政略結婚ですが、幸せです ~すれ違い夫婦のやり直し計画~
紗彩は夢中で母に声をかけ続けた。
気が動転していた紗彩は、救急車の中で隊員たちと交わした会話すら覚えていない。
母は足立病院へ搬送されたが、救急外来で診察を受けている間は待合室で待機するしかなかった。
しばらくすると母が検査のためにストレッチャーに乗せられて移動するのが見えた。
痛み止めの点滴が効いているのか、さっきまでの呻くような様子もなく眠っているように静かだ。
横たわった母の姿が、父のものと重なってくる。
(このまま帰ってこなかったらどうしよう)
最悪を覚悟しなくてはいけないのだろうか。
そんな考えに囚われてしまい、紗彩の体はガタガタと震え始めた。
救急担当の医師から告げられたのは、腕と肩に骨折があって、すぐに手術が必要だということ。
内臓にも問題があるが、ほかの治療は手術が終わって回復してからになるということだった。
すぐに同意書などが用意され、入院の手続きをするように言われる。
ほとんど待つこともなく手術が始まった。
紗彩はじっとしていられなくて、手術室の前でウロウロと廊下を行き来する。
「紗彩、大丈夫?」
「希実」
母の手術が医事課に伝わったのか、希実が様子を見にきてくれた。
「おばさんが倒れたって聞いたの」
「肩と腕を骨折したみたい。ほかにも悪いところがあるらしくて」
「父に聞いてみようか?」
勤務中の希実に心配をかけてしまったようだ。
「ううん、大丈夫だよ。手術が終わるのを待ってるだけだから仕事に戻って」
「二階に家族控室があるから、そこに行ってみて。なにかあったら声かけてよ」
「ありがとう」
希実に教えてもらった部屋には、ゆったりとテーブルとソファが置かれていて、自動販売機が明るく光っていた。
誰もいなかったから、壁際のソファーに腰をおろした。そのまま紗彩はじっと前だけを向いていた。
単純骨折と聞いていても、もし手術中になにかあったらと、恐ろしい想像が次々に頭の中をよぎる。
それ以外にも会社のこと、新製品のことなど次々に浮かんでは消えていく。
兄に知らせようかとも思ったが、この時間は牛と子どもたちの世話に追われているはずだ。
母に骨折以外の病気があるなら、それがわかってからにした方がよさそうだ。
この先なにが起こっても、ひとりで立ち向かう勇気が欲しい。紗彩はキッと壁を見つめ続けていた。
「梶谷さん?」
どれくらい壁とにらめっこしていただろう。ふいに、自分の名前が呼ばれた気がした。
手術が終わったのかと顔を向けると、控室の入り口に背の高い男性が立っていた。