政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~




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二月は寒い日が続いていたが、三月の声を聞くと同時に、春らしくなってきた。
ただ空気が乾燥して強い風の吹く日が多いから、火災が起こりやすいといわれている季節だ。
実際に一年で一番火災が発生するのは寒い冬ではなく三月から四月にかけてだから、結都たち消防士にとって緊張感のある季節でもある。
恐ろしい自然災害や、事故や火事は予測がつかないものだが、最悪の事態で最善を尽くせるように、日々体を鍛えながら訓練を続けている。

この街には東西南北の四つの区があるが、それぞれに消防署が置かれている。
現在結都が勤めているのは北区の消防署だ。
消防士といっても様々な役割があって、火災などの災害現場に駆けつける消火隊、病気やけがをした人を運ぶ救急隊、それに火災や水難事故などで人命救助にあたるレスキュー隊がある。
結都は消化隊に属しているが、出動のない時には学校や会社に出かけて消防訓練を行ったり、建物の内部の立ち入り検査や自動火災報知システムの点検を受け持つこともある。

この日、結都たち消火隊員が訓練と点検のために訪れたのは市内にある中堅の乳製品メーカー、梶谷乳業だ。
東京育ちの結都はピンとこないが、子どもの頃に給食で飲んでいた牛乳を製造している会社だと懐かしそうに話している隊員もいた。

まず工場で避難経路や火災報知機のチェックをすませ、燃料などの危険物の保管状況を確認する。
次に手の空いている工場の従業員たちに集まってもらって、消化器を使っての訓練だ。
それらが順調に終わってから本社ビルに移る。

三階建てのビルは古い構造の建物で点検では問題ないとされているが、一階の広いフロアでもし火事になったら遮るものがないのが気になった。防災カーテンの必要性を話してみたが、取り入れるかどうかは会社の判断に任せた。

フロアの奥にあるドアの向こうは研究開発室だという。
ドアを開けたら廊下にパッと照明がついて、いっきに見渡せた。
研究というからには秘密主義なのかと思ったが、大きなガラス越しにスタッフの動きがよく見えた。
給食の調理室のようにも感じられるのは、スタッフたちが白衣姿にマスクをしているからだろうか。
中のひとりが防災点検に気がついたのか、エアーシャワーを浴びてからマスクを外しながら出てきた。

「ごくろうさまです」

消防士たちに挨拶をする若い女性を見て、結都は既視感を覚えた。

(知ってる顔だ)

小柄で穏やかに微笑んでいる顔には見覚えがあるが、いつ会ったのか思い出せない。

「あれ?」

結都より先に、同期の三枝(さえぐさ)が女性に話しかけた。

「君、もしかして定期健診の時……」

ああ、そうだと結都も思い出した。つい先日、足立病院で定期健診の受付をしていた人だ。
どうして梶谷乳業の研究室にいるんだろうかと、三枝も疑問に思ったようだ。





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