『ブレッド』 ~ニューヨークとフィレンツェを舞台にした語学留学生と女性薬剤師の物語~【新編集版】
その翌日、弦は成田へ向かう飛行機の中にいた。
ヘッドフォンからは優しい歌声が聞こえていた。
デイヴィッド・ゲイツの甘い声だった。
BREADが放った全米ナンバーワンヒット曲、『MAKE IT WITH YOU』だった。
弦は音楽に耳を貸しながらもシステム手帳を開いて一心にボールペンを走らせ、色々な花を描き続けた。
それは春の花々だった。
桜、菜の花、フリージア、スズラン、チューリップ、ツツジ、バラ。スマホの画面を見ながら描き写した。
それが終わると夏の花を描き始めた。
紫陽花、朝顔、ヒマワリ、ラベンダー、ハイビスカス、ブーゲンビリア。
更に、秋の花と冬の花も描いた。
それらはすべて新しいパン作りのためのものだった。
季節ごとに花の名前を付けたパンを焼き上げることを考えていたのだ。
描き終わると、ペンを置いてヘッドフォンを外し、首と肩をグルグルと回した。
そして立ち上がって近くのセルフサービスコーナーへ行ってオレンジジュースの入ったボトルを手に取り、零さないようにコップに注いで小さな窓から外を見た。
青空が広がっていた。
心の中まで晴れ渡るような青だった。
飲み干して席に戻り、再びヘッドフォンを着けてボールペンを握ると、手が勝手に動き出した。
手帳には『FLORA』という文字が綴られていた。
それはローマ神話に登場する女神であり、春と花と豊穣を司る神であり、愛しい人の名前だった。
手帳をめくった。
そこには日本に帰ることを決めた日から考え続けた計画がびっしりと書き込んであった。
それは銀座に店を出す計画だった。
有名店で修業をしたあとフローラと共にベーカリーを始めるという夢を実現させるための計画で、店名も決めていた。
それを白紙のページに書いてボールペンを置くと、その文字から目が離せなくなった。
離せるわけがなかった。
感謝と希望を込めた店名なのだ。
夢が詰まった店名なのだ。
未来を拓く店名なのだ。
目を離すことなんてできるはずはなかった。
それでも耳は心地よい音楽にキスされ続けていて、ブレッドのヒット曲がエンドレスで続いていた。
2回目の『MAKE IT WITH YOU』が始まると、デイヴィッド・ゲイツの素敵な歌声がまた聞こえてきた。
『I want to make it with you……』
それに合わせて小さな声で口ずさむと、フローラの歌声が聞こえてきたような気がした。
耳を澄ますと、フローラが夢の中に誘っているのか、次第に瞼が重くなってきた。
弦はそれに逆らわなかった。
「フローラ」と呟きながら夢の中に落ちていった。
* *
トレイテーブルの上にはシステム手帳が開きっぱなしになっていた。
それを読書灯が照らして、大きく書かれた文字が今にも舞い上がりそうだった。
突然、機体が揺れた。
するとローソクの炎が消えるように読書灯がふっと消えた。
しかし揺れが収まると目を覚ますように灯り、文字に光が当たって意志を貫くように輝いた。
『ブレッド東京』
輝きに満ちた未来が弦を見つめていた。
完
ヘッドフォンからは優しい歌声が聞こえていた。
デイヴィッド・ゲイツの甘い声だった。
BREADが放った全米ナンバーワンヒット曲、『MAKE IT WITH YOU』だった。
弦は音楽に耳を貸しながらもシステム手帳を開いて一心にボールペンを走らせ、色々な花を描き続けた。
それは春の花々だった。
桜、菜の花、フリージア、スズラン、チューリップ、ツツジ、バラ。スマホの画面を見ながら描き写した。
それが終わると夏の花を描き始めた。
紫陽花、朝顔、ヒマワリ、ラベンダー、ハイビスカス、ブーゲンビリア。
更に、秋の花と冬の花も描いた。
それらはすべて新しいパン作りのためのものだった。
季節ごとに花の名前を付けたパンを焼き上げることを考えていたのだ。
描き終わると、ペンを置いてヘッドフォンを外し、首と肩をグルグルと回した。
そして立ち上がって近くのセルフサービスコーナーへ行ってオレンジジュースの入ったボトルを手に取り、零さないようにコップに注いで小さな窓から外を見た。
青空が広がっていた。
心の中まで晴れ渡るような青だった。
飲み干して席に戻り、再びヘッドフォンを着けてボールペンを握ると、手が勝手に動き出した。
手帳には『FLORA』という文字が綴られていた。
それはローマ神話に登場する女神であり、春と花と豊穣を司る神であり、愛しい人の名前だった。
手帳をめくった。
そこには日本に帰ることを決めた日から考え続けた計画がびっしりと書き込んであった。
それは銀座に店を出す計画だった。
有名店で修業をしたあとフローラと共にベーカリーを始めるという夢を実現させるための計画で、店名も決めていた。
それを白紙のページに書いてボールペンを置くと、その文字から目が離せなくなった。
離せるわけがなかった。
感謝と希望を込めた店名なのだ。
夢が詰まった店名なのだ。
未来を拓く店名なのだ。
目を離すことなんてできるはずはなかった。
それでも耳は心地よい音楽にキスされ続けていて、ブレッドのヒット曲がエンドレスで続いていた。
2回目の『MAKE IT WITH YOU』が始まると、デイヴィッド・ゲイツの素敵な歌声がまた聞こえてきた。
『I want to make it with you……』
それに合わせて小さな声で口ずさむと、フローラの歌声が聞こえてきたような気がした。
耳を澄ますと、フローラが夢の中に誘っているのか、次第に瞼が重くなってきた。
弦はそれに逆らわなかった。
「フローラ」と呟きながら夢の中に落ちていった。
* *
トレイテーブルの上にはシステム手帳が開きっぱなしになっていた。
それを読書灯が照らして、大きく書かれた文字が今にも舞い上がりそうだった。
突然、機体が揺れた。
するとローソクの炎が消えるように読書灯がふっと消えた。
しかし揺れが収まると目を覚ますように灯り、文字に光が当たって意志を貫くように輝いた。
『ブレッド東京』
輝きに満ちた未来が弦を見つめていた。
完