政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
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梶谷紗彩の朝は、朝食作りから始まる。
キッチンでエプロンをつけていたら、仏間からおりんのチーンとよく響く音が聞こえてきた。
母の梢が、父の遺影相手に話し終えたのだろう。
娘から見ても会話が途切れることがなくらい、仲のよかった両親だ。
父が亡くなって五年経った今でも、母は朝の挨拶を欠かさない。
タイミングを見計らって、紗彩は母に呼びかけた。
「お母さん、今朝はどうする~」
「フワフワトロトロで~」
「オッケー」
いつもこんな調子で、紗彩と母にしか通じない会話が続く。
家の中にいるのに大きな声で話しているのは、ふたりの位置がやや離れているからだ。
梶谷家はこの辺りでは旧家と呼ばれている家柄だ。
地主だったころの名残か、屋敷も庭もそれなりに広い。
祖父が屋敷の一部をリフォームしたから、増築された洋館にあるキッチンと古くからある仏間とでは渡り廊下を挟んでの会話になる。
残念なことに父が亡くなってからは、あちこち手入れが行き届いていない。
庭も荒れてしまい、父が丹精込めていた五葉の松まで悲しげだ。
紗彩は小さなボウルに卵を二個割り入れてシャカシャカと菜箸でかき混ぜた。
塩コショウとクリームも忘れない。
バターを溶かした小ぶりのフライパンに流し込むと、ジュワッといい具合の音を立てた。
母がキッチンまでパタパタと小走りでやってきた。
ふたりきりの生活になってから、ダイニングルームは使っていない。
食事はもっぱらキッチンに置いている小さな丸テーブルですませている。
「お待たせ、紗彩ちゃん」
紗彩も小柄だが、母も背はあまり高い方ではない。
今日は温かそうなベージュピンクのニットアンサンブルを着ていて、五十代とは思えないくらい若く見える。
流行に左右されないデザインだからと、長年愛用しているものだ。
『若い頃とサイズが変わらないの』というのが母の決まり文句だが、つまり昔の服をリメイクしながら着ていることになる。
父が生きている頃はお洒落が大好きで、銀座に買い物に行くのを趣味のようにしていたくらいだ。
今となっては信じられない暮らしぶりだったなと、紗彩はため息をついた。
「ため息つくと、幸せが逃げるんですって」
おっとりとした母の話し方では、少しも緊張感が感じられない。
「大丈夫だよ。これ以上わが家から逃げるものなんてないもの」
「それもそうね」
フフフと、母子で笑いあう。