買われた花嫁は冷徹CEOに息もつけぬほど愛される
 毎朝、海翔とCEO付きの先輩秘書のためのコーヒーを淹れるのは、年少者である実音の仕事となっている。
 といっても、コーヒーを淹れるは機械任せなので、人数分の粉と水をセットすれば後は見守る位しかやることはない。
 だから上質なコーヒー豆がドリップされていく芳醇な香りを味わいながら、昨夜の父の言葉を思い出す。
 昨夜、海翔に見送られタクシーに乗り込んだ実音は、自分の許嫁である遼介が、見ず知らずの女性と口付けを交わしている姿を目撃した。
 思いがけない光景に一度は衝撃を受けた実音だけど、よく考えれば自分たちは、親同士が決めた許婚でしかないのだ。
 彼に他に思う人がいるのであれば、無理して関係を続ける必要はない。
 そう思い直した実音は、それとなく彼との関係を解消できないか父の大雅(たいが)に提案してみた。
 だけど父は、実音のその言葉に激高して、取り付く島もないといった感じだった。
 もとから娘が社会に出て働くことには否定的な考えを持っていたこともあり、『社会なんかに出るから、そんなことを言い出すんだ』と、見当違いな説教をされてしまった。
 古い価値観に固執する父は、女子の学歴など花嫁道具の一つに過ぎず、女性は外で働くより、早く結婚して家や夫に尽くべきという考え方をしている。
 実音が就職したいと言いだした時も、猛反対だった。
 その時は、兄の奏太と、許嫁である遼介が味方してくれたおかげでどうにか就職できたけれど、今も実音が社会に出て働くことを快くは思っていない。
(そういえば、遼介さん、私の就職を積極的に応援してくれたよね)
 普段それほど交流のない許嫁だが、実音が就職の件で父と揉めていると聞きつけた際には、わざわざ有坂家を訪れて『一度社会に出て、働くことの大変さを学んでもらった方が自分としても嬉しい』といったことを口にして父を説得してくれたのだ。
 今思えば、その頃から彼には、他に思いを寄せる人がいて、ふたりの結婚を先延ばししたくての行動だったのかもしれない。
「遼介さん、あの人と付き合っているんだよね」
 もしそうなら、遠慮なく自分たちの関係は解消してもらって構わない。
 遼介の父は生真面目で、実音の父以上に、家柄や血筋にこだわりが強い人だ。
 世間体をかなり気にする性格なので、長年の許嫁との婚約を一方的に解消して他の女性と結婚するなんて簡単には許さなかもしれない。最近やたら結婚を急かしくる実音の父も反対するだろう。
 でも結婚は本人の自由だし、一番の当事者である実音に二人を責める気持ちはないのだから、愛するもの同士、是非とも幸せになっていただきたい。
 そのためにはまず早い時期に遼介と話し合う時間を作り、破談になっても自分は大丈夫だと彼に伝えよう。
 昨日の出来事にそう結論付けた実音は、コーヒーをそれぞれの専用タンブラーに移して、CEO専用の執務室へと向かった。
< 6 / 48 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop