お誂えならサルトリア・ミラージュへ

04.一晩のつもりだった

「え~~この度っ、わたくし、澤井由美はっ! この会社に入社して7年追い続けて来た「個人売上成績1位、半期個人売上1億」を、ついにっ! 本日達成しましたぁっ……! はい、拍手っ……!」

 自宅から徒歩圏内で、いつでも気軽に寄れるお気に入りのバー、Moonlightのカウンター端で喜んでるのが、この私、澤井由美、32歳独身。

 古いスナックを居抜きで借りたまま使っている店内は、真っ赤なカウンターと古い演歌歌手のポスター付き。THE・昭和ムード全開だけど、肩肘張らずに飲める感じが気に入っている。オーナーが女性で、彼女の好きな顔の子しか採用しないのも、筋が通ってて嫌いじゃない。

「由美さん、シャンパン開けちゃお? お祝いだし!」
「そーよね! パーっと行こうか! 2,3本開けて皆で飲も! お祝いして!」

 確かそう……昨日の大騒ぎのスタートは、このバーテンダーのシャンパンおねだりからだった。

 はじめは数人で楽しく飲んでいた。けれど、結局カウンターで飲んでいたカップルや男性客も混じえてシャンパンを浴びる様に飲み、過去の恋愛話を面白おかしく披露しては常連客に励まされ。
 最後は皆で肩を組んで泣きながら、努力が報われた喜びを感じつつ「栄光の架橋」を大合唱したんだった。

 ほとんどの客が帰路につき、静かな店内の時計が午前三時を知らせると、バイトも帰るんだからもう閉店よ!おしまい!とオーナーに強引に追い出され、まだ薄暗く、しんと冷えた3月の幡ヶ谷の街を、バーテンダーとふたりで歩いて帰った。

 静かにとぼとぼと歩いているうち、どちらとも無く自然に繋いだ手が、とても暖かかった。

「宙也くんの手、あったかいねぇ。カイロみたい。」
「はは、よく子供体温って言われます。ぽかぽかでしょ。」

 宵闇を切り裂く冷たい風が、ひゅうっとコートの隙間から入り込み、ほんの少し巡ってきた由美の体温を、容赦なく奪っていく。

「ねぇ、宙也くん……もっとあっためてくれない?」

 普段から、誰彼構わず誘っているわけではない。それでも今夜は、この後クイーンサイズのベッドで一人眠るのが嫌になった。

 彼に手を出してしまってはダメだと頭が叫んでいたけれど、寂しさを感じてしまった心はもう、彼を誘うように言葉を放っていた。大きな手のひらよりも熱く激しいものが欲しくなって、ゆるりと彼の腕に体を寄せると、上の方から遠慮がちで啄むような可愛いキスが落ちてくる。

「……もっと」

 ただ唇が触れる様な、軽いキスでは物足りない。
 堪らず彼のジャケットの襟を両手で掴み、体を引き寄せる様にして深いキスを要求すると、舌先でちろちろと舐める様な子犬のキスになった。

 路上で何度もキスを重ねながら彼の首に両手を回すと、しっかりと熱い手は首元から肩、そして私の薄い腰へと移動していく。

「由美さんって、抱きしめると意外と小さい……」
「バカにしてんの?」
「んーん。……可愛い、ってこと」

 店からうちまでの距離は、一度舞い上がった気分が醒めるはずがないほどに近い。
 私たちは手を繋いだまま、背の高い白い塀に囲まれたオートロックの鍵を開けて敷地内に入り、一直線に一番奥のドアへ進んだ。
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