを、勢い良く引く。
ここ最近リニューアルした採寸用の個室は、ご家族連れやカップルでスーツをオーダーしに来てくださる、上顧客様向けのものだが、平日の昼間に使われることなんてほとんど無い。
ぱっちり二重で笑ったときの八重歯がたまらなくかわいくて、第一印象はまさにトイプードル。ゆるふわパーマをかけた180弱ほどの身長の青年は、呑気にかっこいい〜と声を上げながらソファに座り、周りをキョロキョロと見回した。
人懐っこい笑顔を輝かせているのは、ちゅうやくん……確か昨日の晩、『中原中也と同じ響きだけど、僕の漢字は、宇宙の" 宙 "なんです!』と言っていた気がする。
15分ほどで電話を切ったけれど、彼らの態度の悪さに思わず、はぁ……とため息を漏らしながら、今時珍しい二つ折りの携帯を机の上に軽く投げ置く。
これが精密機器に良くないことなんてわかっているけれど、あまりに態度の悪い営業推進課への苛つきを、少しだけ携帯にぶつけてしまった。
「何なのよあの態度。もう。腹立つ……。推進課、黙って売上速報見てなさいよね。初日からバンバン売ってやるんだから」
身内への怒りを、お客様へスーツをお勧めする原動力に切り替えよう。この後の予約のお客様には新モデルを、新規のお客様は様子を見ながら予算感を推し量ろうと気持ちを入れ替える。由美は一度ゆっくり目を閉じて、腕を上に大きく振りかぶって深呼吸をし、さっさと頭を切り替えるとノートパソコンを開いた。
***
平日だというのに、午前からの日別予算は上々だった。由美のお得意様は手書きのDMに弱く、「特に初日は貴方様に手に取っていただきたい商品が揃っています」などと書き添えれば、ご予約をしてくださる方ばかりだった。
わざわざ合間を縫って来てくださるお客様を待たせるわけにはいかない。
かといって、毎日お昼を食べないわけにもいかない。必死に働けば誰だってお腹が空く。この会社に入って、最初に私が覚えたことは「食事は年齢関係なく、一瞬の隙を狙って食え」だった。
教えてくれたのは、笑った顔も恐ろしい輩のような顔の当時の店長。思い出したくもないけれど。
そんな昔を思い出しながら、炊き込みご飯をラップでくるんだだけの簡単なおにぎりと、保温ジャーに入れてきた昨晩の味噌汁の残りを食べ終わったところで、監視カメラの映像を見た瞬間に、背中へ一筋の冷や汗が流れた。
とても見覚えのあるスラっとした背格好と特徴的な髪形をしたその人は、画素数の荒い映像でもすぐに見当がつく。店の表で答え合わせをした私は、うっすらと残っていた二日酔いがガツンと戻ってくる様な、強い後悔に襲われた。
「あのー、すみません。澤井由美さんって今日、指名できます? 名刺は持ってるんですけど」
激しい後悔の相手は自分と、今まさにやってきたこの申し訳なさそうな表情の彼。
お酒を飲みすぎると、ついつい寂しい気持ちが抑えられなくなって、好みの顔の男子を口説いてしまうという自分の悪癖と、今回のそのセレクトが、最悪の状況を作り出していた。
「えぇと……澤井でございますね。ご予約状況確認いたします。どなたかのご紹介ですか?」
一度そういう関係になったくらいで社バレするのはキツすぎる。
それくらいの事は弁えたうえで、後腐れ無く、お互いに大人の関係になれる人だけを誘うようにしているのに、今回のマッチングは最悪だ。
よりによってこの子はそう……馴染みの店のバーテンダー。
「あ、まぁ……そんなところです。出来れば今からがいいんですけど……」
耳をだらりと下に落としたトイプードルみたいな、明るい茶色のパーマヘアを軽くセットし、少し頭を下げて様子を伺うように入ってきた彼は、潤んだ瞳でちらっと店内を見回し、一瞬で私を見つけて眉を軽く上げた。
予約なしのお客様、いわゆる飛び込み来店を待っていた中村くんと店先で話しているのは、紛れもなく、昨日由美のベッドにいた男だ。
どちらも悪い人間ではない。
けれど、それぞれに見せていない顔を持っている由美は、どちらかが変なことを言っていないか気が気ではなく、小走りで入口まで駆け寄った。
「……中村くん、私対応するから変わって」
「あ、店長!……ご指名希望なんですけど、2時間後に指名が……」
「2時間あれば十分よ。個室使うからよろしく。……お客様、こちらへどうぞ」
痛む頭を押さえつつ、完璧な作り笑顔でこのバーテンダーを個室へ案内する。
「どうして自分のお気に入りのバーテンダーまで食ってしまったんだ、昨日の私は」と自責の念に苛まれながら、由美は間接照明で色気のある雰囲気を作っている細い通路を抜け、その先にある個室を案内した。
「由美さんってここの店長さんだったんですねぇ。すごいなぁ」
カチャリと個室のドアを閉め、彼の言葉への返事を笑顔で返し、入り口の二重目隠しカーテンを、勢い良く引く。
ここ最近リニューアルした採寸用の個室は、ご家族連れやカップルでスーツをオーダーしに来てくださる、上顧客様向けのものだが、平日の昼間に使われることなんてほとんど無い。
ぱっちり二重で笑ったときの八重歯がたまらなくかわいくて、第一印象はまさにトイプードル。ゆるふわパーマをかけた180弱ほどの身長の青年は、呑気にかっこいい〜と声を上げながらソファに座り、周りをキョロキョロと見回した。
人懐っこい笑顔を輝かせているのは、ちゅうやくん……確か昨日の晩、『中原中也と同じ響きだけど、僕の漢字は、宇宙の" 宙 "なんです!』と言っていた気がする。