パラレルワールドの恋
ーーーしょうちゃん、好きだ、ごめんね。
君も私も、嘘つきだ。
祖父が亡くなって、1年。私が20歳から5年間を過ごした祖父のあの家を、とうとう取り壊すことになったと母から連絡があった。
「章子もまだ置きっぱなしの物あるでしょ、今度鍵開けてあげるから取りに行きなさい」
そう母からの電話で言われた私は、渋々電車で小一時間の祖父の家へ向かった。
誰も住まなくなった家というのは、当たり前でも『もぬけの殻』という言葉がぴったりで、元気だった祖父を思うと、私はとても寂しい気持ちになった。
私が借りていた部屋で、要る物、要らない物を整理していた時、見覚えのあるアルバムが出てきた。
「懐かしいなあ、高校の写真か。こんなところにあったのね。」
そう独りごちて、アルバムをそっとめくる。インスタントカメラで撮られた写真たち。大体の写真のカメラマンは私だ。カメラに向かってポーズを決めたり、隠し撮りされたりした友人たちが写っている。時折私も登場していた。始めはじっくりと眺めていたが、段々ページをめくる手が速くなっていった。
そして最後のページを見て、閉じた時、1枚の写真が滑り落ちた。拾い上げて、私は息を呑んだ。でも、どうして息を呑んだのか、わからない。
『ーーーしょうちゃん』
誰かの声が、聞こえるようだった。
私とその男の人は、その写真の中で、はにかみながら寄り添っていた。見たことがある人だ。でも、誰だったか、思い出せそうなのに記憶に靄がかかったようだ。私は何だか捨ててはいけないと思い、その写真もアルバムに挟んで荷物をまとめた。
『しょうちゃん、好きだよ』
そっと私に触れる彼の手。幾つものキス。彼の唇が少し熱を帯びて、首筋に降りていく。
『真弥、私は真弥になら何をされてもいいよ。全部あげる。…でも、今はやめようよ。だって真弥、泣いてる』
私の言葉に、少し顔を上げた彼は、言葉通り泣いていた。そして私の首元に顔をうずめた。嗚咽を堪える彼をぎゅっと抱きしめて、幸せを感じた。この時間が、必ずずっと続くと、信じてやまなかった。
突然息を吸い込むような感覚で目が覚めた。何か幸せな夢だった。誰かを抱きしめて眠る夢。続きを見ていたかったな、と考えながら身体を起こし、のろのろと身支度を始めた。あの人、泣いていたな。理由をしばらく考えていたが、通勤電車に揺られている内に、細かい内容は忘れてしまった。ただなんとなく、また見られる夢のような気がした。
『しょうちゃん』
真弥だ。悲しそうな顔をしている。泣かないで、何があったの。抱きしめてそう言ってあげたいのに、私はこのシーンの傍観者の様に、何もしてあげられなかった。
『しょうちゃん、ごめんね』
崩れていく世界で、真弥が遠くなる。
『僕たちの一緒に生きる世界は、守れなかった。本当にやり直せないんだ、もう。ごめんね、傍に居たかったよ…』
「ーー嘘つき!」
そう叫びながら、私は飛び起きた。震えと涙が止まらない。真弥、どこなの、抱きしめてよ…。
真弥って、誰なの。ああでも、こんなに愛しくて、悲しい。混乱するまま、ベッドの脇のサイドテーブルに手を伸ばした。そこに置いてあったアルバムに手が当たって、音を立てて写真たちが落ちた。ため息をついて写真を拾う。1枚の写真で、デジャヴの様に息を呑んだ。
「真弥…」
『しょうちゃん、僕はずっとそばに居るよ。ずっと一緒に、居ようね。』
『真弥は弱虫だから、私がいてあげたいの。強くなんて、ならなくていいの。ずっと傍に、いるから。』
『僕もしょうちゃんを守るよ。守らせてよ。』
『じゃあ、真弥と私、章子は、永遠を誓います、だね』
『ーーーしょうちゃん、大好きだよ。愛してる。』
記憶が押し寄せた。頭の中で、君の声が、君との会話が、いくつもこだましていた。
「ーー真弥の、嘘つき…」
涙が、静かに溢れた。私の大好きな、あの人。宝物の恋。どうして、今隣に君は居ないの。
『どうして』なんて、理由は分かっていた。思い出してしまった。
真弥は高校の部活の先輩だった。傍から見ると不思議な空気を纏った、掴みどころのない人。でも不思議なのは、その空気だけじゃないと、私は気づいていた。何かがこの人にはある。訝しがりながらも、惹かれた。近づくほど、不思議なくらい好きになっていった。真弥はというと、初めて会ったはずの時から、私に懐いている、という表現がピッタリな有り様で、忠犬の様だった。悪くいうと、初対面から馴れ馴れしかった、と言ってもいい。
『私と以前会ったことあるんですか?』と聞いても、満面の笑みで答えない。
部活動(と言っても弱小放送部なのでやる事も少ないが)
以外でも一緒にいて、気づけば私たちは付き合っていた。
付き合ってからも、不思議な事はあった。真弥があらゆる危険を察知しているのか、と疑いたくなるほど、私を守ってくれるのだ。突然車に轢かれそうになった時も、窓から落ちそうになった時も、守って助けてくれたのは真弥だった。
付き合って3年が経った頃、真弥が不安定になっていった。わけも分からず泣いていたり、私との関係を半ば強引に進めようとしたり。私は心配だったけれど、彼の弱さも愛しくて、抱きしめてあげられる幸せも感じていた。こんな日々が、これからもずっと、続くと信じていた。
真弥の秘密が分かったのは、そんな頃だった。
大学に進んで、一人暮らし用の私のアパートに、ある日真弥はやって来た。
神妙な面持ちの彼は、開口一番、こう言ったのだ。
『僕は、未来から来たんだ』
私は不思議には思わなかった。やっぱりかとすら思った。未来ってどんな所か、なんて呑気な質問をしようとしたが、次の言葉に、何も言えなくなった。
『ーーしょうちゃんが死ぬのを、助けるために』
真弥は私を助けるため、何度も「やり直して」いたと言う。何度も私を失っては、戻り、失って、途方もない年月が、本当だったら過ぎていなければならないくらい、やり直したのだと。
『でも、もうやり直せない所まで来ちゃったんだ…。』
弱々しい声でそう言うと、真弥は顔を上げた。妙に晴れやかな表情をしていた。
『しょうちゃんがまた死んでしまうくらいなら、僕は最後の手段に出る。僕の命を差し出して、しょうちゃんを助けてもらうよ』
『しょうちゃん、ごめんね』
私の知っている、弱くて愛しい真弥の顔だった。
世界が崩れていく。
『僕たちの一緒に生きる世界は、守れなかった。本当にやり直せないんだ、もう。ごめんね、傍に居たかったよ…』
遠くなる真弥の姿と声。最後に、囁く声が聞こえた。
『しょうちゃんは、僕を忘れて、生きて』
君にもう会えない今なんて、いらない。
どうして、何も言えないようにしたの?忘れることが幸せだと説くの?
想いだけでも、伝えさせてよ。こんなに愛してるって、まだちゃんと言えてない。
全てを思い出し、慟哭の中で、夜が明けた。
君も私も嘘つきだ。ずっと一緒に、永遠に一緒に、居ると約束したのに。
ただ、後悔も懺悔も、君の記憶と共に私を縛るけれど、私は思い出す前より幸せだった。
君も私も、嘘つきだ。
祖父が亡くなって、1年。私が20歳から5年間を過ごした祖父のあの家を、とうとう取り壊すことになったと母から連絡があった。
「章子もまだ置きっぱなしの物あるでしょ、今度鍵開けてあげるから取りに行きなさい」
そう母からの電話で言われた私は、渋々電車で小一時間の祖父の家へ向かった。
誰も住まなくなった家というのは、当たり前でも『もぬけの殻』という言葉がぴったりで、元気だった祖父を思うと、私はとても寂しい気持ちになった。
私が借りていた部屋で、要る物、要らない物を整理していた時、見覚えのあるアルバムが出てきた。
「懐かしいなあ、高校の写真か。こんなところにあったのね。」
そう独りごちて、アルバムをそっとめくる。インスタントカメラで撮られた写真たち。大体の写真のカメラマンは私だ。カメラに向かってポーズを決めたり、隠し撮りされたりした友人たちが写っている。時折私も登場していた。始めはじっくりと眺めていたが、段々ページをめくる手が速くなっていった。
そして最後のページを見て、閉じた時、1枚の写真が滑り落ちた。拾い上げて、私は息を呑んだ。でも、どうして息を呑んだのか、わからない。
『ーーーしょうちゃん』
誰かの声が、聞こえるようだった。
私とその男の人は、その写真の中で、はにかみながら寄り添っていた。見たことがある人だ。でも、誰だったか、思い出せそうなのに記憶に靄がかかったようだ。私は何だか捨ててはいけないと思い、その写真もアルバムに挟んで荷物をまとめた。
『しょうちゃん、好きだよ』
そっと私に触れる彼の手。幾つものキス。彼の唇が少し熱を帯びて、首筋に降りていく。
『真弥、私は真弥になら何をされてもいいよ。全部あげる。…でも、今はやめようよ。だって真弥、泣いてる』
私の言葉に、少し顔を上げた彼は、言葉通り泣いていた。そして私の首元に顔をうずめた。嗚咽を堪える彼をぎゅっと抱きしめて、幸せを感じた。この時間が、必ずずっと続くと、信じてやまなかった。
突然息を吸い込むような感覚で目が覚めた。何か幸せな夢だった。誰かを抱きしめて眠る夢。続きを見ていたかったな、と考えながら身体を起こし、のろのろと身支度を始めた。あの人、泣いていたな。理由をしばらく考えていたが、通勤電車に揺られている内に、細かい内容は忘れてしまった。ただなんとなく、また見られる夢のような気がした。
『しょうちゃん』
真弥だ。悲しそうな顔をしている。泣かないで、何があったの。抱きしめてそう言ってあげたいのに、私はこのシーンの傍観者の様に、何もしてあげられなかった。
『しょうちゃん、ごめんね』
崩れていく世界で、真弥が遠くなる。
『僕たちの一緒に生きる世界は、守れなかった。本当にやり直せないんだ、もう。ごめんね、傍に居たかったよ…』
「ーー嘘つき!」
そう叫びながら、私は飛び起きた。震えと涙が止まらない。真弥、どこなの、抱きしめてよ…。
真弥って、誰なの。ああでも、こんなに愛しくて、悲しい。混乱するまま、ベッドの脇のサイドテーブルに手を伸ばした。そこに置いてあったアルバムに手が当たって、音を立てて写真たちが落ちた。ため息をついて写真を拾う。1枚の写真で、デジャヴの様に息を呑んだ。
「真弥…」
『しょうちゃん、僕はずっとそばに居るよ。ずっと一緒に、居ようね。』
『真弥は弱虫だから、私がいてあげたいの。強くなんて、ならなくていいの。ずっと傍に、いるから。』
『僕もしょうちゃんを守るよ。守らせてよ。』
『じゃあ、真弥と私、章子は、永遠を誓います、だね』
『ーーーしょうちゃん、大好きだよ。愛してる。』
記憶が押し寄せた。頭の中で、君の声が、君との会話が、いくつもこだましていた。
「ーー真弥の、嘘つき…」
涙が、静かに溢れた。私の大好きな、あの人。宝物の恋。どうして、今隣に君は居ないの。
『どうして』なんて、理由は分かっていた。思い出してしまった。
真弥は高校の部活の先輩だった。傍から見ると不思議な空気を纏った、掴みどころのない人。でも不思議なのは、その空気だけじゃないと、私は気づいていた。何かがこの人にはある。訝しがりながらも、惹かれた。近づくほど、不思議なくらい好きになっていった。真弥はというと、初めて会ったはずの時から、私に懐いている、という表現がピッタリな有り様で、忠犬の様だった。悪くいうと、初対面から馴れ馴れしかった、と言ってもいい。
『私と以前会ったことあるんですか?』と聞いても、満面の笑みで答えない。
部活動(と言っても弱小放送部なのでやる事も少ないが)
以外でも一緒にいて、気づけば私たちは付き合っていた。
付き合ってからも、不思議な事はあった。真弥があらゆる危険を察知しているのか、と疑いたくなるほど、私を守ってくれるのだ。突然車に轢かれそうになった時も、窓から落ちそうになった時も、守って助けてくれたのは真弥だった。
付き合って3年が経った頃、真弥が不安定になっていった。わけも分からず泣いていたり、私との関係を半ば強引に進めようとしたり。私は心配だったけれど、彼の弱さも愛しくて、抱きしめてあげられる幸せも感じていた。こんな日々が、これからもずっと、続くと信じていた。
真弥の秘密が分かったのは、そんな頃だった。
大学に進んで、一人暮らし用の私のアパートに、ある日真弥はやって来た。
神妙な面持ちの彼は、開口一番、こう言ったのだ。
『僕は、未来から来たんだ』
私は不思議には思わなかった。やっぱりかとすら思った。未来ってどんな所か、なんて呑気な質問をしようとしたが、次の言葉に、何も言えなくなった。
『ーーしょうちゃんが死ぬのを、助けるために』
真弥は私を助けるため、何度も「やり直して」いたと言う。何度も私を失っては、戻り、失って、途方もない年月が、本当だったら過ぎていなければならないくらい、やり直したのだと。
『でも、もうやり直せない所まで来ちゃったんだ…。』
弱々しい声でそう言うと、真弥は顔を上げた。妙に晴れやかな表情をしていた。
『しょうちゃんがまた死んでしまうくらいなら、僕は最後の手段に出る。僕の命を差し出して、しょうちゃんを助けてもらうよ』
『しょうちゃん、ごめんね』
私の知っている、弱くて愛しい真弥の顔だった。
世界が崩れていく。
『僕たちの一緒に生きる世界は、守れなかった。本当にやり直せないんだ、もう。ごめんね、傍に居たかったよ…』
遠くなる真弥の姿と声。最後に、囁く声が聞こえた。
『しょうちゃんは、僕を忘れて、生きて』
君にもう会えない今なんて、いらない。
どうして、何も言えないようにしたの?忘れることが幸せだと説くの?
想いだけでも、伝えさせてよ。こんなに愛してるって、まだちゃんと言えてない。
全てを思い出し、慟哭の中で、夜が明けた。
君も私も嘘つきだ。ずっと一緒に、永遠に一緒に、居ると約束したのに。
ただ、後悔も懺悔も、君の記憶と共に私を縛るけれど、私は思い出す前より幸せだった。