政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
彼女に出会えたことを感謝したかったが、さっきの無礼な男のおかげかと思うと少ししゃくに障った。
「たまたまこの近くの高原まで視察に来たんですよ」
父が仕事の話をし始めたから退屈だろうと思ったが、ただ聞いているだけでなく、楽しそうに会話している。
「高原? もしかして鈴ヶ鳴高原ですか?」
「正解だ」
研究者だから無口なタイプかと思っていたが、意外だった。父に合わせて上手く会話を繋いでいる。
「私、とても好きな場所です。春は特におすすめです」
「どんなところが? 気に入っているポイントは?」
それどころか、父の方が質問ばかりしている。
どうやら高原には彼女の兄夫婦が住んでいるから、土地のことに詳しいらしい。
「では、紗彩さんのお兄さんがあの丸山牧場を?」
「はい。兄と義姉が経営しています」
「あそこはいい牧場だねえ。自然放牧が素晴らしい」
ふたりが盛りあがっているから、結都は耳を傾けつつ黙々と食べることにした。
確かに鈴ヶ鳴高原は、コンパクトなリゾート地だ。
高速道路のインターチェンジから近いし、この街からも車で一時間半くらいで行くことができる。
標高がやや高いところにあるから夏は涼しいし、冬には中級者くらいまで楽しめるスキーのゲレンデもある。
一か所に滞在してあれこれ楽しめそうで、インバウンド効果も期待できそうな場所だ。
今のところペンションや、近くのダム湖周辺にある昔ながらの温泉旅館しか宿泊施設がないのがもったいないくらいだ。
さすがに父はいい場所に目をつけたなと思わざるを得ない。
「紗彩さんに会えてよかった」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
食後のエスプレッソを飲みながら、父は満足そうだった。
「思わぬ地元の情報を聞くことができたからね」
古くから伝わるお祭りや隠れた特産品などは、兄夫婦が住んでいるからこそ知っている内容だ。
「ぜひ、東京のわが家にも遊びに来てください」
「ありがとうございます」
父がわが家に紗彩を誘うのを聞いて、結都は顔が引きつりそうになった。そんな日は絶対にこないというのに。
「結都、紗彩さんを送ってさしあげなさい」
「はい」
父は紗彩とばかり話して、結都とはほとんど会話もなかった。
それでも機嫌がいいから、よほど気に入ったのだろう。
今夜だけのつもりだから、しばらくして『別れた』と言ったら、がっかりさせてしまいそうだ。
「行こうか」
レストランの出口まできたところで、結都は大きくため息をついてしまった。
それが紗彩も同時だったから、お互いツボにはまったのか顔を見合わせて小さく笑う。
レストランの従業員たちが微笑みながら見送ってくれたが、ふたりの関係を誤解されたのかもしれない。
それくらい、初めてゆっくり話した相手とは思えないくらい息ピッタリだったのだ。