買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
9・すれ違い
海翔と展覧会に行った日から数日、気が付けば暦は十一月になろうとしている。
海翔の帰宅を待ちながらダイニングテーブルで資料を読み込んでいた実音は、玄関ドアが開く音に顔を上げた。
煮込み料理の火加減を見守りつつ調べ物をしていたので、広げていた書類を手早く片づけてヤガミのロゴが入った封筒にしまうと立ち上がる。
「お帰りなさい」
「ただいま」
リビングに入って来た海翔は、実音と目が合うと表情を和ませた。
夫婦になってまだ半月程度だけど、帰宅した彼は実音の姿を確認すると、いつも柔らかく蕩けるような笑顔を見せる。
こういう顔をされると、彼に愛されているのではないかと錯覚しそうになるので困る。
そのままこちらへと歩みを進める海翔は、ダイニングテーブルに、郵便物をまとめて置く。
数枚のダイレクトメールの中で、一つだけ上質な紙を使用しているとわかる封筒が紛れていて、存在感を放っている。
なんとなくそれに気を取られていると、海翔が椅子に載せたビジネスバッグを探りながら言う。
「そうだ、川根君からこれを預かったよ」
海翔はバッグから取り出した小さな紙袋を取り出した。
「川根さんから?」
受け取った紙袋の中には、赤い花のイラストがちりばめられた正方形の缶が入っている。それは、実音の好きなメーカー紅茶のものだ。
「先日の食事の御礼と言われたけど、俺はコーヒー派だから、実音のために選んだんだろう」
食事の支払いをしてくれたお礼として、彼ではなく、実音が喜ぶものを持たせてくれるところに、芽衣子の気遣いを感じる。
他の社員の誤解を招かないようタイミングを狙っていたら、お礼を言うのが遅くなったと芽衣子が話していた。そんな話をしながらポストから回収しきた郵便物を確認する海翔は、封筒を開封する。
内容に目を走らせていた海翔は、実音の視線に気付いて、封筒の中身を教えてくれた。
「この前、展覧会で俺の同級生に会ったの覚えている?」
「牧村さんて方ですよね」
「そう。その牧村から、アイツの会社のパーティーに出席してほしいという誘いだ」
「そうなんですね」
「自分で言うのもなんだが、俺はいい客寄せパンダになるから、こういう誘いはよくあるんだ。今なら俺が断らないと思って、招待状を送ってきたらしい」
二つ折りになっている招待状を開き、日程の確認をする海翔は、頭の中で自分のスケジュールを確認したのか、軽くうなずくと、招待状をテーブルに残して着替えのため部屋を出て行った。
封筒に戻すこともなくテーブルに無造作に放置されている招待状は、よく見れば二人分ある。招待状には手書きのメッセージが添えられていて、そこには『私のお願いなんだから、絶対に参加してね』という強気な誘い文句が見えた。
あの日、海翔は牧村を追いかけて話しかけていたけど、その時になにかお願いしたのだろうか。
これといった証拠があるわけじゃないのだけど、最近、海翔が牧村と連絡を取り合っている気配を感じてモヤモヤしていただけに、お願いというのが気にかかる。
(なんだろう……)
実音はそっと下腹を撫でた。
自分になにか言う権利がないことはわかっているのだけど、それでも気持ちがざらついてしまう。
それに招待状は二人分あるのに、先ほどの海翔の口調からすると、実音を誘う気がないように感じられた。
彼は、一人で行くつもりなのだろうか。
(それとも、私の知らない誰かと行く気なのかな?)
同級生なのだから当然なのかもしれないけど、彼女がこのマンションの住所を知っていることにも胸がざわついてしまう。
自分が恋をするまでは、人を愛するというのは素敵なことで、誰かを愛したら世界が輝いて見えるのだと思っていた。
でもいざ彼を好きだと理解すると、嫉妬心に駆られて辛いばかりだ。それなのに、苦しくてもいいから彼の側にいたいと思ってしまう。
しかも一度意識した恋心は、日々加速していくばかりで、ブレーキのない特急列車に乗せられている気分である。
食事の準備をするためにテーブルを片づける実音は、先ほどまで自分が目を通していた資料に目をやる。
それは、実家の家業である有坂テクトに関するもので、以前、契約結婚を提案する際に海翔に見せられたものの他、実音自身の手で集めた情報を印刷したものも含まれている。
牧村は実音に、海翔のことを『ほしいものをなんでも与えてくれる便利な男と割り切って利用するといい』というようなことを言っていた。
彼女の口調や表情からは、なんの悪意も感じられず、それどころかこちらへの気遣いが感じられた。
だとしたら、それは彼女の目に映る事実なのだと思う。
それは、海翔が誰かを愛することがないという意味じゃない。これまで、彼の周りには、そうやって割り切って、彼を利用するような付き合い方をする女性しかいなかったということだ。
そのせいで海翔が割り切った恋愛しかしなくなったというのであれば、実音が彼に、そんな女性ばかりじゃないと伝えたい。
そのためにはまず、海翔の支援に頼ることなく、有坂テクトを立て直素必要がある。
それはもちろん簡単なことじゃないけど、諦めたくなくて、時間を見付けては資料に目を通してあれこれ考えているのだ。
(せめてその糸口だけも見付けたい)
この先、彼に別れを切り出されることがあったとしても……というか、近々別れ話を切り出される予感があるからこそ、海翔の記憶に残る自分が、そんなもので終わりたくないと思う。
海翔の帰宅を待ちながらダイニングテーブルで資料を読み込んでいた実音は、玄関ドアが開く音に顔を上げた。
煮込み料理の火加減を見守りつつ調べ物をしていたので、広げていた書類を手早く片づけてヤガミのロゴが入った封筒にしまうと立ち上がる。
「お帰りなさい」
「ただいま」
リビングに入って来た海翔は、実音と目が合うと表情を和ませた。
夫婦になってまだ半月程度だけど、帰宅した彼は実音の姿を確認すると、いつも柔らかく蕩けるような笑顔を見せる。
こういう顔をされると、彼に愛されているのではないかと錯覚しそうになるので困る。
そのままこちらへと歩みを進める海翔は、ダイニングテーブルに、郵便物をまとめて置く。
数枚のダイレクトメールの中で、一つだけ上質な紙を使用しているとわかる封筒が紛れていて、存在感を放っている。
なんとなくそれに気を取られていると、海翔が椅子に載せたビジネスバッグを探りながら言う。
「そうだ、川根君からこれを預かったよ」
海翔はバッグから取り出した小さな紙袋を取り出した。
「川根さんから?」
受け取った紙袋の中には、赤い花のイラストがちりばめられた正方形の缶が入っている。それは、実音の好きなメーカー紅茶のものだ。
「先日の食事の御礼と言われたけど、俺はコーヒー派だから、実音のために選んだんだろう」
食事の支払いをしてくれたお礼として、彼ではなく、実音が喜ぶものを持たせてくれるところに、芽衣子の気遣いを感じる。
他の社員の誤解を招かないようタイミングを狙っていたら、お礼を言うのが遅くなったと芽衣子が話していた。そんな話をしながらポストから回収しきた郵便物を確認する海翔は、封筒を開封する。
内容に目を走らせていた海翔は、実音の視線に気付いて、封筒の中身を教えてくれた。
「この前、展覧会で俺の同級生に会ったの覚えている?」
「牧村さんて方ですよね」
「そう。その牧村から、アイツの会社のパーティーに出席してほしいという誘いだ」
「そうなんですね」
「自分で言うのもなんだが、俺はいい客寄せパンダになるから、こういう誘いはよくあるんだ。今なら俺が断らないと思って、招待状を送ってきたらしい」
二つ折りになっている招待状を開き、日程の確認をする海翔は、頭の中で自分のスケジュールを確認したのか、軽くうなずくと、招待状をテーブルに残して着替えのため部屋を出て行った。
封筒に戻すこともなくテーブルに無造作に放置されている招待状は、よく見れば二人分ある。招待状には手書きのメッセージが添えられていて、そこには『私のお願いなんだから、絶対に参加してね』という強気な誘い文句が見えた。
あの日、海翔は牧村を追いかけて話しかけていたけど、その時になにかお願いしたのだろうか。
これといった証拠があるわけじゃないのだけど、最近、海翔が牧村と連絡を取り合っている気配を感じてモヤモヤしていただけに、お願いというのが気にかかる。
(なんだろう……)
実音はそっと下腹を撫でた。
自分になにか言う権利がないことはわかっているのだけど、それでも気持ちがざらついてしまう。
それに招待状は二人分あるのに、先ほどの海翔の口調からすると、実音を誘う気がないように感じられた。
彼は、一人で行くつもりなのだろうか。
(それとも、私の知らない誰かと行く気なのかな?)
同級生なのだから当然なのかもしれないけど、彼女がこのマンションの住所を知っていることにも胸がざわついてしまう。
自分が恋をするまでは、人を愛するというのは素敵なことで、誰かを愛したら世界が輝いて見えるのだと思っていた。
でもいざ彼を好きだと理解すると、嫉妬心に駆られて辛いばかりだ。それなのに、苦しくてもいいから彼の側にいたいと思ってしまう。
しかも一度意識した恋心は、日々加速していくばかりで、ブレーキのない特急列車に乗せられている気分である。
食事の準備をするためにテーブルを片づける実音は、先ほどまで自分が目を通していた資料に目をやる。
それは、実家の家業である有坂テクトに関するもので、以前、契約結婚を提案する際に海翔に見せられたものの他、実音自身の手で集めた情報を印刷したものも含まれている。
牧村は実音に、海翔のことを『ほしいものをなんでも与えてくれる便利な男と割り切って利用するといい』というようなことを言っていた。
彼女の口調や表情からは、なんの悪意も感じられず、それどころかこちらへの気遣いが感じられた。
だとしたら、それは彼女の目に映る事実なのだと思う。
それは、海翔が誰かを愛することがないという意味じゃない。これまで、彼の周りには、そうやって割り切って、彼を利用するような付き合い方をする女性しかいなかったということだ。
そのせいで海翔が割り切った恋愛しかしなくなったというのであれば、実音が彼に、そんな女性ばかりじゃないと伝えたい。
そのためにはまず、海翔の支援に頼ることなく、有坂テクトを立て直素必要がある。
それはもちろん簡単なことじゃないけど、諦めたくなくて、時間を見付けては資料に目を通してあれこれ考えているのだ。
(せめてその糸口だけも見付けたい)
この先、彼に別れを切り出されることがあったとしても……というか、近々別れ話を切り出される予感があるからこそ、海翔の記憶に残る自分が、そんなもので終わりたくないと思う。