ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

 エリスはリアム以上に困惑しながら言葉を返す。
 するとリアムは再び唇を開き何か言おうとしたが、その声は、通りの向こうから響いた人々の悲鳴によってかき消された。


「きゃああ! 子供が川に落ちたわ……!」
「二人だ! 落ちた嬢ちゃんを助けようとして、坊主まで飛び込んじまった!」
「誰か! 早く浮き輪とロープ! 釣り竿でも何でもいい! 持ってこい!」
「泳げる人はいないのかい!? あのままじゃどっちも沈んじまうよ!」

 人々の怒号が、エリスの耳に飛び込んでくる。
 それを聞いた彼女は、真っ先に走り出した。


(まさか……、まさか……!)

 
 一気に五十メートルを走り切り、橋の欄干から下を見下ろす。

 すると、幅二十メートルほどある川の真ん中で、アデルが必死にシーラを抱えようとしているところだった。

 まだ沈んでいないが、シーラはパニック状態で暴れている。水難時は第一に、冷静になることが大切だが、子供にはそれは難しいだろう。

『アデル! 大丈夫よ! 今助けるわ!』

 エリスは声を張り上げながら、川の様子と土手の傾斜を確認する。

(水面からの高さは約七メートル、水深は少なくとも二メートル以上。土手も這い上がれる角度だわ。これなら、十分飛び込める。助けられる)

 そして靴を脱ぎ捨てると、ドレスの裾を何のためらいもなく引き裂いた。

 夏の薄い生地のドレスとはいえ、長い裾は泳ぐのに邪魔になる。少しでも身軽であるに越したことはない。

 だがそのとき、後ろから追いかけてきたらしいリアムに、必死の形相で止められた。

「レディ、いったい何を……!? まさか飛び込む気じゃないでしょうね!? 止めてください! 私が行きますから!」と。

「あなたが?」
「はい、私が行きます! ですから!」

(でも……この方、泳げるのかしら)

 先ほどから、帝国民は誰一人として川に飛び込もうとしない。
 人を呼んだり、浮き輪を探したり、そういう動きは見せるものの、水に入ろうとするものはいないのだ。
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