買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
12・確かなもの
有坂テクトの創立百周年の祝賀会は、奏太が実音たちのもを訪れた日から身三日後の土曜日に都内のホテルで開催されるはこびとなっていた。
会場であるイベントホールは高層階にあり、昼下がりのこの時間は、ホテル敷地内の日本庭園だけでなく隣接する国立公園の緑も楽しめる。
祝賀会の開催まであと一時間ほどに迫る中、実音の姿は、ホテルのスイートルームにあった。
リビングスペースで、兄の奏太と向き合って座っていた実音は、人が入ってくる気配に腰を浮かせた。
部屋に入ってきた実音の父は、実音の隣に座る海翔の姿に顔を顰めた。
「離婚させたんじゃないのか?」
父にそう言われても、兄はお構いなしといった感じだ。
海翔に至っては、見せつけるように座り直す実音の手に、自分の手を重ねた。
彼のその態度には、実音の父に続いて部屋に入って来た遼介も顔を顰めている。
「僕は、父さんの要望をふたりに伝えた。結果、ふたりは納得して最善の結論をだしたと言っただけだよ」
反論しながら、奏太が一人がけのソファーに移動すると、渋々といった感じで実音の父と遼介は、実音たちの向かいに腰を下ろした。
「それはつまり、離婚して遼介君と結婚するということだろ」
実音の父が、感情の持って行き場を探して膝を叩く。
「そんなことして、なんのメリットがあるんですか?」
そう口を挟む海翔に、遼介が眉を跳ねさせる。
「この前の話を聞いていなかったのか? お前たちが別れたら、小松メディカルが支援してくれるはこびだ」
実音の父の手前、口調や声の勢いは抑えているけど、かなり苛立っているようだ。
でも海翔は、どこまでも涼しい顔で質問を重ねる。
「小松崎氏は、ついに父君に勘当され、会社も追われたと聞いてている。そんな愚息を婿に迎えたところで、小松メディカルからの支援は望めないのでは?」
「なにっ?」
海翔の言葉に、実音の父が、驚愕の顔で遼介を見た。
遼介はと言えば、顔をこわばらせて誰とも視線を合わせようとしない。
「どういう……ことだ?」
困惑する父に、奏太が告げる。
「遼介さんは、父さんと同じことをしようとしていたんだよ」
「私と同じこと?」
「そう。これまでの悪行がバレて、会社をクビになった上に相続人からも外された彼は、有坂の家に寄生しようとしていたんだよ。公の場で結婚を発表すれば、その後で事実を知っても、世間体を気にする父さんなら離婚さえることはないと考え、実音と海翔さんの仲を裂こうとしていたんだ」
まさにそれは、小松メディカルの資金運用がほしくて、実音の結婚を急かしていた父と同じやり方だ。
「遼介君、本当なのか?」
詰問する父の声に、遼介が舌打ちする。
「俺が全てを失ったのに、有坂テクトだけ、生き延びるなんてありえないだろ。ヤガミにも見捨てられて、俺と一緒にどん底まで落ちればいいんだよ」
吐き捨てるように言い、遼介が立ち上がる。
「なっ!」
今更ながらに彼の思惑を理解して、父が愕然として表情を浮かべているが、遼介はその表情を味わうように口角を持ち上げて言う。
「まあ、ヤガミにも見捨てられなら、よしとしておくか。さすがのヤガミも、あれだけ暴言を吐いたアンタに支援ししたりはしないだろうしな」
そう言いながら、遼介は視線で海翔に確認する。
「当然だ。全てを白紙に戻し、有坂テクトには自力で再興を模索してもらう」
冷めた表情で海翔がうなずくと、ざまあ見ろと高笑いを残して、遼介は部屋を出て行った。
「……っ」
遠くで玄関扉の開閉する音が聞こえる、室内に沈黙が満ちた。
さすがの父も、この状況を招いた原因が自分にあると理解してなにも言えずにいるらしい。
「本当に、あんな男と結婚して実音が幸せになれると思ってた?」
憔悴しきっている父にそう問いかけたのは、奏太だ。
皮肉を含んだ兄の言葉に、父は苦々しげな顔で返す。
「少なくとも、家柄としては申し分なかった。私は私なりに、実音のためを思って結婚相手を選んでいたつもりだ」
今となっては、その台詞の何割かは、ただの負け惜しみに過ぎないのだろう。
だけど、何気なく発したその言葉に、海翔の生い立ちに対する蔑みが感じられた。
それは海翔も感じているのだろう。
膝の上に乗せている拳に、微かに力が入る。
「とにかく、これでウチは終わりだ。屋敷を売り払って、売却できるものから売却して、その日に備える準備を始めればいいんだろ」
やけくそ気味な口調で話す父に、奏太が「落ち着けよ」と声をかけ、テーブルに書類の束を置く。
「これは?」
「八神さんが、ウチの立て直しのために揃えてくれた事業改善案だ。それによれば、ずっと昔にウチが特許申請だけして放置していた、いわゆる死活特許だった精密危機の免震システムの活用方法に関するノウハウが纏められている」
奏太の言葉に驚きながらも書類に目を通していく。
ある程度読み進めたタイミングで海翔が口を開いた。
「実音の夫である私が支援をすれば、世間は彼女を金で買われた嫁と噂するでしょう。それを避けるために、融資の話は白紙にもどさせていただきますが、新たな人脈を開拓する協力などはさせていただきます。その道筋については奏太氏と、既に準備をすすめさせていただいております」
「お前っ」
実音の父は、驚いたように奏太を見た。
「僕はまだ諦めていないし、八神さんがウチの死活特許の活かし方を教えてくれたおかげで、屋敷を手放すことなく経営を立て直す道筋も見えてきた。まだまだ苦労はするだろうけど、僕は諦めてないよ」
海翔の着眼点や発想力を褒める兄の言葉に、海翔は「違いますよ」と困ったように笑う。
「その特許を見付けたのは、娘さんです」
「実音が?」
海翔の言葉に、父が心底驚いた声をあげた。
なんとなく叱られたような気分になって、小さくなっている実音の代わりに、海翔が事情を説明する。
「有坂テクトの窮状を知ってから、彼女はずっと自分なりに起死回生のお術を探していました。全てはそのおかげです」
海翔の説明では、実音は立派な働きをしたように聞こるが、そんなすごい話ではない。
もともとは遼介との縁談を回避するために、なにかいい方法はないかとあれこれ調べていたのが始まりだ。
そこから海翔への思いを示すため、彼のためにも金で買われた嫁と言われないためにと、少しずつ目的を変えながら、有坂テクトを救う方法を探ってはいた。だけど実音の持ち合わせている知識ではその手立てわからず、実音が集めていた資料を見た海翔が今回の道筋を作ってくれたのだ。
「だから、これを手柄にふたりの関係を認めてくださいとは言いません」
「当たり前だ」
海翔の言葉に、父が苦々しげに言う。
「それでも私は、娘さんと別れるつもりはありません。彼女が私についてきてくれると言うのであれば、なおのこと」
「……」
「その選択を後悔させないためにも、自分の生涯をかけて彼女を大事に慈しんで生きていきますので、安心してください」
一度は、自分なんかのために家族を捨てる必要はないと話した海翔だけど、これが彼の正直な気持ちなのだ。
強い覚悟を感じさせる口調でそう話す海翔は「ですが」と、寂しげな顔をして言う。
「できれば、彼女に親を捨てる選択を取らせないであげてください。どうしようもない親に捨てられて育った俺と違って、彼女は、自分を慈しんで育ててくれた両親も、お兄さんのことも好きなんです」
海翔は深く頭を下げる。
その隣で、実音も頭を下げたけど、父は、石になったみたいに微動だにしない。
「海翔さん、もういいですよ」
見かねた兄がそう声をかけて、ふたりの頭を上げさせる。
そしてそのままふたりに部屋を出るよう促し、玄関まで見送ってくれた。
会場であるイベントホールは高層階にあり、昼下がりのこの時間は、ホテル敷地内の日本庭園だけでなく隣接する国立公園の緑も楽しめる。
祝賀会の開催まであと一時間ほどに迫る中、実音の姿は、ホテルのスイートルームにあった。
リビングスペースで、兄の奏太と向き合って座っていた実音は、人が入ってくる気配に腰を浮かせた。
部屋に入ってきた実音の父は、実音の隣に座る海翔の姿に顔を顰めた。
「離婚させたんじゃないのか?」
父にそう言われても、兄はお構いなしといった感じだ。
海翔に至っては、見せつけるように座り直す実音の手に、自分の手を重ねた。
彼のその態度には、実音の父に続いて部屋に入って来た遼介も顔を顰めている。
「僕は、父さんの要望をふたりに伝えた。結果、ふたりは納得して最善の結論をだしたと言っただけだよ」
反論しながら、奏太が一人がけのソファーに移動すると、渋々といった感じで実音の父と遼介は、実音たちの向かいに腰を下ろした。
「それはつまり、離婚して遼介君と結婚するということだろ」
実音の父が、感情の持って行き場を探して膝を叩く。
「そんなことして、なんのメリットがあるんですか?」
そう口を挟む海翔に、遼介が眉を跳ねさせる。
「この前の話を聞いていなかったのか? お前たちが別れたら、小松メディカルが支援してくれるはこびだ」
実音の父の手前、口調や声の勢いは抑えているけど、かなり苛立っているようだ。
でも海翔は、どこまでも涼しい顔で質問を重ねる。
「小松崎氏は、ついに父君に勘当され、会社も追われたと聞いてている。そんな愚息を婿に迎えたところで、小松メディカルからの支援は望めないのでは?」
「なにっ?」
海翔の言葉に、実音の父が、驚愕の顔で遼介を見た。
遼介はと言えば、顔をこわばらせて誰とも視線を合わせようとしない。
「どういう……ことだ?」
困惑する父に、奏太が告げる。
「遼介さんは、父さんと同じことをしようとしていたんだよ」
「私と同じこと?」
「そう。これまでの悪行がバレて、会社をクビになった上に相続人からも外された彼は、有坂の家に寄生しようとしていたんだよ。公の場で結婚を発表すれば、その後で事実を知っても、世間体を気にする父さんなら離婚さえることはないと考え、実音と海翔さんの仲を裂こうとしていたんだ」
まさにそれは、小松メディカルの資金運用がほしくて、実音の結婚を急かしていた父と同じやり方だ。
「遼介君、本当なのか?」
詰問する父の声に、遼介が舌打ちする。
「俺が全てを失ったのに、有坂テクトだけ、生き延びるなんてありえないだろ。ヤガミにも見捨てられて、俺と一緒にどん底まで落ちればいいんだよ」
吐き捨てるように言い、遼介が立ち上がる。
「なっ!」
今更ながらに彼の思惑を理解して、父が愕然として表情を浮かべているが、遼介はその表情を味わうように口角を持ち上げて言う。
「まあ、ヤガミにも見捨てられなら、よしとしておくか。さすがのヤガミも、あれだけ暴言を吐いたアンタに支援ししたりはしないだろうしな」
そう言いながら、遼介は視線で海翔に確認する。
「当然だ。全てを白紙に戻し、有坂テクトには自力で再興を模索してもらう」
冷めた表情で海翔がうなずくと、ざまあ見ろと高笑いを残して、遼介は部屋を出て行った。
「……っ」
遠くで玄関扉の開閉する音が聞こえる、室内に沈黙が満ちた。
さすがの父も、この状況を招いた原因が自分にあると理解してなにも言えずにいるらしい。
「本当に、あんな男と結婚して実音が幸せになれると思ってた?」
憔悴しきっている父にそう問いかけたのは、奏太だ。
皮肉を含んだ兄の言葉に、父は苦々しげな顔で返す。
「少なくとも、家柄としては申し分なかった。私は私なりに、実音のためを思って結婚相手を選んでいたつもりだ」
今となっては、その台詞の何割かは、ただの負け惜しみに過ぎないのだろう。
だけど、何気なく発したその言葉に、海翔の生い立ちに対する蔑みが感じられた。
それは海翔も感じているのだろう。
膝の上に乗せている拳に、微かに力が入る。
「とにかく、これでウチは終わりだ。屋敷を売り払って、売却できるものから売却して、その日に備える準備を始めればいいんだろ」
やけくそ気味な口調で話す父に、奏太が「落ち着けよ」と声をかけ、テーブルに書類の束を置く。
「これは?」
「八神さんが、ウチの立て直しのために揃えてくれた事業改善案だ。それによれば、ずっと昔にウチが特許申請だけして放置していた、いわゆる死活特許だった精密危機の免震システムの活用方法に関するノウハウが纏められている」
奏太の言葉に驚きながらも書類に目を通していく。
ある程度読み進めたタイミングで海翔が口を開いた。
「実音の夫である私が支援をすれば、世間は彼女を金で買われた嫁と噂するでしょう。それを避けるために、融資の話は白紙にもどさせていただきますが、新たな人脈を開拓する協力などはさせていただきます。その道筋については奏太氏と、既に準備をすすめさせていただいております」
「お前っ」
実音の父は、驚いたように奏太を見た。
「僕はまだ諦めていないし、八神さんがウチの死活特許の活かし方を教えてくれたおかげで、屋敷を手放すことなく経営を立て直す道筋も見えてきた。まだまだ苦労はするだろうけど、僕は諦めてないよ」
海翔の着眼点や発想力を褒める兄の言葉に、海翔は「違いますよ」と困ったように笑う。
「その特許を見付けたのは、娘さんです」
「実音が?」
海翔の言葉に、父が心底驚いた声をあげた。
なんとなく叱られたような気分になって、小さくなっている実音の代わりに、海翔が事情を説明する。
「有坂テクトの窮状を知ってから、彼女はずっと自分なりに起死回生のお術を探していました。全てはそのおかげです」
海翔の説明では、実音は立派な働きをしたように聞こるが、そんなすごい話ではない。
もともとは遼介との縁談を回避するために、なにかいい方法はないかとあれこれ調べていたのが始まりだ。
そこから海翔への思いを示すため、彼のためにも金で買われた嫁と言われないためにと、少しずつ目的を変えながら、有坂テクトを救う方法を探ってはいた。だけど実音の持ち合わせている知識ではその手立てわからず、実音が集めていた資料を見た海翔が今回の道筋を作ってくれたのだ。
「だから、これを手柄にふたりの関係を認めてくださいとは言いません」
「当たり前だ」
海翔の言葉に、父が苦々しげに言う。
「それでも私は、娘さんと別れるつもりはありません。彼女が私についてきてくれると言うのであれば、なおのこと」
「……」
「その選択を後悔させないためにも、自分の生涯をかけて彼女を大事に慈しんで生きていきますので、安心してください」
一度は、自分なんかのために家族を捨てる必要はないと話した海翔だけど、これが彼の正直な気持ちなのだ。
強い覚悟を感じさせる口調でそう話す海翔は「ですが」と、寂しげな顔をして言う。
「できれば、彼女に親を捨てる選択を取らせないであげてください。どうしようもない親に捨てられて育った俺と違って、彼女は、自分を慈しんで育ててくれた両親も、お兄さんのことも好きなんです」
海翔は深く頭を下げる。
その隣で、実音も頭を下げたけど、父は、石になったみたいに微動だにしない。
「海翔さん、もういいですよ」
見かねた兄がそう声をかけて、ふたりの頭を上げさせる。
そしてそのままふたりに部屋を出るよう促し、玄関まで見送ってくれた。