野獣と噂の王太子と偽りの妃
その時、パキッと小枝を踏んだようなかすかな音がして、マルクスは足を止める。

どうかしたのかと口を開きかけたサミュエルに、しっ!と人差し指を立てた。

振り返らずに背後に意識を向けると、誰かがこちらをうかがっている気配がする。

マルクスは、小声でサミュエルに話しかけた。

「普通に会話を続けろ。ただし気を抜くな」

サミュエルが頷くと、二人はまた歩き始める。

「明日は更に気温が下がるらしい」
「そうですね。陽が高いうちに帰れるように、早めに出発しましょう」
「そうだな」

マルクスは鋭い視線でうつむきながら、腰に差した剣にそっと右手をかけた。

何かが背後に動く気配を感じて、一気に剣を引き抜く。

「伏せろ、サミュエル!」

振り向きざま、マルクスは剣を振りかざした。

キン!と剣がぶつかり合う音が響く。

「敵襲!」

大声で叫びながらサミュエルも剣を抜き、次々と姿を現した敵に応戦する。

「くそっ、何人いる?」
「分かりません。詰所の方にも数人駆けて行きました」
「なに?!」

大きく剣を振り払って敵の剣を弾き飛ばすと、マルクスは詰所へと向かう。

「サミュエル、カルロス王太子を守れ!」
「はい!」

サミュエルも敵の攻撃をかわしながら、詰所に向かって走り出す。

詰所の周りには近衛隊がぐるりと取り囲んで警備に当たっていたが、敵にやられて数人が倒れていた。

「サミュエル、突入だ!」
「はい!」

中の様子をうかがっている暇はない。

マルクスは詰所にたどり着くと、一気にドアを開けて中に踏み込んだ。

次の瞬間…

「動くな!」

鋭く言い放たれ、マルクスは凍りつく。

カルロスを羽交い絞めにしているギルガ王国の軍の隊長が、剣の切っ先をカルロスの喉元に当てていた。

「動くと王太子の命はないぞ」

ゴクリと喉を鳴らして、マルクスは身を固くする。

「剣を捨てろ」

一瞬ためらってから、マルクスは言われた通りに剣を正面に投げ捨てた。

サミュエルもあとに続く。

「いいぞ。両手を頭の後ろで組んでひざまずけ」

大人しくその通りにすると、ニヤリと笑われる。

「お前、カルディナの国境警備の連隊長だろう?ふがいないな。いや、もっとふがいないのは、このお気楽な王太子か。なんでまたノコノコこんな所に来ちゃったんだか。無能で有名なカルディナの王太子が、昨日この辺りをうろついてたって聞いて、そんなバカなって笑ってたんだよ。そしたら、今日もまたいるじゃないか。しかもこんなところでスヤスヤとお休みになってる。そりゃ、とっつかまえるに決まってるだろ。なあ?」

そう言って敵の隊長が愉快げに話す間、マルクスはじっとカルロスの目を見据えていた。

最初は怯えたように視線を彷徨わせていたカルロスも、マルクスの気迫に何かを感じ取り、じっと見つめ返す。

マルクスは視線をそらすことなく、カルロスにかすかに頷いてみせた。

「さてと。この王太子殿は我がギルガ王国の王宮へお連れしますよ。ここよりももっと寝心地がいい場所ですので、どうぞお楽しみに」

そう言ってカルロスに剣を突きつけたまま、マルクス達を牽制しつつ詰所の出口へと向かう。

マルクスのすぐ近くを通り過ぎようとした刹那、マルクスがカルロスに叫んだ。

「伏せろ!」

大声に怯んだ敵の手を払いのけ、カルロスが床に伏せる。

マルクスはジャケットの背中に潜めていた短剣を上から引き抜き、一気に敵の手元目がけて振り下ろす。

一瞬の隙を突かれて剣を叩き落とされた敵を、サミュエルがすばやく縄で後ろ手に縛り上げた。

「無事か?」

マルクスは剣を収めてから、カルロスを助け起こす。

「ああ、平気だ」

カルロスは少しかすれた声で頷くと、何か言いたそうに口を開く。

だが思うように言葉が出てこない。

そんなカルロスの肩を、マルクスはポンと叩いてから部屋を出た。
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