買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
 ゆっくり時間をかけてブランチを楽しんだ後は、食後の運動を兼ねて、ふたり手を繋いで川沿いの遊歩道を歩いた。
「いつの間にか秋だな」
 太陽の光を反射さして煌めく川面に目を細めながら海翔が呟く。
 水の近くということもあり、日差しが温かくても、吹く風が冷たい。
「つい最近まで半袖で過ごせたのが嘘みたいですね」
 色々な意味で九月のオフィスで『Something For』について考えていた日が、遠い過去の記憶に思える。
「寒い方が、肌を密着させる口実ができて嬉しいよ」
 海翔は繋いだ手を離して、髪を風にそよがせる実音の肩を抱く。
「海翔さん」
 数ヶ月前まで、彼がこんな甘い台詞を口にする人だなんて思っていなかった。
 なんとなく感慨深い気持ちになっていると、肩を抱き寄せる手に力を込めて海翔が聞く。
「なにを悩んでいるの?」
「え?」
 思いがけない言葉に驚いて視線を上げると、彼が優しく微笑んで言う。
「指輪を贈った時に『俺のこの先の時間の全てを捧げる』と言ったはずだ。実音のことばかり考えているから、君がなにか悩んでいるのはすぐにわかるよ」

 思いがけない言葉に、胸が熱くなる。
 彼がそこまで自分を気に掛けてくれているなんて、思いもしなかった。
 それでも胸に燻る思いを、正直に彼に打ち明けていいものなのかと悩む実音に海翔が言う。
「実音が話したくないのなら、話さなくていい。俺は君が話してくくれるのを静かにまつだけだ」
「その言い方は……」
 ちょっとズルいと思う。
 実音だって海翔を愛しているのだ。彼にそんなふうに言われてしまうと、黙っていることに罪悪感を覚える。
 もちろんそれは彼の作戦なのだ。
 その証拠に、実音と視線を合わせると、ニンマリ悪戯っぽく笑う。
「実音も知っていると思うけど、俺は交渉ごとで負ける気はない。話してくれるまでしつこいぞ」
「確かに、そうですね」
 もともとは彼の部下なのだから、その言葉に嘘がないことはわかっている。
 彼に不快な思いをさせたくないから黙っていただのだけど、逆にそれで気になってしまうと言うのであれば、正直に話してしまった方がいいのかもしれない。
 実音は覚悟を決めて、自分の胸に燻る思いを口にした。
「昨日、私と海翔さんの結婚を知った遼介さんが、『俺に捨てられて、その男に身売りしたのか』って、言ったじゃないですか」
 その言葉に、肩を抱く海翔の手に力が入るのを感じた。
「あんな男を近付けて悪かった」
 強い後悔の念を滲ませて海翔が謝るけど、実音が言いたいのはそこではない。緩く首を振って、話しを続ける。
「家への融資のために、一度は彼と結婚しようとしたのは私の意思です。だから、私のことは、どう思われてもかまいません。だけど、私なんかと結婚したせいで、海翔さんのことを悪く言う人が出てくるんじゃないかって」
 実音が金で買われた嫁ということになれば、必然的にその夫である海翔は、金で嫁を買った男ということになってしまう。
 実音としては、それが辛い。
「言いたい奴には言わせておけばいい」
 海翔は、強気な表情で言う。でもすぐに、優しく笑ってこう付け足す。
「そう言ってのけるのは簡単だ。だけど俺がそう言ったところで、実音が気にしてしまうのなら駄目だよな」
「え?」
 思いがけない言葉に顔を上げると、海翔は少年のような清々しい顔で言う。
「君と一緒に生きていくと決めたんだ。俺がよくても、実音が不満なら意味がない」
「海翔さん」
 二ヶ月前にふたりで月を見ながら食事をした時は、彼がこんなふうに誰かを思いやって、自分のライフスタイルを変えることがあるなんて思わなかった。
 逆境に負けず自分の人生を切り開いてきた彼は、しなやかな強さを持っている代わりに、孤独と寄り添って生きていくような気がして心配していたのに。
 今の彼は、実音と共に生きるために、自分の生き方さえ変えようとしてくれている。
 それなら実音も、彼に寄り添えるよう強くなりたい。
 気持ちを引き締めてうなずく実音の表情に、海翔は愛おしげに目を細める。
「世間にそんなふうに言わせないためには、まずは有坂テクトの経営改善が第一だ。そのために、少し考えていることがあるんだ」
「え?」
 それはどういうことかと、瞳を輝かせる実音に、海翔は人さし指を唇にそえて言う。
「それは、今はまだ秘密だ。まずは奏太さんと少し話してからにさせてほしい」
「兄に、ですか?」
 兄の奏太は、すで日本を離れている。
 ただ月末に有坂テクト創業百周年を記念した祝賀会があるので、そこまでにはまた帰国することになっている。その時に、ふたりで話すつもりだという。
 彼の作戦がなんであるかは気になるが、そこは自分が口出しする場所ではないと納得して、実音は追及するのをやめておいた。
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