買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
その日の夕方、実音は仕事帰りの海翔と、展覧会が開催されている百貨店のカフェで待ち合わせた。
たっぷり時間をかけて実音が選んだのは、袖にボリュームがある黒のブラウスに、深みのあるカーキ色のロングスカートに、背の高い彼に合わせてヒールの高い黒のパンプスを合わせた。
あまり可愛らしいファッションだと、仕事帰りの海翔とのバランスが悪いと思って、シックな装いを選んだけど、地味になりすぎるのも寂しい。それで髪を軽く結い上げ、耳に大ぶりなイヤリングを合わせてある。
「この前、買った服だな」
カウンターで自分の分のコーヒーを買った海翔は、先に来店していた実音の姿を見てそう言った。
「なにを選んだか知っていたんですか?」
あの日、彼の言葉に背中を押されて、実音は数点の服を購入させてもらった。服を選んでいる間、彼はソファーで持ち込んだタブレットで仕事をしていたので、実音がなにを選んだのかは知らないと思っていた。
驚く実音に、海翔は困ったように笑う。
「女性のものを選ぶセンスがないから口を出さないだけで、どんな服が好きなのかくらいは意識していたよ」
カップに口をつける海翔がの言葉に、実音は小さく驚いた。
あの日、慣れた様子で実音の左手に指輪を嵌めた彼は、女性の扱い方を熟知している感じだった。
だからこそ、こちらに無関心な彼の態度が悲しくてしまったのに。
「なんだ」
そんなふうに考えてもいなかったので、フッと肩の力が抜ける。
「なんだって……」
実音の口から零れた言葉に、海翔が軽く片眉を跳ねさせた。
声の感じや、こちらに向けられる眼差しで、彼が気を悪くしているわけじゃないというのはわかる。
だから実音は、そのまま思っていたことを口にする。
「少しでも気にしてくれていたなら、一緒に選んでほしかったと思っただけです。あの時、海翔さんが無反応だから私に興味がないと思っていたんです」
「え?」
海翔は、切長の目を瞬かせる。
部下だった頃は見ることのなかった彼の人間くさい反応にに気持ちがほぐれて、実音は思ったことをそのまま言葉にした。
「確かに服や装飾品の好みって、人それぞれありますけど、誰かと一緒にえらんだり、選んでもらった贈りものには、それとは違う特別な意味があるんです」
「どんな?」
「誰かへのプレゼントを選ぶ時、その人のことをいっぱい考えるでしょ? どんなものが好きかとか、どんなものが似合うかとか。そういうことを考える時間が含まれているからプレゼントは特別なものになるんです」
(それが好きな人からプレゼントなら、なおのこと)
と、さすがにそれは言葉にせず、実音は、自分の左手に視線を落とす。
今日の海翔は仕事帰りで指輪をしていないけど、実音は彼から贈られた指輪を嵌めている。
もしこれが、自分を思って彼が自ら選んでくれた品だったら、安物でも実音は素直に喜べた。
一目見て効果とわかる指輪を嵌めていても寂しくなるのは、この指輪に彼の思いが込められていないからだ。
「今度、指輪を買う時の参考にさせてもらう」
伏し目がちになってコーヒーを飲む彼の言葉に、実音は胸の痛みを覚えた。
実音は日々彼を思う気持ちが増していくばかりだけど、基本、自分たちの関係はかりそめのものでいつかは別れる日が来るのだろう。
その証拠に、海翔には、この先も誰かに指輪を贈る予定があるらしい。
「どうした?」
不意に動きが止まった実音を、海翔が覗き込む。
「なんでもないです。自分のマニキュアの欠けてるとこを発見して、気を取られていました」
そう言って、左手の爪を見せると、海翔は納得したように笑う。それでその場の空気もほぐれ他愛ないお喋りを楽しみ、お互いのカップが空になると海翔が実音を展示会に誘った。
受付でもらったリーフレットや、絵に添えられている解説パネルを読み、お互いの感想を言い合いながらの鑑賞は楽しくて、沈んでいた心はすぐに浮上していく。
我ながら単純な性格をしていると呆れつつ絵を見ていると、海翔に、実音が一番好きな絵はどれなのかと聞かれた。
「私が好きなのは、この絵です」
実音が白い花を咲かせる木に身を預け、小さな弦楽器を手に小鳥と戯れる女性の絵を示すと、海翔は興味深げにそれを眺める。
「優しい感じがする、いい絵だな。実音を描いたみたいだ」
目尻に小さな皺を刻み、海翔がそんなことを言った時、何処からか彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「あれ? 八神?」
彼の苗字を呼び捨てにする女性の声に視線を向けると、長い黒髪が美しい、長身の女性が立っていた。
(誰だろう?)
実音に覚えがないということは、仕事関係で会った事はないと思うのだけど。そんなことを考えていると、隣の海翔が言う。
「牧村? 久しぶりだな」
見ると、すごく親しげな表情を見せる彼の顔があった。
牧村と呼ばれた彼女は、海翔の前に立つと握手をして、お互いに「久しぶり」と言い合っているから、彼の古くからの知り合いなのだろう。
なんとなく置いてけぼりされた気分で、実音がポカンとしていると、その視線に気付いた牧村が、実音にも握手の手を差し出す。
「ごめんなさいね。私、八神の大学の同級生だったの」
握った実音の手を軽く揺らす牧村は、自分の職業は、海外に拠点があるジュエリーブランドの日本支社のマネージャーだと教えてくれた。
「そういえば、俺にはお前がいたな」
握手の手を解く牧村に海翔が言う。
「なによ、今さら?」
何気ない口調で話す彼の言葉に、牧村も軽い雰囲気で受け流す。
お互い自然な感じで話すふたりのやり取りに、実音の心臓が嫌な音を立てた。
「……っ」
実音がなにか言おうとした時、海翔が自分の胸を押さえた。そしてそのまま、スーツの内ポケットからスマホを取り出す。
画面を確認した瞬間、彼の顔が引き締まったのを見て、仕事の電話なのだと察せられた。
「悪いが、少し待っていてくれ」
軽く右手をあげて、海翔は足早にその場を離れて行く。
「貴女、八神の新しい恋人?」
何気ない感じで問われて、実音は言葉に詰まる。
(この人と海翔さん、どういう関係なのかな?)
さっき同級生だと紹介されたけど、ふたりの打ち解けた雰囲気や、海翔の『俺にはお前がいた』なんて意味深な言葉が気になって、彼の妻と名乗ってもいいのか悩む。
黙っていると、牧村が実音の左手を持ち上げて言う。
「もし付き合っているなら、忠告しておくわ。傷付く結果に終わるから、アイツのことは本気で愛したりしちゃ駄目よ」
「え?」
驚いて見上げると、牧村は残念そうな顔で言う。
「アイルは付き合う相手に惜しみなく金を使う代わりに、いつでも後腐れのなく別れることができる、割り切った関係しか求めてないのよ」
牧村の言葉に、一気に指先が冷たくなる。
グッと下唇を噛む実音をまっすぐに見つめて、牧村は慈愛に満ちた顔で言う。
「貴女は若いから勘違いしちゃうかもだけど、アイツはズルい男だから、指輪もらったくらいで、本気になっちゃ駄目よ。ほしいものをなんでも与えてくれる便利な男くらいに割り切って、利用するだけにしておきなさいね」
忠告を終えると、牧村は手を離してくれた。
そのタイミングで、電話を終えた海翔も戻ってくる。
「じゃあ、私帰るわ」
「牧村っ」
海翔と入れ替わるように牧村が立ち去ろうとすると、海翔がその背中を追いかける。
小走りに彼女を追いかけた海翔は、相手が足を止めると、二言三言と話をすると、すぐに実音の方へと戻ってきた。
その際、一瞬だけ牧村がこちらを見たことが気になった。
「なにを話していたんですか?」
嫉妬深い自分が嫌でしかたないのに、そう聞かずにはいられない。
海翔はチラリとこちらを見ると「なんでもない」そう答えると視線を逸らしてしまった。
たっぷり時間をかけて実音が選んだのは、袖にボリュームがある黒のブラウスに、深みのあるカーキ色のロングスカートに、背の高い彼に合わせてヒールの高い黒のパンプスを合わせた。
あまり可愛らしいファッションだと、仕事帰りの海翔とのバランスが悪いと思って、シックな装いを選んだけど、地味になりすぎるのも寂しい。それで髪を軽く結い上げ、耳に大ぶりなイヤリングを合わせてある。
「この前、買った服だな」
カウンターで自分の分のコーヒーを買った海翔は、先に来店していた実音の姿を見てそう言った。
「なにを選んだか知っていたんですか?」
あの日、彼の言葉に背中を押されて、実音は数点の服を購入させてもらった。服を選んでいる間、彼はソファーで持ち込んだタブレットで仕事をしていたので、実音がなにを選んだのかは知らないと思っていた。
驚く実音に、海翔は困ったように笑う。
「女性のものを選ぶセンスがないから口を出さないだけで、どんな服が好きなのかくらいは意識していたよ」
カップに口をつける海翔がの言葉に、実音は小さく驚いた。
あの日、慣れた様子で実音の左手に指輪を嵌めた彼は、女性の扱い方を熟知している感じだった。
だからこそ、こちらに無関心な彼の態度が悲しくてしまったのに。
「なんだ」
そんなふうに考えてもいなかったので、フッと肩の力が抜ける。
「なんだって……」
実音の口から零れた言葉に、海翔が軽く片眉を跳ねさせた。
声の感じや、こちらに向けられる眼差しで、彼が気を悪くしているわけじゃないというのはわかる。
だから実音は、そのまま思っていたことを口にする。
「少しでも気にしてくれていたなら、一緒に選んでほしかったと思っただけです。あの時、海翔さんが無反応だから私に興味がないと思っていたんです」
「え?」
海翔は、切長の目を瞬かせる。
部下だった頃は見ることのなかった彼の人間くさい反応にに気持ちがほぐれて、実音は思ったことをそのまま言葉にした。
「確かに服や装飾品の好みって、人それぞれありますけど、誰かと一緒にえらんだり、選んでもらった贈りものには、それとは違う特別な意味があるんです」
「どんな?」
「誰かへのプレゼントを選ぶ時、その人のことをいっぱい考えるでしょ? どんなものが好きかとか、どんなものが似合うかとか。そういうことを考える時間が含まれているからプレゼントは特別なものになるんです」
(それが好きな人からプレゼントなら、なおのこと)
と、さすがにそれは言葉にせず、実音は、自分の左手に視線を落とす。
今日の海翔は仕事帰りで指輪をしていないけど、実音は彼から贈られた指輪を嵌めている。
もしこれが、自分を思って彼が自ら選んでくれた品だったら、安物でも実音は素直に喜べた。
一目見て効果とわかる指輪を嵌めていても寂しくなるのは、この指輪に彼の思いが込められていないからだ。
「今度、指輪を買う時の参考にさせてもらう」
伏し目がちになってコーヒーを飲む彼の言葉に、実音は胸の痛みを覚えた。
実音は日々彼を思う気持ちが増していくばかりだけど、基本、自分たちの関係はかりそめのものでいつかは別れる日が来るのだろう。
その証拠に、海翔には、この先も誰かに指輪を贈る予定があるらしい。
「どうした?」
不意に動きが止まった実音を、海翔が覗き込む。
「なんでもないです。自分のマニキュアの欠けてるとこを発見して、気を取られていました」
そう言って、左手の爪を見せると、海翔は納得したように笑う。それでその場の空気もほぐれ他愛ないお喋りを楽しみ、お互いのカップが空になると海翔が実音を展示会に誘った。
受付でもらったリーフレットや、絵に添えられている解説パネルを読み、お互いの感想を言い合いながらの鑑賞は楽しくて、沈んでいた心はすぐに浮上していく。
我ながら単純な性格をしていると呆れつつ絵を見ていると、海翔に、実音が一番好きな絵はどれなのかと聞かれた。
「私が好きなのは、この絵です」
実音が白い花を咲かせる木に身を預け、小さな弦楽器を手に小鳥と戯れる女性の絵を示すと、海翔は興味深げにそれを眺める。
「優しい感じがする、いい絵だな。実音を描いたみたいだ」
目尻に小さな皺を刻み、海翔がそんなことを言った時、何処からか彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「あれ? 八神?」
彼の苗字を呼び捨てにする女性の声に視線を向けると、長い黒髪が美しい、長身の女性が立っていた。
(誰だろう?)
実音に覚えがないということは、仕事関係で会った事はないと思うのだけど。そんなことを考えていると、隣の海翔が言う。
「牧村? 久しぶりだな」
見ると、すごく親しげな表情を見せる彼の顔があった。
牧村と呼ばれた彼女は、海翔の前に立つと握手をして、お互いに「久しぶり」と言い合っているから、彼の古くからの知り合いなのだろう。
なんとなく置いてけぼりされた気分で、実音がポカンとしていると、その視線に気付いた牧村が、実音にも握手の手を差し出す。
「ごめんなさいね。私、八神の大学の同級生だったの」
握った実音の手を軽く揺らす牧村は、自分の職業は、海外に拠点があるジュエリーブランドの日本支社のマネージャーだと教えてくれた。
「そういえば、俺にはお前がいたな」
握手の手を解く牧村に海翔が言う。
「なによ、今さら?」
何気ない口調で話す彼の言葉に、牧村も軽い雰囲気で受け流す。
お互い自然な感じで話すふたりのやり取りに、実音の心臓が嫌な音を立てた。
「……っ」
実音がなにか言おうとした時、海翔が自分の胸を押さえた。そしてそのまま、スーツの内ポケットからスマホを取り出す。
画面を確認した瞬間、彼の顔が引き締まったのを見て、仕事の電話なのだと察せられた。
「悪いが、少し待っていてくれ」
軽く右手をあげて、海翔は足早にその場を離れて行く。
「貴女、八神の新しい恋人?」
何気ない感じで問われて、実音は言葉に詰まる。
(この人と海翔さん、どういう関係なのかな?)
さっき同級生だと紹介されたけど、ふたりの打ち解けた雰囲気や、海翔の『俺にはお前がいた』なんて意味深な言葉が気になって、彼の妻と名乗ってもいいのか悩む。
黙っていると、牧村が実音の左手を持ち上げて言う。
「もし付き合っているなら、忠告しておくわ。傷付く結果に終わるから、アイツのことは本気で愛したりしちゃ駄目よ」
「え?」
驚いて見上げると、牧村は残念そうな顔で言う。
「アイルは付き合う相手に惜しみなく金を使う代わりに、いつでも後腐れのなく別れることができる、割り切った関係しか求めてないのよ」
牧村の言葉に、一気に指先が冷たくなる。
グッと下唇を噛む実音をまっすぐに見つめて、牧村は慈愛に満ちた顔で言う。
「貴女は若いから勘違いしちゃうかもだけど、アイツはズルい男だから、指輪もらったくらいで、本気になっちゃ駄目よ。ほしいものをなんでも与えてくれる便利な男くらいに割り切って、利用するだけにしておきなさいね」
忠告を終えると、牧村は手を離してくれた。
そのタイミングで、電話を終えた海翔も戻ってくる。
「じゃあ、私帰るわ」
「牧村っ」
海翔と入れ替わるように牧村が立ち去ろうとすると、海翔がその背中を追いかける。
小走りに彼女を追いかけた海翔は、相手が足を止めると、二言三言と話をすると、すぐに実音の方へと戻ってきた。
その際、一瞬だけ牧村がこちらを見たことが気になった。
「なにを話していたんですか?」
嫉妬深い自分が嫌でしかたないのに、そう聞かずにはいられない。
海翔はチラリとこちらを見ると「なんでもない」そう答えると視線を逸らしてしまった。