『ブレッド』  ~ニューヨークとフィレンツェを舞台にした留学青年と女性薬剤師の物語~【新編集版】
       フィレンツェ

        1

 フローラの朝はパンで始まる。
 それも焼きたてのパンだ。
 それは従姉(いとこ)のウェスタが焼いたパンであり、世界で一番美味しいと断言できるパンだった。

 ウェスタ・デ・メディチはフローラの3歳年上で、2人は幼い頃から大の仲良しだった。
 彼女の両親はベーカリーを営んでいたが、それを継ぐ気はまったくなく、製薬会社の研究職を目指して国立大学の薬学部に進学した。
 しかし、跡を継ぐことを期待されてローマで修行していた1歳年下の弟が交通事故で他界するという悲運に見舞われ、彼女の人生設計は変更を余儀なくされた。
 悩みに悩んだ末にベーカリーを継ぐことにしたのだ。
 相当辛い決断だったはずだが、持ち前の明るい性格でスパッと気持ちを切り替えて、今はパン職人の道を突き進んでいる。

 フローラはウェスタが働いているのを見るのが大好きで、特に、真っ白いコックコートにエンジのエプロンを締めて同色のベレー帽を被っている姿には憧れさえ抱いている。

 今朝もそうだった。「今日も美味しく焼けたわよ」と言って、いつもと変わらぬ姿と笑顔でパンを渡してくれた。
 チャバッタにフォカッチャにグリッシーニ。
 どれもフローラの大好物だ。特にフォカッチャには目がない。
 なんといってもウェスタが作るフォカッチャは特別なのだ。
 彼女の指の形が付いた窪みにオリーブが入っていて、その酸味とパン生地のほのかな甘みが合わさるとたまらなく美味しいのだ。

 し・あ・わ・せ・

 思わず独り言ちたフローラは皿にパンを並べながら、パンとメディチ家の繋がりに思いを馳せた。

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