『ブレッド』 ~ニューヨークとフィレンツェを舞台にした留学青年と女性薬剤師の物語~【新編集版】
序章(Ⅱ):中世のフィレンツェ(ダンテとベアトリーチェ)
中世フィレンツェ
1
アルノ川を渡る風が艶めかしい香りを運んできた。それは愛しい人の香りだった。
丈の長いチュニックの上に赤い袖なしの上着を羽織った男は聖トリニータ橋に佇み、夕涼みをしている振りをしてヴェッキオ橋に顔を向けていた。
しかし意識はそこになかった。
すべての感覚は一歩一歩近づいてくる女性に向けられていた。
男がその女性に初めて会ったのは9歳の時だった。
それから9年という月日が流れていた。
それは男にとって短い月日ではなかった。
その間、あの時の少女が日を追うごとに美しくなっているという噂を聞く度に心を震わせた。
上品で愛らしく、それでいて高潔な女性に成長していると聞く度に思いが募った。
しかし、その女性は滅多に館から出ることはなく、会えるチャンスは無きに等しかった。
ところが今日、久々に彼女が友達と外出するという情報がもたらされた。
居ても立ってもいられなくなった男の心臓はいつ破れてもおかしくないほどに打ち震えた。
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アルノ川を渡る風が艶めかしい香りを運んできた。それは愛しい人の香りだった。
丈の長いチュニックの上に赤い袖なしの上着を羽織った男は聖トリニータ橋に佇み、夕涼みをしている振りをしてヴェッキオ橋に顔を向けていた。
しかし意識はそこになかった。
すべての感覚は一歩一歩近づいてくる女性に向けられていた。
男がその女性に初めて会ったのは9歳の時だった。
それから9年という月日が流れていた。
それは男にとって短い月日ではなかった。
その間、あの時の少女が日を追うごとに美しくなっているという噂を聞く度に心を震わせた。
上品で愛らしく、それでいて高潔な女性に成長していると聞く度に思いが募った。
しかし、その女性は滅多に館から出ることはなく、会えるチャンスは無きに等しかった。
ところが今日、久々に彼女が友達と外出するという情報がもたらされた。
居ても立ってもいられなくなった男の心臓はいつ破れてもおかしくないほどに打ち震えた。