『ブレッド』  ~ニューヨークとフィレンツェを舞台にした語学留学生と女性薬剤師の物語~【新編集版】
 4曲目になった。
 慈しむような音色が部屋を包み込み、トランペットと入れ替わるように女性の歌声が聞こえてきた。
 ポーラ・コールだった。
『THE VERY THOUGHT OF YOU』
 しっとりと落ち着いた声がフローラを包み込むと弦の手書き文字が蘇ってきて、「この曲が一番好きなんです」と書いてあったことを思い出した。
 それですぐにタイトルを日本語に訳そうとしたが、うまい言葉が浮かんでこなかった。
 仕方がないので自動翻訳に頼ると、『あなたへの想い』というのが一番近いような気がした。
 でもしっくりこなかった。
 なんか違うのだ。
 すとんと落ちてこないのだ。
 そのあともネット検索を続けたが、ピッタリくるものを見つけることはできなかった。

 そうしているうちに曲が変わった。
『ミッション』という映画のテーマ曲『ガブリエルのオーボエ』だった。
 しみじみとしたトランペットの音色がフローラの心を無にしていくと、どこからかふっと言葉が舞い降りてきた。

 あなたのことを想うだけで。

 フローラは頷いた。やっとしっくりくる言葉に巡り合った。

 あなたのことを想うだけで……、

 声に出すと、弦の顔が浮かんできた。
 フィレンツェで出会った時の顔だった。
 すると、ウェスタの店でパンを焼いた時の姿や一緒に食事をした時のことが思い出された。
 次々と曲が変わる中、彼の表情や言葉を思い浮かべた。
 
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