買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
それから約一週間。
海翔との平穏な日々を過ごしていた実音は、金曜の夜に、父親から『明日、家に来るように』との連絡を受けた。
海翔も必ず連れてくるようにと告げる際、名前を口にする父の声がひどく苦々しげだったことが気にかかったのだけど、一応は、彼に父からの伝言をそのまま伝えてみた。
実音の話を聞いた海翔は『結婚の経緯が経緯だし、娘の父親としては仕方ないさ』と気を悪くした様子もなく言ってくれた。
確かに兄の奏太も、最初はふたりの関係を心配していたから同じような気持ちなのかもしれない。
それなら兄の時のように、彼が実音を大事に思ってくれていると知れば、その態度を軟化させてくれるだろう。
そんな軽い気持ちで、海翔とふたり実家を訪れた。
でも玄関に入った瞬間、三和土に揃えられている見知らぬ皮靴に、嫌なものを感じた。
そして出迎えた母の暗い表情や、海翔が差し出した手土産を拒むかたくなな姿から、自分たちにとってよくない自体が起きていると理解した。
「お母様、私たちの他にも、誰かお客様がみえてるの?」
廊下を歩きながら、案内をする母にそう尋ねてみたけど答えはない。
傍らの海翔に視線を向けると、彼は、仕方ないといった感じに肩をすくめる。
彼としては、実音の家族がどういう態度でいても、誠意を尽くしてふたりの関係を認めるつもりなので、冷たくあしらわれても気にしないつもりのようだ。
もちろん実音だって、心を込めて両親を説得するつもりでいる。
だからちゃんと話し合えば大丈夫だと思っていたのに、客間ではなく父の書斎に案内されたことに戸惑う実音は、そこで持ち受けていた人の姿に目を見張った。
「やあ、実音さん。お久しぶり」
ソファーに実音の父と並んで腰かけ、爽やかに笑ってふたりを出迎えるのは遼介だ。
当たり障りのない地味なスーツを折目正しく着込んでいる彼は、一見育ちのよい真面目そうな人間に見える。
だけど彼の本性を嫌というほど知り尽くしている実音としては、その変貌ぶりにより強い警戒心を働かせる。
「……ご無沙汰しております」
無言で警戒していた実音は、父に睨まれ、渋々挨拶の言葉を口にした。隣の海翔も、警戒しつつも、ソファーに座るふたりに挨拶をする。
そしてふたりで父たちの向かいのソファーに腰を下ろそうとすると、その動きを実音の父が止めた。
「八神君は立ったままでけっこう」
「お父様っ!」
海翔にそんな失礼な態度を取るなんて許せない。
座ることなく声を荒らげる実音を無視して、父は海翔に険しい眼差しを向ける。
「八神君、君の母親が犯罪者だそうだな」
「え?」
思いがけない話に驚き、実音は海翔を見た。
彼もひどく驚いた顔をしている。でもその直後、口に手を当てて小さな声を漏らした。
その動きを、父は見逃さない。
「そのことを承知で、それを隠して私の娘と結婚したのか?」
「証拠もないのに、変なこと言わないでっ!」
言われない誹謗中傷に戸惑ったのか、咄嗟の反論に出ない海翔に代わって、実音が声を荒らげた。
でもその言葉を待っていたかのように、遼介がソファーの前のテーブルに書類を投げてよこす。
海翔の隣で立ったままでいた実音は、腰を屈めてその種類を手に取った。
数枚の書類をクリップで留めたそれは、一番上に古い新聞記事のコピーしたもののようだった。
痴情のもつれによる怨恨か――そんな見出しのもと綴られている記事は、とある女性が内縁関係にあった男性を口論の末に斬りつけたという内容だ。
穴埋め程度に扱われた事件なのか、犯人の顔写真もない小さな記事は、四国地方のローカル新聞のものだった。
そしてその犯人の名前は、苗字は実音の知らないものだったけど、下の名前は以前海翔から聞いた彼の母の名前と同じだった。
その事実に、実音は心臓を掴まれたような気がした。
きっと、残りの書類には、その女性が海翔の母親であることの証拠が綴られているのだろう。
(でもそんなの、海翔さんにはなんの関係もない)
新聞の日付はかなり古く、海翔が中学生くらいの事件だとわかる。
彼を貶めるために、こんな古い生地を探し出してきた遼介の陰湿さに腹が立つ。
「もしこれが海翔さんのお母様の起こした事件だとしても、この頃には、海翔さんとお母様の交流は途絶えていました。それにもし一緒に暮らしていたとしても、彼にはなんの関係もない話です」
「実音、お前は黙ってろっ!」
反論する実音を、父が一喝した。
あまりの気迫に実音が口を噤むと、父は話を続ける。
「そんな家の人間に娘を嫁がせたと知られたら、有坂家の大恥だ。お前、今すぐ離婚しろ。そしてほとぼりが冷めたら、最初の予定通り遼介君と結婚するんだ」
「なにを言っているのっ」
そんなのありえない。
一方的な離婚の命令もそうだけど、有坂テクトはヤガミの支援を受けて体勢を整え直しているところだというのに。
そもそも実音と遼介との婚約解消は、双方の家が既に承諾しているというのに……
実音の戸惑ういを見透かしたように、遼介が話を引き継ぐ。
「確かに僕と実音さんの縁談は、双方の感情の行き違いから、一度は破談となりました。だけど実音さんの夫となった男の正体を知ったウチの父が、ひどく衝撃を受けまして、由緒ある家の令嬢がそんな男のもとに嫁がせるのは不憫に思い、全てを水に流すと言ってます。もちろん、有坂テクトを立て直す為の支援は小松メディカルが責任を持ちます」
そう言って、遼介は卑屈に笑う。
その話が何処まで本当のことかわからないけど、パーティーの席で自分に恥をかかせた海翔に仕返しするために、彼の家族のことを調べたのだろうと思うと腹が立つ。
遼介の表情が見えていない父は、厳めしい表情で言う。
「そんなわけだから、八神君、悪いが一日も早く実音と離婚して家に帰してくれ。実音、お前と遼介君との結婚については有坂テクト百周年の式典で公表するからな」
「嫌ですっ!」
実音は強い口調で断言した。
娘に反論されると思っていなかったのか、実音の父が驚いた顔をしているけど、知ったことではない。
自分はもう、有坂の人間ではなく、八神海翔の妻なのだ。
「海翔さんは、私が選んだ夫です。大事な夫を侮辱するのなら、親子の縁を切ってでも彼について行きます」
そう断言した実音は、手にしていた書類をテーブルに戻し、海翔の腕を引いて書斎を後にした。
一度は家族を守るために、好きでもない男と結婚してもいいと思った実音だけど、今は違う。
逆に、愛する人の為になら家族を捨てても構わない。
そう思っていても、驚いた顔で玄関まで出てきた母に頭を下げる時は、もう二度と会えないのかもしれないと思ったら胸が軋んだ。
海翔との平穏な日々を過ごしていた実音は、金曜の夜に、父親から『明日、家に来るように』との連絡を受けた。
海翔も必ず連れてくるようにと告げる際、名前を口にする父の声がひどく苦々しげだったことが気にかかったのだけど、一応は、彼に父からの伝言をそのまま伝えてみた。
実音の話を聞いた海翔は『結婚の経緯が経緯だし、娘の父親としては仕方ないさ』と気を悪くした様子もなく言ってくれた。
確かに兄の奏太も、最初はふたりの関係を心配していたから同じような気持ちなのかもしれない。
それなら兄の時のように、彼が実音を大事に思ってくれていると知れば、その態度を軟化させてくれるだろう。
そんな軽い気持ちで、海翔とふたり実家を訪れた。
でも玄関に入った瞬間、三和土に揃えられている見知らぬ皮靴に、嫌なものを感じた。
そして出迎えた母の暗い表情や、海翔が差し出した手土産を拒むかたくなな姿から、自分たちにとってよくない自体が起きていると理解した。
「お母様、私たちの他にも、誰かお客様がみえてるの?」
廊下を歩きながら、案内をする母にそう尋ねてみたけど答えはない。
傍らの海翔に視線を向けると、彼は、仕方ないといった感じに肩をすくめる。
彼としては、実音の家族がどういう態度でいても、誠意を尽くしてふたりの関係を認めるつもりなので、冷たくあしらわれても気にしないつもりのようだ。
もちろん実音だって、心を込めて両親を説得するつもりでいる。
だからちゃんと話し合えば大丈夫だと思っていたのに、客間ではなく父の書斎に案内されたことに戸惑う実音は、そこで持ち受けていた人の姿に目を見張った。
「やあ、実音さん。お久しぶり」
ソファーに実音の父と並んで腰かけ、爽やかに笑ってふたりを出迎えるのは遼介だ。
当たり障りのない地味なスーツを折目正しく着込んでいる彼は、一見育ちのよい真面目そうな人間に見える。
だけど彼の本性を嫌というほど知り尽くしている実音としては、その変貌ぶりにより強い警戒心を働かせる。
「……ご無沙汰しております」
無言で警戒していた実音は、父に睨まれ、渋々挨拶の言葉を口にした。隣の海翔も、警戒しつつも、ソファーに座るふたりに挨拶をする。
そしてふたりで父たちの向かいのソファーに腰を下ろそうとすると、その動きを実音の父が止めた。
「八神君は立ったままでけっこう」
「お父様っ!」
海翔にそんな失礼な態度を取るなんて許せない。
座ることなく声を荒らげる実音を無視して、父は海翔に険しい眼差しを向ける。
「八神君、君の母親が犯罪者だそうだな」
「え?」
思いがけない話に驚き、実音は海翔を見た。
彼もひどく驚いた顔をしている。でもその直後、口に手を当てて小さな声を漏らした。
その動きを、父は見逃さない。
「そのことを承知で、それを隠して私の娘と結婚したのか?」
「証拠もないのに、変なこと言わないでっ!」
言われない誹謗中傷に戸惑ったのか、咄嗟の反論に出ない海翔に代わって、実音が声を荒らげた。
でもその言葉を待っていたかのように、遼介がソファーの前のテーブルに書類を投げてよこす。
海翔の隣で立ったままでいた実音は、腰を屈めてその種類を手に取った。
数枚の書類をクリップで留めたそれは、一番上に古い新聞記事のコピーしたもののようだった。
痴情のもつれによる怨恨か――そんな見出しのもと綴られている記事は、とある女性が内縁関係にあった男性を口論の末に斬りつけたという内容だ。
穴埋め程度に扱われた事件なのか、犯人の顔写真もない小さな記事は、四国地方のローカル新聞のものだった。
そしてその犯人の名前は、苗字は実音の知らないものだったけど、下の名前は以前海翔から聞いた彼の母の名前と同じだった。
その事実に、実音は心臓を掴まれたような気がした。
きっと、残りの書類には、その女性が海翔の母親であることの証拠が綴られているのだろう。
(でもそんなの、海翔さんにはなんの関係もない)
新聞の日付はかなり古く、海翔が中学生くらいの事件だとわかる。
彼を貶めるために、こんな古い生地を探し出してきた遼介の陰湿さに腹が立つ。
「もしこれが海翔さんのお母様の起こした事件だとしても、この頃には、海翔さんとお母様の交流は途絶えていました。それにもし一緒に暮らしていたとしても、彼にはなんの関係もない話です」
「実音、お前は黙ってろっ!」
反論する実音を、父が一喝した。
あまりの気迫に実音が口を噤むと、父は話を続ける。
「そんな家の人間に娘を嫁がせたと知られたら、有坂家の大恥だ。お前、今すぐ離婚しろ。そしてほとぼりが冷めたら、最初の予定通り遼介君と結婚するんだ」
「なにを言っているのっ」
そんなのありえない。
一方的な離婚の命令もそうだけど、有坂テクトはヤガミの支援を受けて体勢を整え直しているところだというのに。
そもそも実音と遼介との婚約解消は、双方の家が既に承諾しているというのに……
実音の戸惑ういを見透かしたように、遼介が話を引き継ぐ。
「確かに僕と実音さんの縁談は、双方の感情の行き違いから、一度は破談となりました。だけど実音さんの夫となった男の正体を知ったウチの父が、ひどく衝撃を受けまして、由緒ある家の令嬢がそんな男のもとに嫁がせるのは不憫に思い、全てを水に流すと言ってます。もちろん、有坂テクトを立て直す為の支援は小松メディカルが責任を持ちます」
そう言って、遼介は卑屈に笑う。
その話が何処まで本当のことかわからないけど、パーティーの席で自分に恥をかかせた海翔に仕返しするために、彼の家族のことを調べたのだろうと思うと腹が立つ。
遼介の表情が見えていない父は、厳めしい表情で言う。
「そんなわけだから、八神君、悪いが一日も早く実音と離婚して家に帰してくれ。実音、お前と遼介君との結婚については有坂テクト百周年の式典で公表するからな」
「嫌ですっ!」
実音は強い口調で断言した。
娘に反論されると思っていなかったのか、実音の父が驚いた顔をしているけど、知ったことではない。
自分はもう、有坂の人間ではなく、八神海翔の妻なのだ。
「海翔さんは、私が選んだ夫です。大事な夫を侮辱するのなら、親子の縁を切ってでも彼について行きます」
そう断言した実音は、手にしていた書類をテーブルに戻し、海翔の腕を引いて書斎を後にした。
一度は家族を守るために、好きでもない男と結婚してもいいと思った実音だけど、今は違う。
逆に、愛する人の為になら家族を捨てても構わない。
そう思っていても、驚いた顔で玄関まで出てきた母に頭を下げる時は、もう二度と会えないのかもしれないと思ったら胸が軋んだ。