野獣と噂の王太子と偽りの妃
「執事と二人で庭師に変装して、時々離れの庭に行っていたんだ。マルクスの様子を見る為にね」
「マルクス様の?」
「ああ。私にとってはマルクスもカルロスも、同じように大切な息子だ。だからマルクスの母が亡くなった時には、周囲の反対を押し切ってマルクスをここに呼び寄せた。だが妃やカルロスは、マルクスに対してなかなか複雑な思いがあるようだ。まあ、仕方ないがね。そしてマルクスも二人に気を遣い、離れに暮らしたいと申し出た。皆がうまくやっていくには、そうするのが一番かもしれないと、私もそれを許した。でもね、やはり気になって仕方ないのだよ。誰も寄せつけず、ひっそりと暮らすマルクスが幸せになるにはどうすればいいのか、私はずっと気がかりだった。争いの最前線に繰り出し、己の命も顧みずに敵と戦うマルクスが心配でたまらなかった。そこで妃候補を募ることにしたのだよ。愛する人ができれば無茶な振る舞いもせず、命を大切にして妃のところに帰って来るだろう。愛する喜び、愛される幸せを知って、人生を心豊かに生きていって欲しい。そう願ってね」
「さようでございましたか…」

プリムローズはうつむいて、かつてのマルクスの言葉を思い出す。

『国王は俺に伯爵令嬢と結婚して、婿入りすることを望んでいたんだ。つまりここから追い出すのが目的だ』

そうマルクスは話していた。

(実際は違っていたのだわ。国王陛下はこんなにもマルクス様のことを心配して、大切に想っていらっしゃったのに)

この事実を、なんとかしてマルクスに伝えたい。
そう思い、プリムローズは顔を上げた。

「恐れながら国王陛下」
「なんだい?」
「マルクス様は誤解されていらっしゃいます。国王陛下は、マルクス様を伯爵家に婿入りさせるご意向だと」
「なるほど、そうか。無理もない。私はマルクスときちんと話をしたことがないからな」
「でしたら、一度お話をされてみてはいかがでしょうか?このままですと、マルクス様はいつまでも国王陛下のお心を誤解されたままになってしまいます」
「そうだな、それができればどんなに良いか。もっと早くにそうするべきだった。こんなにも時間が経って、こじれてしまう前にね」

そう言って国王は寂しそうに笑う。

「だが、そなたが来てからマルクスは変わった。そのことだけは確かだ」
「え?」
「プリムローズといったね。そなた達が庭で楽しそうにお茶を飲んでいるのを見て、私は嬉しくて仕方なかったよ。マルクスのあんな笑顔は初めて見た。それに毎日エントランスでマルクスを見送り、出迎えてくれるだろう?そなたの笑顔に、マルクスも優しい表情を浮かべて。ああ、やっとマルクスは幸せを見つけられたんだと胸をなで下ろしていた。それなのに、いきなりだよ。縁談は破談になったから、そなたを伯爵家に送り届けるようにと、早朝宮殿に連絡が来た。私はもう、焦りに焦ってね。とにかくそなたをここに案内してまいれ!と命じたのだよ」

そうだったのね、と、ようやくプリムローズは事の成り行きを理解した。

「プリムローズよ、一体何があったのかね?そなたはマルクスに愛想をつかして、伯爵家に帰りたいと申し出たのかい?」
「いいえ!滅相もございません、国王陛下。わたくしは、心からマルクス様をお支えしたいと思い、おそばに置いていただきたいと思っております」
「ではなぜだ?マルクスがそなたから心を離すとは、私には考えられないのだよ」

プリムローズは視線を落としてから口を開く。

「恐れながらマルクス様は、わたくしのことを心配してくださっているのです。ここにいては、わたくしに危険が及ぶかもしれないと」
「それはどういうことだ?詳しく聞かせて欲しい」

プリムローズが昨日の出来事を話すと、国王は驚いて目を見開いた。

「なんと!そなたの身にそんなことが。すまなかった。責任の全てはカルディナ王家にある」
「いいえ。わたくしの為に、マルクス様は危険を顧みずに駆けつけてくださいました。心から感謝しております」
「そうか。だが、どうして話してくれなかったのか。いや、どんなにマルクスに反対されても、私が離れの屋敷にも警備をつけるべきだったのだ。本当にすまなかった、プリムローズ。そなたが無事でよかった」
「わたくしの身を案じてくださるなど、恐れ多いことでございます。ありがとうございます、国王陛下」

国王は、両腕を組んでしばし宙を見つめる。

「プリムローズよ。とにかくそなたはしばらくこの宮殿にいてくれないだろうか?」
「え、こちらにですか?そんな、わたくしごときが宮殿になど」
「いや。今、伯爵家に帰ったところで、安全が保障される訳でもない。敵はそなたの顔を覚えているだろうしね。それに私の本音を言うと、そなたを帰したくはないのだ。少しだけ、私に時間をくれないか?」

国王にそう言われては断れるはずもなく。

プリムローズは頷き、そのあと侍女に連れられて豪華な客室に案内された。
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