買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される

10・告白と再会

 その日の夜、実音はベッドの中で海翔の腕の中で、退職届を出す決意をして今日まで自分がどんな気持ちでいたのかを話した。
 海翔の過去を聞かされていたからこそ、家族の為だけでなく、会社を守るためにも遼介との契約結婚に応じようとしたこと。
 海翔の優しさに触れて、日々、惹かれていくようになっていたこと。
 展覧会に誘ってもらったことが、すごく嬉しくて、だからこそ、牧村に遭遇した彼が彼女に『俺にはお前がいた』と言う言葉が、どれほどショックだったか。
 横向きに抱き合い、実音の髪に顔を埋めるようにして話を聞いていた海翔は、牧村の件に関しての話だけは、心底嫌そうにため息を漏らしたのがちょっと面白かった。
「牧村と会っていた理由はまた今度話すけど、アイツとは、そういった関係じゃないよ」
「海翔さんの言葉を信じます」
 兄のもとに駆け付け、愛していると言ってくれたから、もうそれで満足だ。
 そう思ってなにも追求しないでいると、実音がまだふたりの関係を誤解していると思ったのか、海翔は、牧村に無理を聞いてもらったので、その借りを返すために彼女の会社のパーティーに参加することにしたのだと早口に説明した。
「パーティー、牧村さんに会いたくて出席するのかと思っていました。もしくは、私の知らない、他の誰かを連れて行くのかと」
 誤解を解消できたからこその気楽さで、実音は正直な自分の胸の内を晒す。
 怒ってはいないのだけど、つい拗ねた口調になしまう実音の話に、海翔は困ったように笑う。
「俺が実音を誘わなかったのは、君が誰かと電話で離婚について話しているのを聞いてしまったからだ。もし君が本気で俺と別れたいと考えているのなら、今の二人の関係は周囲に知られていない方がいいと思ったんだ」
 その言葉に、胸が熱くなる。
「海翔さん」
 ありったけの愛情を込めて、彼の名前を呼び胸に顔を埋めると、海翔が優しく背中をなでながら息を吐く。
「俺としては、実音が離婚を望んでいるのかと思って、密かにヒヤヒヤしていたよ。以前渡した有坂テクトの財務状況や他の資料なんかも引っ張り出して、あれこれ調べていたことには気付いていたから」
 彼のその言葉に、今度はこちらが困ったように笑う番だ。
 実音が『離婚』という言葉を口にしたのは、兄との会話の流れで出た言葉にすぎない。
 それに、有坂テクトについて色々調べていたのは、もっと違う意味があってのこと。
「海翔さんの支援に頼らずに、有坂テクトを立て直す方法がないか、あれこれ考えていたんです。それは、別れたいからじゃなくて、貴方に知ってほしいことがあったからです」
「俺に? なにを?」
 密着する体の動きで、彼が首をかしげたのがわかる。
 実音は彼の胸を押して、二人の間に少し空間を作り彼を上目遣いに見上げた。
「なにか与えてほしいから貴方と一緒にいるんじゃなくて、ただ側にいたくて、一緒にいるんだってことを伝えたかったんです」
 自分がいつのタイミングから、彼にそんな感情を抱くようになっていたのかはわからない。
 上司と部下として、同じ月を見上げた頃、既に淡い恋心のような感情は抱いていたのかもしれないけど、それは憧れに近い感情だった。
 実音の窮地を救ってくれて、契約結婚を提案された時もまだ、憧れや助けてこれることへの感謝の方が強かっただろう。
 でも彼の過去に嫉妬したり、他の女性からアプローチを受けていることを知って、モヤモヤした感情を抱えて苦しかったりと、愛や恋が綺麗な感情だけでできていないことを学んだ上で、それでも彼の側にいたいと願った。
 愛おしいという感情も、焼けるような嫉妬の痛みも、相手を思うからこそ身を引こうと思える覚悟も、全て、海翔が実音に教えてくれた。
 そのお返しに、実音から与えられるものがあるとすれば、それは彼には無償の愛を受け取る価値がある人間だと知ってもらうことだと考えた。
 与えてくれるから、楽ができるから、一緒にいるんじゃない。嫉妬に苦しんでも一緒にいたいと思うし、彼の幸せの為なら涙を呑んで別れることもできる。
 家族との縁が薄く、優秀だからこそ、与える側であり続けることに慣れきってしまっている彼に、自分には無償の愛を受け取る権利があるのだと知ってほしかったのだ。
 実音がそんな胸の内を明かすと、海翔はすごく驚いた表情を浮かべた。
 きっと自分がそんなふうに愛されることがあるなんて、思ってもいなかったのだろう。
 そんな生き方しか知らない彼が、せつなくて愛おしい。
 こみ上げる感情に押されるように、実音は彼の頬に手を添えた。
 実音の手に自分の手を重ねて海翔が言う。
「実音がいつもどこかぎこちなくしているから、あまり好かれていないのかと思っていたよ。ずいぶん君を傷付けるようなことをしていたから、軽蔑されて当然だし」
「それは……海翔さんがカッコいいから、どう接していいかわからなかったんです」
 元々が女子校育ちだし、兄はあのとおり、悪い人ではないのだけど淡々としすぎていてつかみ所がない。
 だから海翔のような男性としての魅力に溢れた人と一緒に暮らすようになってから今日まで、ただひたすら緊張していただけなのだ。
「海翔さんは、バカです」
 涙混じりの声でそうなじって、実音は、自分から彼の唇に自分の唇を重ねた。
 といっても、一瞬、唇を触れ合わすだけの拙い口付け。
 それなのに、そういったことに関して実音より経験豊富なはずの海翔は、赤面して言葉を失っている。
「――っ!」
 これ以上ないほど目を見開き、自分を見つめる彼の視線が恥ずかしくて、実音は彼の胸に顔を埋めた。
 そして小さな声で「愛しています」と思いを告げる。
「実音が言った通りになったな」
「え?」
「退職の話をした時、実音が俺に『辛い思いは全て過去のことで、この先は恋愛でも、最高に幸せなハッピーエンドが待っている』そう信じてほしいと言っただろ」
「ああ」
 それは、退職届を出した時の話だ。
 あの時は、自分の幸せを諦めていたせいもあって、海翔だけでも幸せになってほしいと心から祈っていたのだ。
「実音のその言葉を信じたおかげで、俺は最高の幸せを手にすることができた」
 蕩けそうな甘い声で言い、大きな手で実音の肩を掴んだ。
 軽く肩を押されると、実音の体が天井を向く。
 光量を絞った間接照明に浮かび上がる天井が見えたと思った直後、海翔の顔が視界を埋める。
 スッと通った鼻筋や、切れ長な二重の瞳、薄い唇。彼を構成する全てが美しいと感心していると、焦点が合わないほど彼の顔が接近して、唇が重ねられた。
「……っん…………はぁっ」
 頬を撫でながら交わす口付けは、先ほどの実音からの稚拙な口付けとは全く異なる大人の口付けだ。強く重ねた唇の隙間から海翔は自分の舌を実音の口内へと挿入させきた。
 呼吸する隙も与えてもらえない濃厚な口付けに、頭がクラクラしてくる。
 実音は息苦しさから、彼の着ているTシャツに指を絡めてもがいた。
 でも海翔には実音のその反応が、さらなる刺激を求めているように思えたらしく口付けの度合いを深めていく。
 彼の舌は熱くて、その分、頬に触れる手は驚くほど冷たい。
 冷静と情熱の両方を兼ね備えた彼の姿を感じさせるキス。
 そんな艶めかしい口付で実音を翻弄した海翔は、唇を離すと、指先で唾液で湿った唇を撫でながら言う。
「俺は、実音に頼られたいんだよ。俺なしで生きていけないって思っていてほしいんだ」
「もうすでに海翔さんのいない人生なんて、考えられないです」
 一度愛を知ってしまった心は、もうきっと彼なしでは生きていけない。
 実音が彼の首筋に腕を絡ませると、海翔は彼女の背中に腕を回して抱きしめるた。
 そうやって体を密着させて唇を重ねていると、愛おしさを伝えきれていないような気がして、もどかしさを覚えた。
「実音、愛している」
 熱っぽい声で囁く彼の声に応えるように、唇を重ねたまま「私もです」と囁くと、背中を抱きしめていた彼の手が実音の胸へと移動する。
 自分の胸の膨らみに合わせるように添えられる彼の手の感触に、実音は小さく息を飲む。
 でもそれは、拒絶からくる反応じゃない。
 もちろん、初めての体験に対する多少の緊張はある。でもそれ以上に、彼と互いの存在を確かめ合える喜びから強い。
 実音が拒まないことを確認して、海翔は彼女のパジャマを脱がしていく。自分からも体を動かし、彼の求めに応じる実音は、海翔は自分の服も脱ぎ去ると、その胸に素直に甘えた。
 思いの全てを言葉にし尽くしても、どれほど愛おしく思っているのか伝えきれていないようなもどかしさが胸に残る。
 愛している。何万回囁いてもたりなくて、溢れ出す愛情を、細胞の隅々まで伝える方法を探してしまう。
 だから人は、愛おしい相手と肌を重ねる。
「愛してる」
 そう囁きながら、海翔は実音の肌を撫で、自分の存在を彼女の体に刻んでいく。
 初めての淫らな行為に戸惑い、恥ずかしさから逃げ出したい衝動に駆られる。だけど海翔は、その恥じらう姿さえ味わうように、実音の感じる場所を探り、彼女の女性としての顔を暴いていく。
 それはすごく恥ずかしい行為なのだけど、海翔が実音の女性としての顔を暴いていく度に、彼も恍惚感に満ちた男の顔を見せる。
 これまで知ることのなかった彼の表情が、実音を酔わせる。
 自分の中に海翔の存在が強く刻まれていくのと同じように、彼の心に実音という存在が強く根をはやしていくのを感じられて嬉しい。
 もっと彼を知りたい、もっと自分を知ってほしいと、互いの体に腕を絡め深く求め合った。
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