野獣と噂の王太子と偽りの妃
「そなた、王太子の名を知っているか?」
「え?はい、もちろんですわ。カルディナ王国の国民なら、知らぬ者などおりません。カルロス王太子殿下」

すると王太子は、自嘲気味にふっと笑う。

「あの、どうかなさいましたか?カルロス様」
「カルロス王太子…か。まあ、そうだろうな」
「え?あの、何か?」

一体どうしたのかとプリムローズは戸惑う。

王太子は、思い切ったように顔を上げて告げた。

「俺の名はカルロスではない。カルロスは三つ年下の、異母兄弟の名だ」
「え…」

今度はプリムローズが驚いて言葉を失う。

「そんな、王太子殿下にご兄弟はいらっしゃらないのでは?」

国民の誰もが、王太子はひとりっ子、次期国王はカルロス王太子と思っているはずだ。

「では、次期国王はカルロス王太子殿下ではなく、あなた様なのですね?」
「いや、違う。カルロスだ」
「え?それはなぜ…」

訳が分からなくなるプリムローズに、王太子はどこか悲しげに笑みをもらす。

「そなたと似た境遇だ。俺の父は現国王だが、母は当時宮殿に仕えていた侍女だったのだ。当然俺は王家に認められるはずもなく、母が一人で育ててくれた。だが俺が十歳の時に母は身体を壊して亡くなり、父が周囲の反対を押し切って俺をここに呼び寄せた。その時にはもう現王妃とカルロスがいたから、俺はこの離れにひっそりと暮らすことになった」

花に目をやりながら話す王太子の横顔を、プリムローズは言葉もなく見つめる。

王太子はプリムローズを振り返ると、静かに命じた。

「これで分かっただろう?俺は真の王太子ではない。そなたはこんなところにいてはならない。伯爵家に帰れ」

しばし沈黙が広がる。

話は終わったとばかりに王太子が立ち上がろうとした時、プリムローズが顔を上げた。

「いいえ、わたくしはここで殿下のお世話をさせていただきたいと存じます」

王太子は驚いたようにプリムローズを見る。

「そなた、分かっているのか?ここにいても、質素な暮らしになるだけだぞ?」
「充分ですわ。レイチェルのお手伝いをしながら、使用人のお部屋を使わせていただければ、それで」
「何を言っている?何が目的だ?王太子妃になりたいなら、本殿に行ってカルロスに…」
「いいえ。わたくしはあなた様のそばでお仕えしたいのです」
「…俺の?」

困惑したように眉根を寄せた王太子は、やがて何かを思いついたように表情を引き締めた。

「本当にここでの暮らしで構わないのか?」
「はい、もちろんでございます」
「家族と離れ、質素な生活になるのだぞ?」
「承知の上です」

プリムローズの意思の強さを感じ取った王太子は、ゆっくりと頷いた。

「分かった。そなたをそばに置こう」
「本当ですか?!」

プリムローズは嬉しさに顔をほころばせる。

「ああ。ただし使用人ではなく、表向きは俺の妃候補としておく」
「え…?では当初の予定通り、わたくしは王太子妃候補を募る通達により、ここに来たということでしょうか?」
「そうだ。そして俺はそなたを妃候補に選んだと国王に伝える。そうすれば、ひっきりなしにやって来る令嬢を止められる。俺にとってはそれが一番ありがたい。そなたは気の済むまでここにいればよい。もちろん、俺の妃になる必要もない。いつでも好きな時にここを出て行け。それでいいか?」
「はい、もちろんです」

最後に王太子は、正面からプリムローズと視線を合わせた。

「交渉成立だ。これからよろしく、プリムローズ」
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。王太子殿下」
「…マルクスだ」
「え?」
「俺の名は、マルクスという」

一瞬の後、プリムローズはパッと笑顔を弾けさせた。

「はい!よろしくお願いいたします。マルクス様」

プリムローズの明るい笑顔に、マルクスも頬を緩めて頷いた。
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