政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
「あなたは」
「君とはたしか、足立病院や梶谷乳業で会ったような」
「はい。梶谷乳業で食品開発を担当している梶谷紗彩と申します」
「梶谷?」
「はい。母が社長の梶谷梢です」
結都は驚いた。社員かと思っていたら、まさかの社長令嬢だった。
どうりで言葉ひとつひとつに責任感のようなものが感じられたはずだ。
そういえば見送ってくれた時に、どことなくふたりの雰囲気が似ていたのを思い出す。
それに会社で会った時と今日は、まるで別人のようなのだ。
清楚で柔らかな顔立ちに、クリーム色のワンピースがよく似合っている。
会社では会ったときの知的な印象の女性とは思えない。
「何事もなくてよかった」
「おかげさまで助かりました」
紗彩が頭を下げると同時に、袖が変な形に下がってきた。おかしいなと思ってよく見ると、糸が切れている。
「少しほつれていますね」
ドレスの状態をよく見ようと顔を近づけたとき、横から声をかけられた。
「白川様、お探ししました。お父様がおみえになりました」
「結都、そのお嬢さんは?」
ホテル内をぶらぶらしていて彼女の危機を救えたのはよかったが、父との約束があったのだ。
「お父さん」
「ロビーで待っているように伝えたはずだが」
「チョッと色々ありまして」
「そちらの方を紹介してくれないのか?」
どこか期待しているような父の顔を見たとたん、なにか頭の中で閃くものがあった。
考える間もなく、結都の口が勝手に動いていた。
「彼女は、梶谷紗彩さん。梶谷乳業の社長のお嬢さんで、俺の恋人です」
こんな紹介をされて驚いて嫌がるかと思ったら、黙ってくれている。
助かったが、突然の成り行きに言葉も出ないのだろう。
「そうかそうか! やっとその気になったのか」
思ったとおり、父は相好を崩して喜んでいる。
「嘘でしょ」
父のうしろから、甘ったるく響く声が聞こえた。父は厄介な人物まで連れてきたようだ。
「私、聞いていないわよぉ」
高級ブランドに身を包んだ、結都が最も苦手としている女性だ。
「結都さんに彼女がいるなんて、誰もうわさしてなかったもの」
どこで聞いたうわさなんだと問いただしたかったが、それどころではない。
「香澄さん、どうしてここへ?」
「たまたま大河内さんと新幹線で会ってね。ホテルが同じだというから食事でもと思ったんが」
「ほんとに結都さんの恋人なの、あなた?」
香澄の目つきが鋭かったので、思わず結都は紗彩をかばうように前に立つ。
「失礼ですよ、香澄さん」
キッと睨みつけたら、それ以上なにも言わなかったが面白くはなかったのだろう。
「私、気分が悪くなりましたの。お食事はご遠慮するわ!」
香澄は怒りながら去っていった。
「相変わらずだな、彼女は」
「そうですね」
珍しく父と意見があった。
母の親友の娘で大河内不動産の娘だからとわが家への自由な出入りを許していたが、あの性格はいただけない。
おまけに結都との関係も、親同士が決めた婚約者のように思い込んでいるようだ。
香澄とふたりだけで会ったこともないし、父との約束にもまったく関係ないのだから結都自身は困惑するばかりだ。
「さあ、食事にしよう。あなたもご一緒にいかがですか?」
父が紗彩を誘っているので、慌ててその場をごまかした。
「チョッと彼女のドレスにトラブルがありまして、お父さんは先にレストランへ行ってください」
「そうかい?」
「ホテルのブティックへ寄ってから、ふたりで行きますので」
なんて説明したらわかってもらえるだろうかと、結都は頭を抱えたくなった。
それでもキョトンとしている紗彩の手を引いて、ブティックまで急いだ。