買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
 自宅マンションの書斎で、持ち帰った資料に目を通していた海翔は、疲労を感じて軽く目頭を揉んだ。
 時刻を確認すると、二十三時になろうとしている。
「実音は、もう寝たかな?」
 彼女の気配を感じたくて耳を澄ませてみたけど、物音がしないところを見ると、先に寝室に行ったのかもしれない。
 なんとなく彼女と向き合うのが怖くて書斎に逃げ込んだくせに、彼女の気配を感じられないと寂しくなるのだから、自分の身勝手さには呆れてしまう。
 さっき帰って来た時、実音は、海翔の帰宅に気付かずに誰かと電話していた。
 微かに漏れ聞こえる声の雰囲気から男性と話している気がして、話しかけていいものかと躊躇っていたら、彼女の口から『離婚』という単語が聞こえて、心臓が凍り付きそうな恐怖を覚えた。
 それでも、自分の聞き間違えであることを願って、誰と電話していたのか聞いてみたが、実音は無言で視線を逸らしてしまった。
 つまりそれは、彼女が自分との離婚を考えているということなのだろうか。
 露骨に嫌われているという感じではないのだけど、彼女との間に目に見えない壁のようなものを感じている。
 静かな拒絶を感じているだけに、その一言が海翔に与える衝撃は強い。
 もし離婚したいと切り出されたら……そう思ったら、それ以上の追及をするのが怖くなって、仕事を口実に書斎に引きこもってしまった。
 離婚という言葉を聞いて思い出すのは、結婚話を持ち掛けた際、実音の父親が彼女には他にも縁談が幾つか来ていると話していたことだ。
 元々自分たちの結婚は、彼女に家への支援を目的としたもの。
 他にもっといい条件を提示する相手がいれば、離婚を切り出される可能性があるのだろう。
 それを防ぐためには、自分が実音自身にとっても、彼女の父にとっても、よりよい取引先であり続けなければいけない。
(そのためには、実音にとって、少しでいい夫にならなくちゃいけないんだろうな)
 ずっと愛情など幻想だと思っていたのに、彼女の心が自分に向いていないことがひどく切ない。
 最初の夜、実音を泣かせてしまったことを後悔し、まずは彼女を知るところから夫婦を始めていきたいと思った。
 そして質問を重ねていくことで、自分は彼女のことをなにも知らなかったのだと気付かされ、もっと知りたいと思うようになっている。
 それと同時に、彼女が自分を知ろうと質問してくれることが嬉しかった。
 彼女の質問に一つ答える度に、わずかでも彼女の中に自分のい場所があるように思えたのだ。
 知りたい、知ってほしいという衝動は、愛情と同列にある感情だ。特別な感情を持たない相手のことは、自分がその人のことを理解していないと気付くこともなく関係が終わっていく。
 でも今は、『離婚』という言葉を口にしていた彼女の本音を知るのが怖い。
 彼女が自分と結婚を選んだのは、家を救いたと願う彼女が満足するだけの条件を海翔が提示したからだ。
 だとすれば、自分が彼女の望みを叶えられる夫であり続ければ、離婚を回避できるだろうか。
 そのためにはまず、もっとお互いを知るところから始めていきたい。思考の片隅でそんなことを考えながら、海翔は再び意識をビジネスモードに切り替えていく。
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