お誂えならサルトリア・ミラージュへ

05.トイプードルか、くせ毛の狼か

 外から見ただけでは、ひとつの長い平家が続いている様に見えるこの建物。
 全戸が三階建てで、螺旋階段のある場所がそのまま吹き抜けになっているお気に入りの2LDKだ。
 家賃は14万円とそこそこお高めだけど、素敵な居住空間を作ることが私の趣味だと思えば安いなと契約した。

 シンプルな真っ白いドアを開け、入ってすぐの部屋の壁沿いにある小さなキッチンで手を洗い、口をゆすぐ。
 宙也にも手を洗うようにこちらへ来いと促した。部屋の奥にある螺旋階段の横では、友人からもらったラブラドールの等身大ぬいぐるみがお出迎えしてくれている。犬が飼いたくても飼えないこの部屋では、ここで座って待ってくれているこの犬が由美の唯一の家族だ。

「由美さんち可愛い~!なんだろ、なんか……tiktikのお部屋紹介に出てきそう。」
「っふふ……tiktikって動画のSNSでしょ、それ見て借りたの。螺旋階段が可愛くて一目ぼれして。パンツスーツでいつもカッコつけてるくせに、女の子みたいでおかしいよね」

 自分で言っておいて自分で傷付く癖は、禁煙すると言いながらも止められない煙草みたいなものだ。

 普段気を張っているからこそ、こうやって予防線を張っておかないと、相手に否定されると立ち直れないほど悲しくなってしまう。あぁ、言っちゃった……と今夜も変わらず落ち込みながら、右側に流していた前髪をわしゃわしゃと崩して顔を隠し、階段を伝って2階へと案内した。

 高校を卒業してからも成長しない控えめな胸、しゃがむことが多いからとパンツスタイルばかりのスーツ、お風呂で髪が浸かるのが嫌でずっと短くしている前下がりのショートボブ。大体の男性から言われる第一印象は、女の子が好きそうとか、男ウケしないよとか、そういうことばかり。

 いつからだろう、可愛いものが好きなことを隠すようになったのは。

 見た目を肯定してくれる人に出会えた時でも、食事やショッピングの度に「イメージと違うね。」と言われると、そういってフラれたことを思い出して、とても悲しくなる。だから、可愛いものが好きなことはもう見せないようにして来たのに、まさか部屋の間取りで言われるとは、迂闊だった。

「僕は……由美さんは可愛いと思うけど」

 由美の乱れた髪を一度耳にかけて、彼は軽く体をかがめると、甘い言葉を耳元で呟く。

「僕が、誰よりもお姫様にしてあげる」

 そのまま顔を掬い上げる様に、添えられた手で上を向かされた。やられたと思った途端、宙也の熱いキスが降ってきた。
 さっき、おぼつかないような路チューを披露していた彼はどこへ行ったんだろう。身体の芯まで蕩けてしまいそうな口付けが、ざわりざわりと由美の心を揺さぶっていく。

 キスしたまま、ライトグレーのピンストライプ柄のジャケットをぱさりと脱がされたので、ストップと声をかけて、床に落ちたジャケットを拾って脱臭ハンガーに引っ掛けた。

「宙也くんも、そっち貸して。かけちゃう」

 元カレの為にもうひとつ用意していた脱臭ハンガーに、タバコの匂いが染み付いた大きめのジャケットをかける。パターン自体は少し前の流行だけど、艶の美しいウールジャケット。ブランドタグはゼニアの赤だ。

 テーラーや他ブランドのロゴが入っていないところを見ると、これはおそらく既製品。ゼニアは、女性的にはあまり有名ではないけれど、1着で何十万もするかなりのハイブランドだ。

「ねぇ……スーツめちゃめちゃ良いとこの着てんじゃん。お姉さんちょっと引いちゃうんだけど。キミ、学生だよね? 宙也くんってお金持ちの息子?それともヒモとかなにか悪いことでもやってるの……?」

 これは本当に手を出してはいけない物件だった? 今ならまだ引き返せるか? と自分の身体に問う。

「あ、それ兄貴のお下がりで。兄貴が四越にいるんです」

 僕はただの大学生だと笑う宙也を、追求するのはやめにした。
 なるほどね……と納得したふりをしたけれど、だとしても社割利かせていくらなんだろうと、桁数の多い割引計算をしてしまう。これは職業病だから、もう簡単には抜けない。

「そんなことより由美さん、僕もう待ちきれないよ……?」

 自分の背後から、シャツ一枚の大学生に抱きつかれるのなんで何年ぶりだろう。

「シャワーは?」
「……あとで」
「仕方ないわね」

 やったーと小さな声で喜びをあらわにした後、彼は手首に顔を近付けた。
 キスされたかと思ったけれど、それはちくりと痛く、それでいて熱い。

 あとからあれは、彼のトレードマークの犬歯で齧られた痛みなのだと知った。
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