買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
 ヨーロッパの迎賓館をモチーフにしているという宴会場は、天井の高い位置に豪華なシャンデリアが輝いていている。
 有坂テクトの関係者として、来客に挨拶をして回っていた実音だが、スピーチが始まったことで、やっと一息つけるといった感じだ。
「お疲れさま」
 離れた位置で、一般客のフリをしてこの場にいた海翔が、シャンパングラスを差し出してくれる。
「ありがとうございます」
 お礼を言ってグラスを受け取り、それを一口飲む。
 緊張する場面が続いていたため気が付いていなかったけど、かなり喉が渇いていたらしい。
 空になったグラスをスタッフに返した実音は、目立たない場所から、海翔とふたり舞台に視線を向けた。
 先ほどスイートルームを出る際、兄に、最後になるかもしれないから祝賀会には出席してほしいと頼まれた。
 兄の言う『最後』が、家族としていう意味なのか、この先、有坂テクトの再興を失敗した場合のことを意味しているのかはわからなかったけど、ふたりにそれを断る理由はなかった。
 そしていざ会場入りをすれば、実音は有坂テクトの社長令嬢として、海翔はヤガミのCEOとしてひっきりなしの声を掛けられ、その対応に忙しくしていた。
 舞台の上では来賓の方々への謝辞を伝えていた父が、近い内に第一線を退き、後任を息子である奏太に任せることを報告している。
 突然の引退宣言に一度はどよめきが走ったが、奏太の優秀さを知るものも多いため、すぐに祝福の拍手へと代わっていく。
「ありがとうございました」
 実音は改めてお礼を言うが、海翔は首を横に振る。
「有坂氏に引退を決断させたのは、再興をあきらめない君のお兄さんの強さのおかげだよ」
 父が差し出すマイクを受け取った奏太が、凜々しい表情で挨拶をしている。
 社長が代わったくらいで、今すぐ有坂テクトが抱えている問題の全てが解決されるわけじゃない。
 それでも兄がいれば大丈夫だと納得して、見守ることできるのは、それが押しつけでなく、兄自身が望んで挑んでいることだとわかっているからだ。
 義弟として、海翔がサポートしてくれるという安心感もある。
 家族としてしてあげられることは全部したという思いがあるから、後は愛する人と二人、ともに歩んでいくだけだ。
 実音は、隣に立つ海翔の手をそっと握った。
「有坂のことは兄に任せて、私は、これからの海翔さんとの人生を大事にしていきます」
 その選択は、実音が自分の手で人生を切り開いた末に見付けた、確かな幸せの形なのだ。
 プライドの高い父に受け入れてもらえなかったのは残念だけど、自分が選んだ道に後悔はない。
 近く有休消化中も終わり、忙しいくも楽しい、ヤガミで働く日々が戻ってくる。
 そうなれば、父と和解できなかったことに落ち込む暇もないはずだ。
 舞台の上では、挨拶を終えた兄が父にマイクを返し、それを受け取った父が締めくくりの挨拶をしている。
 それに対して、周囲が祝福の拍手を送る。
 実音と海翔も繋いでいる手を解き、静かな拍手を贈る。
 祝福の拍手の中、一礼した父は、なぜだか再度手マイクを持ち上げた。
 どうかしたのかと視線を向けていると、会場を見わたしていた父と目が合った。自分たちの姿を確認して、父は一度大きな深呼吸をして言う。
「最後に、私的な話ではありますが、娘の結婚の報告をさせていただければと思います」
 その言葉に一度は収まりかけていた拍手の音が、再度フロア内に鳴り響く。
「え?」
 驚きの声を漏らす実音へと視線を向け、父は続ける。
「愚かな父に正しい道を示すことのできる、心根がまっすぐな娘が選んだ相手は、賢く聡明な人間だ。そんな彼を、息子として迎えることのできたことを心から感謝しています」
 海翔の人柄を認める父は、そのまま離れた位置から、「八神海翔君、娘をよろしくお願いします」と、深く頭を下げた。
 実音が有坂テクトの令嬢であることを知る人たちは、こちらに顔を向け、海翔と実音のふたりに惜しみない拍手を贈ってくれる。
「海翔さんのおかげです」
 彼の真摯な態度が、プライドの高い父の心を動かしたのだ。
 それなのに、海翔は違うと首を横に振る。
「実音が、幸せな未来を諦めずにいてくれたおかげだ。その強さが、俺たち全員を幸せにしてくれたんだ」
 蕩けるような声で話し、海翔は実音の頬に手を添え、唇を重ねた。
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