買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
 指定されたレストランで、資料に目を通しながら相手の到着を待っていた海翔は、向かいの椅子が引かれる気配に顔を上げた。
「待たせたわね」
 軽い口調で詫びて椅子に腰を下ろすのは、もと同級生の牧村だ。
 そして席まで案内したスタッフに、そのままメニューの注文をするので、一応相手を待つべきかと思い、注文せずにいた海翔も同じものを頼む。
「これ、ご依頼の品よ」
 注文を済ませ、グラスに入っていた水を半分ほど飲んだ牧村は、そこでやっと本来の目的を思い出した感じで、傍らのアタッシュケースから小さな箱を取り出しテーブルに置く。
「貴方が急かすから、フランスのスタッフに手荷物で運ばせたのよ」
 箱へと手を伸ばす海翔に、牧村はそんなことをぼやき、残りの水を飲み干す。
「かかった経費は、上乗せで請求してもらってかまわん」
「その価値があるだけの買い物をしてもらったから、かまわないわ」
 肩をすくめる牧村は、空になったグラスを軽く持ち上げて、スタッフに給仕を求める。
 一見華やかな顔立ちをしているし、ビジネスモードの時はうまくネコを被っているため誤解されがちだが、牧村はかなりおおざっぱな性格をしている。
 今日の自分は一応、彼女の客という立場なのだが、旧知の仲ということで、素のままらしい。
 ついでに言えば、同性のパートナーと事実婚生活を送っていて彼女は、海翔を恋愛対象に見ていないので、同性と変わらない気楽な付き合いを長年させてもらっている。
(まあ、今更コイツに改まった態度を取られても気持ち悪いし)
 だからそれでかまわないと、海翔は箱の蓋をあけた。
 ワインレッドのリングケースには、雫のような形にカットされたサイズ違いのダイヤが二つ、流麗なカーブを描くプラチナの台座にあしらわれた、上品なデザインの指輪が収められている。
 それを眺め表情を綻ばせる海翔に、新たにグラスに注がれた水を飲みながら牧村は静かに微笑む。
「八神の、そんな顔を見る日がくるなんて思ってもいなかった」
「うるさい」
「貴方のイメージに合う指輪を探す手伝を、散々してあげたのに」
 まあひどい。と、牧村は口元に手を添えて大袈裟に傷付いたフリをする。下手くそな演技とわかっているので、相手をするのがバカらしいが、感謝はしているので一応のだ。
「まあ、助かったよ。俺ひとりじゃ、うまくイメージに合うものを探せなかったと思うし」
 きっかけは、この前の展覧会の日に、待ち合わせのカフェで実音が口にした言葉だった。
 彼女は海翔に『誰かへのプレゼントを選ぶ時、どんなものが好きかとか、どんなものが似合うかとか。そういうことを考える時間が含まれているからプレゼントは特別なものになるんです』と教えてくれた。
 そう言われて初めて、思う人に指輪を贈る行為の理解できた気がする。
 そして、彼女を大事にしたいと思いつつ、ちっとも大事にできていなかったことに今更ながらに気付かされた。
 だから自分が心から実音に着けてほしいと思える指輪を贈るところからやり直させてほしい。そう思ったものの、どうやって指輪を探そうかと悩んでいたら牧村に遭遇しので、色々相談させてもらった。
 そうやって見付けたこの指輪こそ、たおやかでいて芯の強く、純粋な彼女にピッタリだと思い、フランスより取り寄せてもらってこの状況に至る。
「そういえば実音ちゃんて、ヤガミの社員なの?」
 注文を済ませているのに、暇つぶしのためなのか、メニューを眺める牧村が言う。
「そうだが、何故お前が彼女の名前を知っている」
 あれこれ言われるのが恥ずかしくて、牧村には、入籍していることはおろか、彼女の名前さえ、指輪に刻むためのイニシャルしか教えていない。
 怪訝な顔をする海翔に、牧村は、たいしたことではないと言いたげな口調で答える。
「さっき、道で会ったのよ。ヤガミの封筒を抱えている彼女に」
「え、実音に?」
 今日、彼女が外出するなんて聞いていな。
 別に束縛するつもりはないのだけど、普段出掛ける時は自分から報告してくれる彼女が黙って出掛けているということに動揺が走る。
「そう。それでね、前に彼女に会った時に、八神が誰かを愛することなんてないから、割り切って利用しろって忠告したことを謝っておいたわ」
「おいっ! お前っ」
 人がどうにか離婚を回避しようと必死になっている最中に、なにをしてくれているんだ。
 思わず声を荒らげる海翔に、牧村は悪びれる様子もなく肩をすくめる。
「だって、八神が愛を知る日がくるなんて思ってなかったんだもん。本当にビックリよね」
「彼女の誤解は、解けたんだろうな?」
 牧村はかなりおおざっぱな性格を知っているので、確認せずにはいられない。
 だけど案の定、無責任に首をかたむける。
「さあ、実音ちゃん、知り合いの男に呼ばれて行っちゃたから、よくわかんない。謝ったから、大丈夫だとは思うけど」
 彼女のその一言で、海翔に緊張が走る。
「男って……どんな?」
「スーツ姿の偉そうな男よ。年齢は、私たちと同い年くらいか、少し若いくらいだと思うわ。実音ちゃんのこと呼び捨てにしていて、名前を呼ばれた実音ちゃん、ひどく緊張した顔をしていたわね」
 その説明で思い出すのは、彼女のもと許嫁の顔だ。
 彼女に暴言を吐き、あまつさえ手を挙げようとしていたあの男と実音が、今さら会う必要がどこにある?
 そう思うとのと同時に、さっき牧村が、実音がヤガミの封筒を持っていたと話していたことを思い出す。
 以前海翔は、実音に契約結婚を持ち掛ける際に、有坂テクトの経営状況に関する詳細な資料を渡した。今頃になってその書類を手に、もと許嫁に会いに行くなんて……
「実音が、その男と何処に行ったかわかるか?」
 テーブルに手をついて勢いよく立ち上がる海翔に、牧村が目を丸くする。
 驚きつつも牧村が実音の向かった先を口にすると、海翔は、食事を運んできたスタッフとぶつかりそうになるのをどうにか避けて走り出す。
「え、どうしたの?」
「悪いが失礼する」
 そう答えるのももどかしい思いで、店を飛び出し、海翔は実音のもとへと走った。
 背後で牧村がなにか叫んでいたが、ふり返る余裕はない。
 実音の退職届を受け取った日、こみ上げる感情を理性的に処理して彼女を追いかけなかったことを、どれだけ後悔したことか。
 その後の再会を、偶然ではなく運命と呼べるものにするためになら、自分はなんだってする。そんな思いで実音のもとへと急いだ。
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