買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
 海翔と思いを通わせた週の土曜日、実音は海翔と共に、牧村が勤務するジュエリーブランドのパーティーに出席していた。
 会場は横浜にあるレストランで、実音も雑誌で目にしたことのある有名なレストランを貸し切りにして開かれるという盛大なものだった。
 一歩店内に足を踏み入れただけで別世界を訪れたような高揚感を覚えた。
 テーブルが取り払われた広いホールは、所々にオードブルを乗せたテーブルが会場の所々に置かれている。
 飾り付けも華やかで、ジャズバンドの生演奏がそれを彩っている。
 ロウソクの灯りを思わせる柔らかな照明が、それを照らし、味わいのある影を作っている。
 そんな会場を自由に移動し、談笑を楽しむ紳士淑女の皆様も美しく着飾っていて、その全てが日常からかけ離れた幻想的な光景だった。
「すごい」
「実音は、あまりこういう場所に来たことはなかった?」
 実音が目の前の光景にあっけに取られていると、彼女の腰に手を回している海翔が、耳元に顔を寄せて尋ねた。
 実音がコクリとうなずくと、彼は少しだけ意外そうな顔をする。
 こういう時いつも思うことなのだけど、海翔は、社長令嬢というものに対してなにか誤解をしているらしい。
「確かに同級生の中には、華やかな場所が好きな子もいましたけど、そうでない子も普通にいました」
 それは家柄とかに関係することのない、その人が持って生まれた人間としての属性のようなものだと思う。
 そして実音は持って生まれた性格として、華やかな場所が苦手だったので、こういった場所に出席することはまずなかった。
 その説明に、海翔は「なるほど」とうなずく。
「だけど、ドレスが似合っていて、場慣れしているように見えたよ」
 給仕から二人分グラスを受け取った海翔は、その一つを実音に手渡して笑う。
 実音に言わせれば、自分の傍らに立つそんな彼の方が、よっぽどこういった場所に慣れているように見えた。
 今日の彼は、光沢のある黒の三揃いカクテルスーツに身に纏っている。スーツの襟や、中に合わせているベストには、独特な織りの生地が使用されていて、光の加減で異なる印象を与える。
 そのため、黒で統一されたシンプルな組み合わせのはずが、強い存在感を放っている。
 もちろんそれは、彼の魅力があってのことなのだろうけど。
 ちなみに実音も彼のファッションに合わせて、黒のシンプルなデザインのドレスを身に纏っている。
 背中に深い切れ込みの入った大人っぽいデザインのそれは、レースや手縫いのビーズがふんだんにあしらわれており、制作者の拘りを感じさせる逸品だ。
 鎖骨や首筋を強調するために髪をアップにして、大人っぽいメイクを施した実音は、いつもとは異なる雰囲気を漂わせている。
「なにか?」
 グラスに口を着ける実音は、自分に向けられる彼の眼差しに気恥ずかしさを覚えて聞く。
「綺麗だと思っただけだよ」
 海翔はそう言って肩をすくめるけど、実音としては、そういうことを平然と言うのはやめてほしいと願う。
 互いの気持ちを通わせてからの彼は、言葉がストレート過ぎて困るのだ。
 実音が照れ隠しにグラスに口をつけていると、海翔はその耳元に顔を寄せて言う。
「本音を言うと、実音をパーティーに誘わなかった理由、もう一つあったんだ」
 重要な秘密を打ち明けるような彼の口調に、実音は真剣な表情で彼を見やった。
 それなのに彼は、耳元に顔を寄せて「実音が綺麗だから、他の男に取られそうで怖いんだ」などと囁き、頬に唇を触れさせる。
「――っ!」
 不意打ちのキスと甘い囁きに、顔が熱くなる。
 実音が頬を押さえて赤面していると、何処からか彼を呼ぶ声が聞こえてきた。見ると、ヨーロッパ系の顔立ちをした女性が、軽くグラスを掲げこちらに合図を送っている。
 それを見て、海翔が表情を引き締める。
 少し距離があるためなんとなくではあるが、実音にもその人物に見覚えがある。
 海外の経済誌で、世界を変える女性といったタイトルの特集記事の中で、注目すべき女性の一人として紹介されていた人だ。
 ヤガミとビジネス上の付き合いはないが、海翔には面識があったらしい。
「少し挨拶をしてくる」
 そう断りを入れて、海翔は実音をその場に残し、女性のもとへと向かう。
 実音の見守る先で、海翔は彼女と握手を交わし、そのままなにか話し込んでいる。
 彼がなにかジョークを言ったのか、女性は指を口元に添えて嬉しそうに笑い、もう一方の手をさりげなく海翔の腕に触れさせる。
 そして海翔に顔を近づけ、なにかを囁く。
 彼女もなにか面白いことを言ったらしく、海翔もそっと口角を持ち上げて優しく笑う。
(私の知らない顔だ)
 女性に向けられる海翔の表情には、彼独特の色気があって、周囲の女性陣の視線が自然と彼へと吸い寄せられていく。
 彼の魅力に引き寄せられるよう他の人たちも会話に参加し、小さな人だかりができている。
 普段から彼は場の空気をコントロールするのがうまいとは思っていたけど、その才能は、こういった席でも健在のようで、海翔を中心に華やいだ空気が広がっていくのがわあかる。
 というか、海翔はこういう華やかな場所の方がその魅力が増すらしい。
 彼の秘書とはいえ、これまでパーティーに同伴することがなかったので、初めて見る彼の一面になんとなく気後れしてしまう。
「あ、実音ちゃん」
 グラス片手にボンヤリしていると、誰かに肩を叩かれた。
 見ると、牧村が指をヒラヒラさせて「お久しぶり〜」と気さくに笑う。
「牧村さん、先日はすみませんでした」
 道で彼女に話しかけられた時、兄に呼ばれてなんとなく会話が中途半端な感じで終わっていた。
 実音としては、そのことを気にしていたのだけど、彼女はそうでもなかったらしく「なにが?」と不思議そうな顔をする。
「こっちこそごめんね」
 逆に彼女に謝られて、実音が不思議そうな顔をすると、牧村は海翔の方を視線で示す。
「アイツ、昔からモテるから、見ていると不安になるよね」
 そう話す彼女は、「だから呼んだんだけど」と、悪びれる様子もなく肩をすくめる。
 初対面の時は、完璧な大人の女性に見えた牧村だけど、その実気さくな性格をしているようで、彼女の憎めない態度に実音も肩をすくめた。
「海翔さんも、自分のこと客寄せパンダだって言ってました」
 とはいえ、さっき一瞬だけ彼が見せた表情から考えるに、こういった場所での人脈作りは彼のビジネスにもメリットがあるのだろう。
「なるほど。己を正しく理解しているな」
 遠慮のない意見に、思わずといった感じで実音が笑うと、牧村は茶目っ気たっぷりに言う。
「でも、アイツを走らせることができるのは、実音ちゃんだけだから安心してね。……て言うか、信じてあげて」
 牧村の声には、友人としての思いが込められている。
「大丈夫です。私も海翔さんがどういう人か、理解していますから」
 彼女のその思いやりに応えたくて、実音はそう胸を張る。
 何度も言葉と肌を重ね、自分たちの思いを確かめ合っているのだ。
 実音の言葉に、牧村がホッとした顔を見せる。
「よかった。新しい飲み物取ってくるわね」
 心から嬉しそうに笑い、牧村は実音が持っていたグラスを引き取る。
「あ、自分で取りに行くから大丈夫です」
 ホスト役の彼女は、他の招待客にも気を配る必要がある。
 だから自分の相手はしなくても大丈夫と、実音は、彼女が片づけようとしてくれたグラスを引き取った。
 そして開け放たれた窓へと視線を向け「せっかくだから、外の景色を楽しんできます」と付け足す。
 料理だけでなく絶景の眺めも評判の高いこの店は小高い場所にあり、横浜の海を一望できるガーデンテラスがある。
 日が沈んでいるこの時間、海岸の地形に沿うように横浜の夜景が煌めき、会場には航行する船舶の光を目にすることができた。
 自分が一人で退屈そうにしていては、海翔や牧村が気をつかうと思い外に出ると、照明が彩るガーデンテラスには即席のバーも造られていて、その周辺で雑談を他も染む人も多い。
 バーで新しい飲み物を受け取った実音は、人だかりを避け、何処でゆっくりしようと周囲に視線を巡らせ息を飲んだ。
 グラスを手に体の向きを変えた実音の前に、よく知っている人が立っていたのだ。
「遼介さん」
 思わずといった感じで実音が名前を口にすると、こちらを見つめ、表情をこわばらせていた遼介が片方だけの口角を持ち上げ卑屈に笑う。
 どうして彼が……と、一瞬思ったけど、彼は実音と違って賑やかな場所を好むのでいても不思議はない。
「ずいぶん雰囲気が変わって、色気が出たな。遠目に見た時は、人違いかと思ったよ」
 遼介は、値踏みするように実音の全身に視線を巡らせて言う。
 その口調からして、彼はもっと早い時点で実音の存在に気付き、話しかけるタイミングを探ってらしい。
「ごぶさたしています」
 粘着質なものを感じる彼の眼差しを不快に思いつつ、実音は一礼してその横をすり抜けようとした。
 でもすれ違いざま、彼が実音の腕を掴んでそれを阻む。
「着飾って、融資してくれる男でも漁りにでもきたのかよ?」
 彼が顎を動かすので、その動きを追って視線を向けると、窓ガラスに映る自分たちの姿が見えた。
 海翔の隣にいても恥ずかしくないように、黒のドレスを着て、神を結い上げて華やいだメイクをする自分は、確かに彼の知らない大人の女の顔をしている。
 自惚れと言われてしまうかもしれないけど、窓ガラスに映る自分は、彼の許嫁でいた頃よりずっと綺麗だと思う。
 以前海翔に、人間の顔というのは、自分で思っている正直だと教えられた。
 彼に言わせれば、服に限らず、好きでもないものを我慢して身の回りに置いていると、それが表情に出て、その人をつまらない人間に見せてしまうのだとか。
 たぶんその言葉は、真理なのだろう。
 彼を好きになって、彼に見合う存在になりたいと思うようになってから、自分はかなり変わった。
 それに改めて考えれば、海翔は気に入らないものを我慢して自分の側においたりしない。
 つまり、彼は契約結婚を提案した時から、実音に好意を抱いていてくれたのだ。
 妙なタイミングで、今更なことに気が付いた実音が薄く笑っていると、遼介が顔を寄せて言う。
「なんなら、俺が抱いてやろうか?」
「なッ!」
 品性の欠片もない言葉に、実音は肩を引き、彼の手を振り払った。
 そのまま立ち去ろうとする実音の肩を、遼介が掴む。
「待てよ。お前のせいで親父を怒らせて、俺がどれだけ迷惑しているのかわかってるのか? ちょっとくらい、いい思いをさせてもらわないと、割に合わないだろ」
 強く肩を掴まれ、力任せに体の向きを変えられた実音は、遼介を見上げて告げる。
「遼介さんの今の状況は、自業自得です」
「――っ!」
「少なくとも私は、遼介さんを陥れるようなことをしたことはありません。小松崎のおじさまがお怒りになっているのは、これまで遼介さん自身がしてきたことの結果です」
 苦労した分、人が幸せになれるのなら、散々卑怯なことをしてきた彼は、そのツケを自分で払うべきなのだろう。
 そしてそれは、実音のせいじゃない。
 逆恨みされる筋合いはないと冷静に答える実音に、遼介が舌打ちをする。
「ちょっと綺麗になったぐらいで、調子乗ってんじゃねえよ」
 実音が言い返したことに一瞬戸惑った顔をした遼介だが、すぐに目を釣り上げた。
 低く唸るような声で言い、空いている方の手を振り上げた瞬間、横から伸びてきた手がそれを掴んだ。
「学習力がないな」
 冷淡な声でそう言って、彼の腕を捻り上げるのは海翔だ。
「海翔さん」
 危ない場面に駆けつけてくれた彼の姿に、ホッと安堵の息を漏らす。
 実音の無事を確認した海翔は、一瞬だけ表情を和らげ、すぐに鋭い眼差しを背後でに腕を捻りあげている遼介へと向ける。
「……ッ痛ッ……離せっ」
 右腕を捻じられている遼介は、左手で右肩を押さえて呻く。
 首を捻り海翔を睨もうとしているけど、苦痛が優っている様子だ。
「弱いな」
 嘲笑を含んだ声で呟き、海翔は遼介から手を離した。
「お前、よくも……」
 遼介は、左手で右肩を押さえて海翔を睨んだ。
「お前、この前も俺の邪魔をした奴だよな?」
 海翔を睨み、しばし記憶を探って遼介が言う。
「私の妻に、無礼な振る舞いをするなら、ただではおかない」
 海翔は、遼介の質問に答える代わりに、実音の肩を抱き寄せて宣言した。
「妻?」
 海翔の言葉に一瞬困惑の色が浮かべた遼介だが、彼に寄り添う実音の姿に、顔を激高させる。
「なんだ、俺に捨てられて、その男に身売りしたのかよ」
 意地の悪い顔で吐き捨てる遼介の胸ぐらを海翔が掴もうとしたが、咄嗟に実音が腕を引いてそれを止める。
「そんな人、殴る価値もありません」
 実音のその言葉に冷静さを取り戻したのか、海翔はすんでのところで手を止めて、周囲に視線を巡らせる。
「これ以上騒ぎを大きくして、この件がお父上に耳に届いてもいいのか?」
 いつの間にか周囲には人だかりができていて、中にはスマホを掲げてことの成り行きを見守っている者もいる。
「勝手に撮るんじゃねえよ」
 人だかりに向けて遼介が吠えるが、穏便に済ませたいのであれば悪手としか言えない対応だ。
 その証拠に、騒ぐ彼の姿に興味を引かれて撮影者が増えている。
「君の父上は、悪行重ねた罰に謹慎を言い渡した息子がこんな場所で女性に非礼な態度を取った末に、男にねじ伏せられていたなんて話は聞きたくないと思うが」
 海翔の言葉に、遼介は奥歯を噛みしめる。
 遼介のその後を実音は知らなかったが、これまでの悪行が明るみに出た彼は、親に謹慎を言い渡されていたらしい。
 その頃には、騒ぎを聞きつけた牧村が、体格のいいスタッフを引き連れて彼を取り囲んでいた。
 それで遼介も、この辺が潮時と判断したのだろう。
「これで済んだと思うなよっ!」
 そんな捨て台詞を残して、大股にその場を離れていく。
「八神?」
 海翔の苗字を呼ぶ牧村が、なにかトラブルかと視線で問いかけてくる。
 その問いかけに、海翔が首を横に振ると、牧村はそのまま遼介の背中を追う。彼が帰るのを見届けるのだろう。
 彼の背中が見えなくなると、自然と実音は体の力を抜いた。
「一人にして悪かった」
 気遣わしげな眼差しを向けてくる海翔に、実音はそんなことないと首を横に振る。
「悪いのは、常識のない遼介さんです」
 そう答えて、実音はさっき疑問に感じたことを口にする。
「海翔さんは、遼介さんの最近の様子をご存知だったんですね」
 実音は、ホテルのラウンジで酒を掛けられた日以降、色々なことがあったせいもあり、意図せず彼の存在を意識の外に追いやっていた。
 だから彼のその後について、まったく知らなかったのだ。
 素直に不思議がる実音の肩を抱いて、海翔がぶっきらぼうに言う。
「君を傷付ける恐れがあから、警戒していた」
 だから、遼介が親に謹慎を言い渡されているだけでなく、その態度に反省の色が見られないのであれば、今後会社を追われる可能性があることを知っていたのだという。
 遼介の父親である明夫は、世間体を気にして、家柄を重視しる人ではあったはあったが、それと経営者としての判断は別のものと捉えているようだ。遼介が会社の後継者に相応しいと判断すれば、社員の中から信頼できる者を選任し、小松崎家の資産は、遠縁の優秀な子を養子に迎えてその人に継がせるつもりのようだと言う。
「そんな状況だから、アイツが、この場所にいると思わなかった」
 心底申し訳なさそうな顔をする海翔に、実音は首を横に振る。
「海翔さんに妻だって言ってもらえて嬉しかったです」
 実音のその言葉に、海翔が表情を綻ばせる。
「そう言ってもらえてよかったよ」
 そう話す海翔は、ジャケットのポケットに手を添えて実音を見つめる。
「?」
 なにか言いたげな彼の雰囲気を察して実音が黙って見上げると、海翔は少し照れたようにはにかむ。
「実音がお兄さんとあっていた日、俺が牧村と会っていたのを覚えている?」
「はい」
 コクリとうなずく実音に、海翔は小さな箱を取り出す。
「あれは、これを受け取るためだ」
 そう言って彼が実音に見せたのは、小さなリングケースだ。
 自分の左手薬指にはすでに指輪が嵌められているので、そんなはずないと思うのにこのシチュエーションに鼓動が一気に加速する。
 そして、彼女のその期待に応えるように、ゆっくりした手つきで蓋を開け、実音に言う。
「以前、実音は俺に、相手になにを贈るか考える時間もプレゼントに含まれていると教えてくれた。それなら、君のことばかり考えている俺のこの先の時間の全てを捧げるから、指輪を贈るところからやり直しをさせてくれないか」
 彼が開いた箱の中には、雫のような形にカットされたサイズ違いのダイヤが二つあしらわれた上品なデザインの指輪が収められている。
 あまり見ないデザインで、彼が自分の為に選んでくれた品であることが感じられた。
「はい。喜んで」
 涙目になりながら実音がうなずくと、海翔は蕩けるような微笑みを浮かべて、彼女の手を取った。
 既に着けていた指輪を外し、新たな指輪をはめ直す。
「本当の夫婦になるところから始めよう」
 実音がうなずくと、海翔は彼女の肩を抱いて言う。
「まずは、この会場にいる人たちに、君が俺の妻だと紹介させてくれ」
「いいんですか?」
 先ほど海翔は、会話の中心的存在となっていた。
 自身や牧村が『客寄せパンダ』なんて評していたように、華のある彼は注目の的で、既婚者であることを知れば、ショックを受ける女性もいるのではないか、それに先ほどの遼介の言葉が、実音の心に抜けない棘となって残っていた……
 そんな実音の意見に、海翔は面白そうに笑う。
「アイドルじゃないんだから、結婚を隠す気はないし、それで落胆する女性の感情の責任までは負う気はない」
 そう話す彼は、迷いのない強気な顔をしている。
「とは言っても、それで実音に迷惑かけるようなことになるのなら……」
 こちら海翔が気遣いの表情を見せる。
 普段ビジネスの場での海翔は、どこまでも強気に自分の意思を押し通していく。だけど恋愛においては、突然弱気になることが、実音としては不思議で仕方ない。
 もちろんそれは、これまで彼が置かれてきた環境に起因していることはわかっている。それでも彼は、自分を選んでくれた。
「私は、貴方の妻です」
 これまでの人生を自分の手で切り開いてきた彼は、それこそ、服に限らず、好きでもないものを我慢して身の回りに置くようなことはしない。
 そんな彼が、実音を選んでくれたのだ。
 彼ような人に選ばれたことを誇りに思いたいと、実音は差し出された手を取った。
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